第5話
カイは、リリィの小さな手を引きながら工房の重たい扉を開けた。中では鍛冶師エドガーがいつものように炉の前に立ち、真紅に輝く鉄を叩いている。
「エドガーさん!探していた少女のリリィさんを連れてきました!」
カイの声に反応して、エドガーは振り向いた。荒々しい髭面に煤が浮かび、その目は一瞬でリリィを捉える。
「……おお。間違いねぇ、この前の……」
エドガーは言葉少なに頷くと、作業台の上に置いてあった一振りのレイピアを手に取った。
柄に施された青い宝石が淡く輝き、銀の刀身は細く優美な曲線を描いていた。
「来な、嬢ちゃん」
無言のままリリィにレイピアを差し出す。
「えっ、これ……?」
「いいから持ってみな」
リリィが恐る恐る柄を握ると、その瞬間、刀身が銀色の光に包まれた。
「わ……! あったかい……?」
光が脈打つように波紋を広げ、まるでリリィのマナに反応しているかのようだった。
「うん、やっぱりな。こいつはお前を待ってたんだ」
エドガーは満足げに頷き、工房の奥に置いてあった鉄の鎧を手招きするように指差した。
「よし、その武器であの鉄の鎧を刺してみてくれ」
「えっ……?」
リリィは驚いてレイピアを見つめた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、エドガーさん。ちゃんと説明しないと、怖がりますって」
カイが慌てて口を挟む。エドガーは面倒くさそうに頭をかいた。
「あー、もう……カイ、お前がやれ」
「はいはい、わかりましたよ」
カイはリリィのそばにしゃがみ込み、優しく声をかけた。
「リリィさん、このレイピア、特別な魔導金属でできててね。マナに反応して力を発揮するんだ。で、その力を試すために、あの鎧をちょっと突いてもらえないかな?」
「……うん、やってみる」
リリィは深く息を吸い、ゆっくりと鎧に向かって歩き出す。
そして、軽く突いた――はずだった。
ザクリッ……!
「えっ!?」
レイピアは抵抗なく鉄の鎧を貫通した。
「す、すごい……」
リリィは目を見開いていた。エドガーが口元を緩め、小さく拳を握る。
「成功か……やっぱり、この子のマナを操る感性は、飛び抜けてるな」
リリィがレイピアを引き抜くと、傷一つなかった刀身は、静かにその輝きを収めた。
「リリィ、親はいるのか?」
エドガーの問いに、リリィはしばらく黙ってから、かすかに首を横に振った。
「……いない。ずっと、一人だった」
その声は小さかったが、工房の中に静かに響いた。
「なら、決まりだ」
エドガーはどっかと椅子に座り、片膝を叩きながら言った。
「よし、俺のところに住め」
「――えっ?」
リリィは目を丸くして固まった。
「いや、その……えっ?」
カイも同じようにぽかんとしている。
「何驚いてんだよ。弟子ってのは、身寄りのねぇ奴が多いもんだ。工房の手伝いくらいすぐできるだろ。飯と寝床はある」
「でも、突然すぎますよ!」
「カイ、お前は黙ってろ。俺が決めた」
「うわぁ、強引すぎ……」
カイは肩をすくめたが、リリィはまだ困惑していた。
「私が……ここに?」
「そうだ。あのレイピアを握って、鎧を貫いたのはお前だけだ。あれはもうお前のもんだ」
「私が……この剣を……?」
「そうとも」
エドガーの声は静かだが、確かな力があった。
リリィはレイピアを両手で見つめる。手のひらから伝わる温もりに、知らず涙がにじんでいた。
「……ありがとう」
「礼はいい。代わりに、この工房で毎日こき使ってやるからな」
「……はい!」
リリィの笑顔が、小さく、でも確かに浮かんだ。
「やれやれ……こき使うとか言っても、どうせお菓子与えながら甘やかすくせに」
カイが小さく笑ってつぶやいた。
「聞こえてるぞ、カイ」
「わ、わかってますって!」
こうして、リリィはエドガーの工房で新しい生活を始めることになった。
エドガーは、リリィの後ろ姿をじっと見つめていた。
小さな背中。細い腕。だが、その手には確かに――力がある。
「……間違いねぇ」
エドガーは低く呟いた。
「あの時、リリィが俺の腰にある短剣に触れた時――ほんの一瞬だが、短剣が銀色に光った」
「短剣? そんなのあったっけ……」
カイが首をかしげた。
「普段はただの鉄くず同然だ。マナを感じた時だけ反応するようにしてある。誰が触っても反応しなかったんだがな……この子だけは違った」
「へぇ……すごいな、リリィさん」
カイが隣で感心したように頷く。
エドガーは腕を組み、静かに吐息をついた。
「今回レイピアを渡した時もそうだ。リリィのマナに反応して、銀色に光りやがった」
工房の炉の灯が揺らめく中、レイピアは静かにその光を収めていた。
「まあ、まだまだ青いがな」
「えー……そんなに褒めてるのに、そこは突き放すんですか」
「当然だ。これから鍛えて一人前にするんだからな」
エドガーは大きく伸びをした。
「今まで、どんな奴に武器を渡しても、マナを流すことすらできなかった。器の中を、マナで満たせないんだ。腕力に頼って、力任せに振るうばかり」
「うわー、心当たりありますね……僕の仲間にもいますよ、そういう脳筋タイプ」
カイは苦笑いしながら背中をかいた。
「だが、リリィは違う。マナの流れを理解せずとも、感性だけで整えてる。これを“才能”と呼ばずして、なんと呼ぶ」
「……あの、私、そんな大したこと……」
いつの間にか後ろに立っていたリリィが、恥ずかしそうに顔を伏せた。
エドガーはその姿に少しだけ口角を上げる。
「いいか、リリィ」
「……はい?」
「才能は、あっても腐らせる奴がほとんどだ。だが、お前は違う。育てれば確実に伸びる」
真っ直ぐに向けられた視線に、リリィは思わず目をそらした。
「お、おっきい声で褒めないでください……」
「照れてんじゃねぇ!これからビシビシと鍛えてやるからな!」
「は、はいっ!」
ビクッと肩を震わせながらも、リリィはしっかりと返事をした。
「……うん。やっぱり、ここに連れてきてよかったな」
カイが微笑む。
エドガーは立ち上がり、工房の奥を指さした。
「さっそくだが、明日から鍛錬だ。まずは体力作りからだな。マナの操作は、その次だ」
「たいりょく……?」
「おう。まずは薪割りだ」
「ま、薪割り!?」
「文句あるか?」
「い、いえ……がんばります!」
「その意気だ。道具は俺が用意しとく」
カイが小さく吹き出した。
「薪割りって、武器の修行と関係あるんです?」
「あるに決まってるだろ。斬撃の基本だ」
工房の空気が、少しだけ柔らかくなった。
その夜。
リリィはエドガーの工房にある小さな部屋に案内された。質素なベッドと小さな机だけの部屋だが、彼女には十分すぎるほどだった。
「こんなに……あったかい場所、久しぶり……」
そう呟きながら、レイピアを膝の上に置く。
「あなたは……私を選んでくれたの?」
問いかけに、レイピアは答えない。
けれど、ほんのわずかに――刀身が淡く、光ったような気がした。
「うん……ありがとう」
リリィはそっと目を閉じた。
これから始まる、エドガーとの鍛錬の日々。それは決して楽ではないだろう。
だが、彼女にはもう、居場所がある。支えてくれる人がいる。
――そして、信じてくれる者がいる。
レイピアの光は、その手の中で静かに、でも確かに彼女の未来を照らし始めていた――。