第2章 失踪 2
学校が終わると、そのままアリアの自宅を訪ねた。小川から水を汲んで水瓶に入れ、窓ふきや床磨きも自分から進んでやった。その後には、アリアの指導が入る。晴れた日も、雨の日も、ルカの修行は続いた。アリアは見た目の美しさからは考えられないほど、魔法の修行には厳しい。くじけそうになって、とぼとぼと家に向かっていると、ジョーやサイモンが声を掛け、励ましてくれる。そんな風にして、あっという間に1年が過ぎた。もう、サイモンが喜ぶようなごちそうぐらいなら、自分でも作り出せる。ルカは、ジョーと相談して、アリアの自宅の手前の小川の傍に、テーブルセットを準備して、ガーデンパーティーを計画した。
テーブルを並べていると、大きな荷物がアリアの家に運ばれていく。
「おい、おまえさんたち。そこの家のアリアさんって人を知らないか?」
「えっと、どうかしたんですか?」
「それがなぁ。お貴族様から続々と贈り物を届けろと頼まれるんだが、なぜか次の日には元のお貴族様の屋敷に戻ってくるんだ。お貴族様は俺たちがズルしていると怒るんだが、俺たちにも何がどうなっているのかさっぱりなんだ」
隣で聞いていたジョーとサイモンは不思議なことがあるもんだなぁと驚いていた。
「えっと、それは、アリア様が断っている荷物なんだと思います。運び込まれても、突き返すんだって言ってましたし。何度運んでも無駄ですよ」
「ええ?それじゃあ、どうすりゃいいんだよ」
運搬業者は運んでいた荷物を地面に置いて、ため息をついた。
「お貴族様に伝えてください。アリア様はお貴族様からは何も受け取るつもりはないと。諍いの元になることはしたくないそうです。」
「う~ん、やっぱりそういうことだったのか。アリア様って人のご機嫌を損ねるなとか、散々言われていたんだ。だけど、あれだろ?今話題の魔法使いなんだろ?どうせお貴族様は自分たちの良いように使おうって魂胆だったんだろう。よし、分かった。去年の土砂崩れんときには、その魔法使いさんに弟夫婦が助けてもらったんだ。俺はこの仕事から下りる!邪魔したな」
運搬業者は、そういうと、元気に帰っていった。貴族連中がアリアを自分の仲間に引き入れようとしていることは、ルカにも分かっていた。それにしても、今まで放っておいたくせに、今頃になって!むっとしていると、甘い香りが漂ってきた。ルカは一気に現実に引き戻された
「よし、良く焼けている。」
ルカはかまどからそうっとパイを取り出した。これは、アンナに教えてもらったアップルパイだ。パイ皮をカットして、アリアへの感謝とこれからもよろしくと記されたそれは、こんがりと香ばしく焼けている。
「うわぁ、うまそう♪それも魔法で作ったの?」
「違うよ。これはアンナに教えてもらって自分で作ったんだ。サイモンも大きくなったらきっと作れるよ」
「ホント? やってみたいなぁ」
今にもよだれをこぼしそうなサイモンの首根っこをジョーがつまみ上げて笑った。
「こら、これは魔法使いさんのためにルカが作ったものだから、手を出したらダメだぞ。」
「魔法使いさん一人では、きっと食べきれないよ。俺が助けてあげるんだ」
3人は顔を見合わせて笑った。
「さて、そろそろ師匠を呼んでくるよ。ジョー、悪いけど、アンナとカーシンを呼んできてくれない?サイモンはお家の人を呼んできてね」
ルカはワクワクする気持ちを抑えて、師匠の家のドアをノックした。静かな木々の中で、小鳥の囀りが響いているが、家の中からの返事はない。
「あれ? 師匠、出かけたのかな?」
ドンドン!さっきより大きめのノックをしたが、アリアからの返答はなかった。今日は家にいてほしいと頼んでおいたのに、おかしい。
ルカは、思い切ってドアノブに手を掛けた。すると、あっけなくドアは開いて、ダイニングにはハーブティーが半分入ったままのカップが置いてあった。横には、なにやら書きかけの手紙も置いてあり、ペンが床に転がっていた。
「師匠? おかしい。こんなまま置いていくなんて、らしくないよ」
不安な気持ちが胸にあふれてくる。ルカは家の中を見回したが、そんなに大きくもない家なので、留守であることはすぐに分かった。逸る気持ちを抑えて家を飛び出し、師匠を呼びながら、辺りを探し回った。スタンレイ家の面々やカーシン達もやってきたが、アリアの姿を見つけることが出来なかった。
ルカの表情で異変に気付いたカーシンは、気を聞かせてアンナに器を持ってくるように頼んだ。
「カーシン様、こちらに」
「ああ、ありがとう。スタンレイ様、どうやらルカ坊ちゃんのお師匠様は外出中のようです。今日のところは、ごちそうをお持ち帰りいただいて、次の機会にいたしませんか?」
「いやぁ、それでは申し訳ないよ」
「いいえ、師匠にはちゃんと伝えたつもりだったのですが、どうやら急な予定が入ったようです。今日は、ジョーが無事だったお祝いと、師匠の復活を祝うものだったので、師匠がいないと落ち着きません。後日、またご招待させてください」
スタンレイは申し訳なさそうにしていたが、アンナが焼き菓子の入ったかごをサイモンに渡すと、大喜びで小躍りしながら、オスカーを連れて家に駆け戻っていったので、仕方なく、家に帰ることにしたのだった。
「ルカ様。アリア様のこと、一度テイラー伯爵にご連絡差し上げましょう。そのご様子ですと、アリア様のご自宅に違和感があるのでしょう?」
