第6話
翌朝。
リリィはゆっくりと目を覚ました。
陽の光が窓の隙間から差し込み、頬に触れる。贅沢とはとても言えないベッドだったが、それでも――
「……あったかい」
思わず、小さく呟く。
今まで寝てきた地べたや、湿った路地裏に比べたら、それはまるで王宮のベッドのようだった。
「起きたか」
ドアの向こうから、低くしわがれた声が聞こえた。エドガーだった。
小さな台所に立ち、彼は慣れた手つきでパンとスープを用意していた。香ばしい匂いが空腹を刺激する。
「顔、洗ってこい」
「う、うん」
促され、リリィは少し戸惑いながらも水窯へ向かった。
昨夜、工房の使い方を一通り教わっていたことを思い出しながら、そっと水に手を伸ばす。
冷たい水が肌に触れるのも――不思議だった。
(……こんな風に、顔を洗うの、初めてかも)
路地裏で生きてきた彼女には、清潔も、習慣もなかった。
食事も、二日に一度食べられたらまだマシな方だった。
そのせいで、リリィの体はガリガリに痩せていた。
「まずは、しっかり食え」
席に戻ると、エドガーがパンと野菜のスープを前に座っていた。
「体力をつけてから、鍛錬を始めるからな」
「……はい」
リリィはゆっくりとパンを手に取り、スープに浸して口に運んだ。
(……美味しい)
涙が出そうになるのを必死に堪えながら、リリィは黙々と食べ続けた。
その様子を、エドガーは何も言わず、黙って見ていた。
――食事が終わると、エドガーは立ち上がり、リリィに声をかけた。
「町に行くぞ」
「まち?」
「ああ、お前の服を見繕う」
そうして二人は、工房を出た。
エドガーの工房は町から少し外れた場所にある。鉄を打つ音、煙、匂い――そうしたものを避けるため、人気のない森の入り口近くに建てられていた。
小さな橋を渡り、舗装されていない道を進んでいく。
リリィは時折立ち止まりながら、初めて見る景色にきょろきょろと目を輝かせていた。
「……なんだ、その顔は」
「え? あ、あの、森が、すごく……きれいで……」
「子供か、お前は」
「こ、子供じゃないもん……!」
「いや、子供だろ」
少しだけ口を尖らせたリリィに、エドガーは思わず吹き出しそうになった。
「はい、いらっしゃいませ~」
町の中心部にある洋服屋に足を踏み入れると、明るい店員が笑顔で迎えてくれた。
「すまんが、この子に服と下着を見繕ってくれ。動きやすい服で頼む」
「はい、かしこまりました~。お嬢ちゃん、こっち来てね~」
店員がリリィの手を取り、奥の試着室へと連れて行く。
リリィは戸惑いながらも、エドガーの方をちらりと振り返り、小さく頷いた。
――しばらくして、店員が戻ってくる。
両手には、清潔な下着と布製のチュニック、動きやすいズボンが抱えられていた。
そして、その後ろから、リリィが現れた。
淡いクリーム色のチュニックに、茶色のショートパンツ。
普段着ではあるが、少女の愛らしさを引き立てるようなデザインだった。
「どう? 似合ってるでしょ?」
「ふふっ、可愛いじゃねえか」
エドガーが苦笑しながら財布を取り出し、代金を支払った。
「え……あの、ほ、ほんとうに、こんなに……いいの?」
リリィが不安そうに服の袖を引っ張りながら、エドガーを見上げた。
「ああ、心配するな。お前に投資してるだけだ」
「投資……?」
「そうだ。俺の作る武具が“天才”にしか使えねえってことを、証明するための投資だ」
エドガーは腕を組み、真顔で言い放った。
「お前がそれに応えることが、俺の証明になる。だから、心配するな。堂々としてろ」
「……うん」
リリィは、胸の奥が少しだけあたたかくなるのを感じていた。
今まで「価値がない」と言われ続けてきた自分が、今――
「投資する価値がある」と、言われたのだ。
たとえその理由が、彼自身の信念のためであったとしても。
(……わたし、ちゃんと応えたい)
そう、強く思った。
新しい服に身を包み、リリィは小さな決意を胸に抱いて、工房への帰り道を歩き出した。
これが、彼女の「小さな一歩」。
けれど、確かに世界を変える一歩だった。