老中
桜が散った頃。鷹山重孝は江戸に来ると、家格が上で親交のあった河谷藤時の屋敷に向かった。藤時も江戸に着いたばかりで一緒に江戸城に挨拶しようと重孝は思った。河谷家中と鷹山家中は同じ時期に江戸にいて、同じ時期に国元にいる。隣の国の家中よりも直接会う機会が多い。
重孝が藤時に老中に会いたいと相談を持ちかける。藤時は困った顔をして、
「お前は俺達の所が不作の時に何度も助けてくれたから恩返しをしたいが、俺ごときでは老中は興味を持たないぞ」
大名同士でも家格の差は大きい。重孝は諦めずに、
「豊作が続くコツをお教えする代わりに年貢を低く抑えたいのです」
藤時は苦笑いして、
「ついに教えるのか。しかし上様方とそんな交渉するなんて危なっかしいな」
重孝は、
「上様方も気になっておられるようなので」
門の前で二人が待ちながら話し込んでいると、家格が非常に大きな大名がやってきた。二人が平伏しようとすると、その大名は籠から降りながら、
「お前達は確か鷹山と河谷だな」
二人は頭を深々と下げながら、
「「左様でございます」」
二人は何故、この大名が自分達を知っているのかを訝ると大名が、
「運の良い鷹山はどちらだ」
と、尋ねた。重孝は、
「拙者でございます」
大名は歩を進めながら、
「何を話してた?」
二人も後に続きながら、重孝が、
「老中にお会いする方法を考えておりました」
「ほう」
大名が近付くと簡単に門は開いた。二人はまた後についていく。大名は、
「俺も丁度、老中と上様にお会いしたくてな。このままついてくるか」
藤時が、
「山内様。大変ありがたき幸せでございます」
重孝も、
「なんとお礼を申せば。至極嬉しゅうございます」
礼を言った。山内達三人はどんどん奥に入っていく。
建物の前にも門番がおり、重孝と藤時は門番に太刀と脇差を預けた。山内は太刀だけ預けた。山内が用件を伝えると茶坊主に案内されて行く。長くて複雑な廊下。
茶坊主が立ち止まると皆、静かに正座した。茶坊主が恭しく襖を開けると初老の男が奥から振り返る。三人は襖の前で平伏する。男は、
「入れ」
と、命ずると山内だけ入ってまた平伏した。藤時と重孝は廊下で平伏したまま。男は不思議そうに、
「その者達は?」
「運の良い鷹山とその友の河谷でございます。御老中」
山内が答えた。老中は、
「お前達も入れ」
藤時と重孝はゆっくりと腰を少し上げ、低姿勢で山内の後ろについた。老中は、
「どうしたのだ?」
「鷹山が御老中とお話したいとのことです」
山内が答えると、老中は黙った。考え事をしているのか腕を組んでいる。茶坊主が静かに襖を閉める。老中は、
「確か豊作続きの鷹山か」
「左様でございます」
重孝が平伏しながら答えた。藤時も平伏したままだ。老中は、
「何か面白い話でもあるのか?面を上げよ」
重孝と藤時は頭を上げた。重孝は、
「拙者の運が良い理由をお伝えしようかと」
「ほう」
老中が相槌を打つ。山内は興味津々で後ろを振り向く。重孝は、
「太平の世に摩訶不思議な話ですが、神通力の有る女がおります。その女の望むことをすれば豊作が続くのです」
老中も山内も藤時も疑わしそうな目つきで重孝を睨んだ。重孝は涼しい顔をして、
「それは女達を人として扱うことです」
藤時は更に疑惑の目つきで睨む。山内は不思議そうに老中に振り返る。老中は無表情で、
「それで豊作になるのか」
「少なくとも我々の所では。ですが天下隅々まで豊作にさせる力は無いと思われます」
重孝が答えると、老中は、
「その女を江戸に呼び寄せられるか」
重孝は一度目をそらし、また老中を見つめながら、
「恐れながら神通力が効かぬかもしれません」
老中は腕をほどき、扇子を懐から取り出し、自分の肩を叩く。逡巡すると、
「それでもかまわぬから呼んでくれぬか」
重孝は一度頭を上げ、
「かしこまりました」