雨の中
江戸時代半ばの関東北部。梅雨の時に女の子が生まれた。富農でも貧農でも無い自作農の娘だ。母親と産婆は疲れ切っていたが、母親の姑は労うどころか露骨に残念そうな顔をしていた。舅は更に腹を立てていた。娘の父親は他の子ども達の相手をしていたが、興味を示さなかった。
産婆はそんな家族を叱責すると帰っていった。母親は舅姑にいびられながらも、娘に名前を付けた。「美雨」。美雨には既に兄二人、姉二人がいた。長兄は病弱で長姉がその看病をしていた。
雨が上がると母親は身体に鞭を打つように舅と父親と一緒に野良仕事を始めた。次兄も手伝う。生まれたばかりの美雨は残りの兄姉が観た。美雨が腹をすかせると次姉が美雨を運んで母親に報せる。母親は授乳する。しかし時々、忙しさで次姉と美雨を無視して働き続ける。そんな時は次姉が水や粥の汁を飲ませる。
梅雨の合間の晴れ時は忙しいが、雨の時も百姓は仕事をする。農機具の手入れや草鞋や籠作り等もする。特に女や少女達は裁縫や機織りもする。
雨が続くと男達は水路や川の氾濫を警戒する。村を治めている庄屋が高台に皆で逃げるか水路を誰かに見回ってもらうか考える。今回は美雨の父親が見回ることになった。
父親は近隣の水呑み百姓と一緒に村を歩き回った。晴れ間に堰を動かして調節していたが、水位がどこも増している。少しずつ避難する時間はある。父親は庄屋に伝えると、庄屋は村の寺の鐘を鳴らした。鳴らし方でどの様に避難するか予め決まっている。
美雨達の家は水路の近くだったので、すぐに避難した。長姉が長兄に肩を貸し、次姉が美雨を運んだ。母親は姑と手を繋ぎ、舅は先頭に立って歩いて行った。
避難先は庄屋の庭か寺だった。どちらも高台にある。美雨の家族は寺に向かった。
雨はこの後、三日続いた。川が決壊して村の六分の一が浸水した。流された家もある。けれども早めの避難で死者はいなかった。村の者達は総出で復旧に取り掛かった。美雨の家も浸水したが、美雨の父母と祖父母は一所懸命に泥を掻き出した。隣の家は潰れている。必要な物を出した後、皆で家を造り直す。
美雨は寺に避難していた女から乳を与えてもらっていた。姉と兄は子ども達と一緒に炊き出しをしたり大人の手伝いをしていた。
梅雨はすっかり明け、夏が来る。美雨の村は鈴森村。鈴森村は山の中に有ったので江戸ほど暑さは厳しくはない。けれども農繁期だ。
母親は忙しい。父親も祖父母も余裕が無い。長姉は長兄の介護をしている。美雨は次姉に最も懐くようになった。美雨が泣いても次姉が庇うし、美雨が腹を空かせたら何とかして食べさせる。母親は祖父母にいびられているので、美雨を可愛がる余裕がなかった。父親も祖母も美雨に興味が無い。祖父は美雨を疎ましく思っている。
祖父母は病弱な長兄を一番の孫として可愛がっていた。次兄は嫉妬し、長姉は窮屈な思いをしていた。長兄は身体の調子が良いと長姉と一緒に寺に行って読み書き算盤を習っていた。長兄はその甲斐があって文章を書いたり計算したり出来るようになった。長姉も簡単な読み書き計算は出来る。
けれども次兄も次姉も美雨も寺子屋に行かせてもらえない。特に次兄は腹を立てていた。父親は、
「俺達にはそんな余裕が無いんだ」
と、なだめようとする。それでも次兄が納得しないと祖父が怒鳴る、
「うるせぇ!」
祖父は家族の中で君臨していた。