第1章 解呪と覚醒 6
「坊ちゃん、またいつでも来てください。いやぁ、今日はうれしいなぁ。みんな、一度は伯爵様に挑んでいるんですが、手ごわくてねぇ。そろそろ、身体をいたわってほしいのに、聞いてくださらないんでさ。まだまだ若いつもりなもんだから。ふふ。伯爵様、そろそろ体をいたわってくだせい。俺たち、伯爵様が心配しなくてもがんばりますんで。」
「むむ、ワシの楽しみを奪うつもりか? まあ、お前たちとの約束だからな。ここに来るのは休日だけにするよ。では、あとは頼んだよ。」
イアンは、そう言いながらルカを促して館に戻った。館では、スチュアートが笑顔で出迎えている。
「おかえりなさいませ。お疲れでございましょう。湯殿の用意が整っております。本日は、宴の準備も整えております。」
「そうか。ご苦労。ではルカ、すぐに湯あみをして着替えたら、こちらに戻っておいで」
イアンはそういうと、嬉しそうにルカを見送った。
「それにしても、子爵家の次男となれば爵位も継げないというのに、随分しっかりとしている。」
「ええ、本当に。どこかお若い頃のイアン様に似たものをお持ちのようですね」
並んでモスグリーンの目を細めるスチュアートの言葉に、思わずイアンは向き直った。
「おまえもそう思うか?」
「はい。そこいらの貴族連中とは、物の見方が違います。坊ちゃんは、きっと…」
「スチュアート、その話はまたいずれ。そろそろ果樹園の皆がやってくる。準備を頼んだぞ」
「はい、承知いたしました。」
その夜は、伯爵家の広間に多くの農夫が集まって、遅くまで宴が繰り広げられた。
翌朝は、あいにくの雨だった。イアンは孫を連れて、テイラー伯爵家自慢の図書室に向かった。あらゆる方面の書物が所狭しと並んでいる。
「ルカ、雨の日は、神様が体を休めて頭を鍛えるチャンスを与えているのだ。ここでゆっくりすごすと良い」
見渡す限りの書庫にルカは茫然とした。イアンが部屋を出ていくと、引き付けられるように、一か所に歩み寄った。魔法に関する書物が並んだ一角だ。それからの3日間、夏の終わりには珍しい長雨となって、ルカは時間の許す限り魔法の書物を読み漁る。
やっと雨が上がった日、朝食を摂っているルカに、スチュアートが声を掛けてきた。
「坊ちゃん。お食事が終わられましたら、イアン様の執務室にお越しください。お話したいことがあるそうです」
「分かりました。」
ルカは、残りの紅茶を飲み干すと、口元をぬぐってすぐに席を立った。カーシンのことだ。きっと今までのいきさつは伝わっているのだろう。そう思うと、自然に背筋が伸びた。
「失礼します。ルカです」
「ああ、呼び立てて悪かったな。こちらへ」
そっと扉を開けると、落ち着いた家具に囲まれたイアンが、執務机の前に座っていた。後ろにはずらりと書物が並んでいて、祖父が勉強家であることが伺える。勧められるままソファに座るが、ルカの目は、書棚の本に引き寄せられたままだ。
「やはり、気になるか。カーシンから聞いてきたのだろう?」
「はい。おじい様、是非お話を聞かせてください」
生き生きとした水色の瞳が、同じ色の祖父のそれに注がれる。すでに覚悟はできている。ルカは、膝の上の手をぎゅっとにぎりしめた。
「聞いての通り、ワシは魔法使いの末裔と言われている。随分前にドラゴンによって岩になってしまったご先祖様には、息子がいたんだ。その血筋を細々と代々伝えてきたのが、テイラー伯爵家だったのだ。それで、ルカは岩の魔法使いの歌声を聞いたそうじゃないか」
「はい。とても微かな歌声でしたが、ちゃんと聞き取れました。」
ゆっくりと頷いたイアンは、すくっと席を立ち、書棚から一冊の絵本を取り出した。
「ここにあるのは絵本だが、中身は最も忠実に描かれていると言われている。カーシンから聞いたのだが、あのソリターリオの山を登ったそうだな。まさかとは思っていたが先日の働きぶりで本当の事なんだと確信したよ。」
「スズランの朝露と、南の砂浜の星の砂。そこまでは手に入りました。あとは、生まれたばかりの赤ちゃんの産毛…」
