手紙
しとやかな雨が降る梅雨。美雨が丁度十六歳の時。隣の村々から縁談が何件も持ちかけられた。美雨はそれほど美人ではなかったし、頑固な所もあるが、気候を操る能力と女に優しい所が評価されていた。両親も雷助も迷った。美雨の夫は温厚な男がふさわしい。多少貧乏でも非力でも不細工でも性格が一番だ。
婿入り嫁入りした兄姉も時折鈴森村に戻ってはどの男が良いか両親と一緒に選んだ。当の美雨は八歳になる芯を心配している。働き手の自分がいなくなると芯に皺寄せが来る。さりとて雷助と仙がいるので婿入りするわけにもいかない。
梅雨が開けた頃。地侍が青白い顔しながら鈴森村に手紙を届けた。庄屋が読むとそこには美雨の事が書かれていた。差出人を確かめるとこの地域を治めている大名に仕える家老からであった。庄屋も顔面蒼白になって和尚の所に向かった。和尚にも読ませると和尚も驚いた。
鈴森村の周りが異常なまでに豊作が続いているのを不審に思った家老が忍を放って調べさせたところ、美雨の存在が分かった。更に美雨が女達の地位向上を目指している事を知った。そこで家中は美雨を異端扱いするよりも逆に家中に引き入れようと考えた。江戸とこの地域を往来する大名にも話している。大名は興味を持ち、適当な家来との縁談を考えた。
白羽の矢が刺さったのはこの地域で大名の書記を勤める祐筆の三男の箱三郎。この手紙を実際に書いているのも箱三郎自身である。手紙の最後には服装にこだわらないので盆の後に城に来るようにと命じてあった。
庄屋は美雨達の家に行くと、手紙の内容を話した。雷助は手紙を直接確認する。美雨は雷助から読み書き算盤を教わっているが、仕事で忙しくてまだ簡単な事しか出来ていない。
今年、大名が江戸から戻ってきている。この地域を治める鷹山家中の当主でもある、鷹山家は元々、関西の小さな国を治めていたが五十年前に異動になったのだ。無闇に領民を殺傷して圧政を敷いているわけではなかったが、言葉巧みに年貢を確実に納めさせる。大名達は質素な生活をしているせいか、怠け者を許さない。
最も忙しい時期を乗り越えると、美雨とその家族は城に行く準備をした。服は染めていない質素な麻の普段着しかない。新しいのが有るには有るが、侍達に会うには寂しい。家族は困った。庄屋は村の名誉でもあると考えて綿の鮮やかな服を貸した。
美雨は母親から入念に身体を洗うように注意されて渋々洗った。汗や泥で身体が汚れれば普段も言われなくても身体を洗うが、母親は今回は厳しく確かめる。兄嫁の仙がじっくりと美雨の髪を洗ってとかして乾かして結う。美雨自身は大袈裟だと思った。
美雨は両親と庄屋と一緒に城に向かった。山と谷を歩いて丸一日かかる。道中はそよ風の吹く晴れ間になるように美雨は天に祈った。その通りになった。
城の前には門兵達が仁王立ちしてかまえている。庄屋が恭しく手紙を差し出すと門兵達は城の中へ通した。一人が報せに走って一人が案内する。
庭の前でゴザが敷かれている。一同はその上で正座して待機する。正面は縁側。しばらくすると奥から何人か人がぞろぞろ出て来た。美雨達は平伏する。
出て来た侍達が座って静まると、厳かな声で、
「面を上げよ」
皆、その通りにした。縁側の近くで若い侍が左右に二人ずつ立っており、縁側の奥の部屋にも侍が左右に五人ずつ座っている。最も奥には壮年の男が美雨達の正面に向かって座っている。その男がゆっくり立ち上がり、先程の声で、
「沢倉屋の美雨はお前か」
閉じた扇子で美雨を指した。美雨は、
「左様でございます」
美雨自身も驚くほど落ち着いた声だ。男は美雨達の向かって右奥から三番目に座っていた若い男に振り向き、
「箱三郎。あれは堂々とした女子だな」
箱三郎が一度平伏すると、チラリと美雨を見やった。目が合う。箱三郎は二十歳前後だろうか。箱三郎の顔は無表情で感情が読み取れない。
男は笑いながら前に進み、縁側で立ち止まると屈んで美雨を改めて見た。箱三郎から振り向いた美雨は男から目をそらさない。
立っていた左側の侍が美雨に呟いた、
「ふてぶてしいぞ」
男は侍に振り向き、
「そう怒るなよ」
侍は片膝をついて謝った。この男は家老だろうか。美雨は気になった。男は、
「では、お前達。この者達と一緒に休んでおれ。正座は堅苦しいだろう」
と、言うと奥に下がって部屋を出て行った。