宝箱
悠斗は屋根裏の薄暗い光の下、ボタンを握りしめた。鏡の中の少年の声が、まだ頭の中で響いている。「もう一度、約束を果たして。」 外では雨が激しくなり、影の足音が階段を上ってくる。ドン、ドン。重く、確実に近づいてくる。
「約束って…何をすればいいんだ?」 悠斗は鏡に向かって叫んだ。だが、少年の姿は揺らめき、鏡はただのガラスに戻った。手紙も写真も、答えをくれない。唯一の手がかりは、ポケットの中で熱を持つボタンだけ。
ふと、写真の裏に小さな文字が書かれていることに気づいた。子供の殴り書きで、「森の木の下、宝箱」とある。森…あの夏、少年と秘密の宝箱を埋めた場所だ。悠斗の心臓が早鐘を打つ。あそこに行けば、約束の答えがあるかもしれない。でも、影がすぐそこまで来ている。今、ボタンを使えば時間を止められるが、手紙の警告が頭をよぎる。「使うたびに『何か』を失う。」 すでに指先が透明になりかけている気がする。
足音が屋根裏の入り口で止まった。ドアの隙間から、黒い影がにじむように現れる。顔はない。ただ、深い闇が悠斗を見つめている。恐怖が全身を支配したが、悠斗は叫んだ。「お前は僕の後悔だろ? なら、逃げない!」
ボタンを押した。
カチリ。
世界が静止した。影は動かず、雨粒は空中で凍り、屋根裏は死のような静けさに包まれた。悠斗は急いで階段を駆け下り、家を飛び出した。森は街の外れ、徒歩で15分。時間停止の1分間でどこまで行けるかわからないが、やるしかない。
街を走り抜け、森の入り口にたどり着いた瞬間、時間が動き出した。雨が再び降り、遠くで影の気配が追いかけてくる。悠斗は記憶を頼りに森の奥へ突き進んだ。あの夏、少年と一緒に「宝箱」を埋めた大きな樫の木。あそこだ!
木の下に着くと、土を掘り返した。冷たい泥にまみれながら、ついに小さな金属の箱を見つけた。錆びついているが、確かにあの時の宝箱だ。開けると、中には二つの手作りのブレスレットと一枚の紙。紙には、少年の字でこう書かれていた。
「悠斗、もし僕がいなくなっても、君が生きててくれるなら、それでいい。約束は、君が笑うこと。ボタンを壊して、僕を自由にして。」
涙が溢れた。少年の願いは、悠斗が自分を許し、前を向くことだった。後悔の影に縛られず、生きてほしいと。だが、その時、背後で枝が折れる音。影がすぐそこにいる。
悠斗はボタンを手に取った。壊せば、少年の記憶とボタンの力は消えるかもしれない。だが、使えば、影を振り切って逃げられるかもしれない。雨に濡れた手で、ボタンを握りしめる。
「ごめん…そして、ありがとう。」 悠斗は呟き、ボタンを地面に叩きつけた。
バキン。
ボタンが砕け、眩い光が森を包んだ。影が叫び声を上げ、闇が溶けるように消えていく。雨が止み、夜空に星が瞬いた。悠斗は宝箱を抱きしめ、静かに泣いた。少年の笑顔が、心の中で輝いていた。
翌朝、悠斗は森を出て、家に戻った。ポストには、もう手紙はなかった。だが、胸にはブレスレットと、約束の暖かさが残っていた。