ドンドンドン!ノックにしては荒っぽい音が聞こえた。
「どうした?」
「失礼します!今、連絡が来て、ソリターリオの南側で土砂崩れが起こったそうです。マンチェスター子爵家には被害はないようですが、近隣の村では、何軒かの家が流されたようです。」
「なんだって!」
イアンはすぐさま書棚の奥にあった大きな地図を引っ張り出し、机の上に広げた。スチュアートがそれに指で指し示す。
「この辺りが崩れたそうで、被害に遭ったのは、この村のようです」
「分かった。腕っぷしに自信のある者を何人か連れて、救助に向かいなさい。それと、すぐに鳩便でマンチェスター家に連絡を。」
「はっ!」
スチュアートはすぐさま部屋を飛び出していった。
「そんな…」
「どうした、ルカ。知り合いの家なのか?」
水色の瞳が心配そうにじっとルカを見つめている。
「アンナの実家がこの辺りだと聞いています。アンナの家には身重のお姉さんがいて、アンナも赤ちゃんの誕生を楽しみにしていたのに。今から馬車を出してもらうことはできないでしょうか」
祖父にしがみつくように訴えるルカだったが、祖父は首を横に振った。
「残念だが、今から行っても間に合わない。話の途中だったが、今日はここまでだ。ワシも支援物資の準備をしてくる。」
そのままイアンが部屋を出ると、仕方なくルカも図書室に戻った。窓の外は雨上がりの鮮やかな青空が広がっている。それなのに、ルカの心はどんよりと重い雲に覆われていた。
土砂崩れから2日、ルカは食事ものどを通らない様子で、じっと自宅のある方角を見つめ続けていた。そんな様子を見かねたイアンは、ルカにある提案をした。
「ルカ、土砂崩れのせいで、話が途中になっていたが、おまえをマンチェスター家に帰す前に、話しておきたいことがある。覚えているか、ワシが魔法使いの末裔だという話。
「はい、覚えています。それとは知らず、僕は岩の歌声を聞いたので、魔法使いを復活させたい一心で、魔法使いの歌にあったスズランの朝露と、星の砂を集めたのです。だけど…。うちの侍女のアンナが、お姉さんの赤ちゃんが生まれるから、産毛を譲ってもらえるように頼んでくれたのに、あんなことになって」
「うむ。そうだったな。では、どうして魔法使いがその三つを集めるように伝えたのかを、考えたことはあるか?」
「どうして…? それは、分からないですが、僕には、厳しい山に登るというと、一緒に登ってくれる親友がいました。彼は身分で言うと平民ですが、思いやりがあって、素晴らしい人物でした。それに、彼といると、身分の差による不当な扱いが横行していることをまざまざと見せつけられます。スズランを摘みながら見下ろした風景、南の砂浜で伯爵家の使用人に追い払われたこと。…」
ルカは、以前から感じていた違和感を吐露した。イアンはそれをじっと聞き入れて、深く頷いた。
「合格だ。そうか、おまえには素晴らしい親友がいたんだな。」
「合格?」
急に言われて、ルカは水色の瞳を瞬かせた。それを楽し気に見ていたイアンはルカとおそろいの水色の瞳に慈愛の色をにじませて告げた。
「おまえには、魔法使いになる素質がある。左肩のほくろは、北斗七星になっているか?」
「あっ…」
とっさに左肩を抑えたルカを、満足げに見つめる祖父は、改まった様子で告げた。
「ルカ・マンチェスター。おまえは、早急に赤ちゃんの産毛をもらい受け、偉大なる魔法使いに掛けられた呪いを解くのだ。我が家に伝わる伝承では、魔法使いの呪いを解くことが出来たら、3つの願いが叶えられると言われている。村を救い、親友を救うこともできる。その選択はルカ、おまえにかかっている。馬車を用意している。すぐに地元に戻って、自分に出来ることをしなさい」
「おじい様!ありがとうございます。では、すぐに村に向かいます!」
ルカは、ぺこりと頭を下げると、執務室を飛び出した。
1日かけて戻ってきたルカに、御者を務めていたスチュアートが声を掛けた。