「カーシン…。そうなんだ。紅茶が好きな師匠が飲みかけのままどこかに行くなんて考えられないんだ。それに、書きかけの手紙が置いてあって、ペンも床に落ちていた。」
ルカの言葉に、カーシンの眉間にしわが入る。
「そうだったのですか。少し急いだほうがいいかもしれませんね」
帰宅するとすぐ、カーシンはテイラー伯爵宛ての手紙を書いて、鳩便を飛ばした。そして、ルカに向き直る。
「ルカ様。以前長老がお見えになった時、話しておられたのですが、アリア様は元王族。ですが、王族の証である、コートミスティの名を名乗らないのには理由があると。たぶん、テイラー家ならその辺りの事を知っているのではないかという話でした。」
「どういうこと?もしかして、師匠の身に危険が及んでいるってことなの?」
「分かりません。ですが、どうにも嫌な予感がするのです。私は、ダニエル様に許可を取ってまいります。アンナにお出かけの準備をするよう伝えておきます。どうか心づもりを」
真剣な顔のカーシンがそう言うと、すぐさま部屋を出て行った。ルカは、自分の指に鈍く光る指輪を見ていた。濃いサファイアはアリアの瞳と同じだ。あの瞳の色は、王族だけの色。王族と言えば、豪華な衣装に身を包み、皆に傅かれて暮らしているイメージだ。自ら市井に下りてきて、人々を助ける存在ではない。
カーシンが、馬車の準備が整ったと声を掛ける。ルカは、気持ちを新たに馬車に乗り込んだ。
テイラー伯爵家に到着すると、スチュアートが出迎えた。
「お疲れ様です、坊ちゃん。旦那様がお待ちです。こちらへ」
「ありがとう」
挨拶もそこそこに、イアンの執務室に通されると、難しい顔の祖父がそこに座っていた。
「ルカ、よく来たね。事情はカーシンから聞いている。アリア様が行方不明なんだそうだね?」
「はい。紅茶が好きな師匠がカップに紅茶を残したまま、書きかけの手紙を置いてでかけるなんて、違和感しかなくて」
「確かに。その手紙は手元にあるのか?」
「ええ、念のため持ってきたんですけど…」
差し出された便箋を受け取ったイアンは、すぐさま窓辺に行って便箋を透かして見た。
「ああ、やはりか。ルカ、これから話すことは誰にも話してはいけないテイラー家の伝承だ。聞いてくれるか」
「はい」
便箋をルカに返して、ソファに座りなおすと、イアンは重い口を開いた。
「絵本などには、旅の魔法使いとされているアリア様だが、実際は、その当時の国王の第2王女だ。幼いころから魔法の力に目覚め、天才と言われていた。しかし、社交を好まないアリア様は、魔法の修行を理由に、社交界から遠ざかっていったそうだ。そんな折、国王が病気に倒れたころから、貴族たちが力をつけ始め、誰にも平等だった国王よりも、派手好きで貴族優先な第一王子を早く王位につかせようとする動きが出てきたのだ。それを見かねたアリア様は、何度も第一王子のレオン様に注意を促したそうだが、聞く耳を持たない。それどころか、同じくレオン様に苦言を呈していた第二王子を事故に見せかけて暗殺したらしい。当時の国王には男女二人ずつのお子さんがいたが、第一王女はすでに他国に嫁いでいて、身の危険を感じていたアリア様は、その第一王女を頼って、他国に亡命したと聞いている。」
「王族って、そんなに怖い人たちなの?」
驚きを隠せないルカを見て、ふっと笑顔になったイアンは、首を横に振った。
「それは随分昔の話だ。今はそんなことはないよ。だけど、上位貴族の間では、まだまだ腹の探り合いは続いている。アランから聞いたことはないか?」
「ああ、そういえば、言ってました。貴族学校は人間関係が難しいって」
「そういうことだ。しかし、アリア様は母国を大切に想っていた。だから、王族の名前を捨てて、魔法使いとしてこの国を旅していたんだ。その時に、ドラゴンに襲われたんだ。今は絶滅してしまったが、当時はまだ少しはドラゴンも生息していたというからね。ただ、このドラゴンも、どうして今までいなかったあの土地に現れたのか。甚だ疑問だね。」
「どういうこと?師匠が狙われていたってこと?」
「可能性は大いにあるな。国王が崩御されて世代交代してからの、レオン王の暴君ぶりがひどかったからね。国内に餓死者が出ていても、派手な貴族の豪遊は止まらなかったと聞いている。代替わりが進んで、豪遊はおさまってきたが、まだ身分制度以上に気位の高い貴族は多い」
じっと聞いていたルカが、こぶしを握り締めてうなるように呟いた。
「平民に働かせて、遊び呆けているくせに、それを指摘されそうだから、師匠の口を閉じようとしているってこと?」
「ルカ、冷静さを欠いてはいけない。アリア様に関しては、推測の域を出ない。」
「だけど…」
イアンは、ベルを鳴らしてスチュアートを呼ぶと、紅茶を持ってくるように頼んだ。そして、ルカが手にしている便箋に目をやると、思いめぐらす様に言った。
「アリア様なら、簡単に連れ去られたりはしないと思わないか?なにかその家の中にヒントがあるんじゃないだろうか」
「ヒント?」
「ああ、アリア様は、まだ自分を亡き者にしようと狙っている者がいることぐらい、きっと分かっていただろうし。もしもの時、ルカに気付いてもらえるようなヒントがあるかもしれないな」
もしかしたら…!ルカにはなんとなく祖父の言わんとするところがわかった。すぐに帰るには日が暮れてきたので、その日はテイラー伯爵家に一泊して、早朝に帰ることになった。