「坊ちゃん、こちらを。イアン様からお預かりした品です。テイラー家のご子息は、どなたにも北斗七星のほくろがなく、水面下で代々伝えられてきた魔法使いの称号も途切れてしまうと嘆かれていたのです。ですが、ルカ様にその兆しがあると聞いて、それはもう嬉々としてお喜びになって…。どうか、人々のため、ご尽力くださいませ。困った時はいつでも相談に乗るとのことです。」
「ありがとうございます。お世話になりました。」
ルカは、祖父から譲り受けた大きなカバンを胸に抱いて、マンチェスター家に戻っていった。玄関を入ると、すぐにカーシンが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、ルカ様」
「村の状態はどうなっているの?」
ただいまより先に出てきた言葉に、カーシンは面食らった。しかし、すぐに気を取り直して、ルカの部屋に被害現場を詳細に記した地図を持ってきた。
「土砂崩れが起きてから、すでに3日が経っています。幸いなことに死者はありませんが、何人かけが人が出ています。それよりも、平民の村が土砂で埋まってしまって、家を無くした人々が村の集会所や漁業組合の寄り合い所に身を寄せている状況です。」
「父上は?」
「ダニエル様は、もちろん救援活動に参加されています。食事の提供や簡易トイレなどをご準備なさって、奔走されています。奥様もサロンのお仲間にお声かけくださって、衣類などの供出をいただき、アラン様、スカーレット様は学校で寄付を募ってくださって…、る、ルカ様!どうなさいました?」
気が付くと、ルカはボロボロと涙を流していた。『ああ、我が家の家族は、なんて素晴らしいんだろう。自分だけが頑張らなければと勢い込んでいたけれど、みんな、領民のために働いているんだ!』
「いや、大丈夫。みんなが、家族が、領民のことをちゃんと考えてくれているんだなって思うと、嬉しくなって…。そうだ、アンナはどうしている?」
「今、呼んでまいります」
カーシンが言うのと、ドアがノックされるのが同時だった。
「失礼します。紅茶をお持ちしました。ルカ様、お疲れ様です」
「アンナ!君の家は大丈夫だったの? ここで仕事していてもいいの?」
姉のように優しい侍女にしがみついて、矢継ぎ早に問うルカに、アンナは眉尻を下げた。
「はい、旦那様が、すぐに手配してくださって、家族も無事でいます。姉も身重でしたが、近くの病院に避難しています。初産だからか、まだ産気づかなくて。この度はそれで良かったと思っています。」
「はぁ、よかったぁ。二人に報告するよ。おじい様に会って、魔法使いの事を教えてもらってきたんだ。もし、僕に魔法使いにお願い事ができるなら、この村を必ず復興させてもらうから!」
「ルカ様!!」
アンナは思わずルカをぎゅっと抱きしめた。
「私もルカ様を誇りに思います。」
ルカの顔面がアンナの胸でふさがれているのをいいことに、カーシンはルカごとアンナを抱きしめた。
帰宅した翌日には、ルカも救援物資の運搬を手伝った。そして、それから3日後、ついにアンナの姉が無事に赤ちゃんを出産した。
「ルカ様、息子の産毛です。どうぞ受け取ってください」
ベッドに横たわるアンナの姉は、出産の後だというのに、バラ色の頬で幸せそうに微笑んでいた。その横には、照れ臭そうな夫がこわごわという様子で小さな赤ん坊を抱いている。魚の加工業をしているというその男は、いかつい風貌からは考えられないほど、眉を下げて幸せそうに小さな命を見つめていた。
「ベス、ありがとうよ。こんなに小さいのに、この耳の形、俺そっくりじゃねぇか。へへ。跡継ぎも出来たし、俺も頑張らねぇとな。」
工場はつぶれてしまったけれど、夫はまだ頑張る気持ちを失ってはいなかった。そんな姿を目の当たりにして、ルカもこぶしを握る。
「ありがとうございました。では、僕は急ぐので」
そう言うと、すぐに学校の裏の岩まで駆けて行った。赤ちゃんが生まれるのを待つ間、昼間は復興の手伝いをして、夜には部屋にこもってイアンから譲り受けた魔法に関する本を読み漁っていたのだ。祖父から渡された大きなカバンにその本を詰め、3つのガラスの小瓶を岩の前に並べ、ルカは息を整えた。