第7章 試練 1
部屋に戻ると、「おかえり」と迎えてくれる同僚はもういない。ルカは改めてパットが隣国の王子だった事を実感した。
「疲れた…」
ベッドに倒れ込んでぼんやりと今日一日の事を思い出していた。華やかでありながら厳かだった成婚式、不信感を見逃したいのに、見逃せなかった同僚の工作、その後の彼の良心の呵責。そして隣国での話し合い。
こんなことが一日にあっていいものか。それにしても、どうしていいものか分からなくて思い悩んでいたのに、アーチャーもアリアもすでに事態を把握していただなんて、なんだかなぁ。
頭の中でいろんなことがグルグルと回っている。視界の先にはパットのベッドが今朝起きたままくしゃりとしわになっている。さっきまでそこで眠っていたかのようだ。
「ダメだ、切り替えよう!」
ルカは立ち上がりシャワーを浴びて、ベッドにもぐりこんだ。明日は成婚パレードだ。多くの国民が一目二人を見ようと押しかけるだろう。油断は許されない。
翌朝も素晴らしいお天気だった。多くの国民に紛れて、ルカの姉、スカーレットが侍女を伴ってやってきた。昨日からフィリップは護衛の仕事で帰ってこない。それならばと、弟と夫の仕事ぶりを見てやろうという考えだ。
「奥様、こちらのお席に」
「ええ、ありがとう、スージー。すごい人たちね。ここから見えるかしら。」
「大丈夫でございますわ。ここは、建物の二階ですし、人に揉まれずにご覧になりますわ。」
建物の2階にあるパーラーの窓際の席に陣取って、嬉しそうに外の沿道を見下ろすスカーレットは、ようやく伯爵夫人として落ち着いてきたところだ。コールマン家では、演奏の傍ら、事務仕事も義母から習い始めていたのだが、新婚早々から仕事に夫を取られている嫁を不憫に想い、今日は一日お休みにしてくれたのだ。
「あら、あれはルカだわ。ふふ、魔術師の服装もすっかり板についてきたわね」
「ルカ様は文官でありながら、アーチャー首相の右腕とも言われておられますものね。」
スージーも楽し気に返している。
王宮の門の近くでは、沿道に並ぶ人々が一段と騒がしくなってきた。
「奥様、そろそろですわよ。」
身を乗り出して見ていると、パーラーに他の客もざわざわと押しかけて来た。あっという間に窓際に張り付いて、大騒ぎを始めた。
「やっぱりアレックス国王が一番素敵だわ。」
「あら、もうご成婚されてしまったじゃない。私はルカ様押しよ。文官に成られたころは、まだあどけなさが残っていたのに、最近はすっかり男らしくなられて。はぁ、一度でいいからお話してみたいわ。」
「貴方たち、ご存知ないの? 最近魔術師団が編成されて、そこにいらっしゃるコールマン様って、ホントに素敵なのよ。バイオリンは相当な腕なんですって!あら、見て!コールマン様よ!」
その声に思わず席を立ったスカーレットは、不意に後ろから腕を引かれた。
「奥様、旦那様が通られま…、あら?奥様?どちらに?」
スカーレットの姿は忽然と消えてしまったのだ。
パレードが無事に終わり、やっと自宅に帰れたフィリップを待っていたのは、スージーだった。目を真っ赤に泣きはらして門の前に座り込んでいた。フィリップは慌てて馬車を止めてスージーに声を掛ける。
「どうした、スージー?」
「旦那様、奥様が、奥様が…」
「ほら、落ち着いて」
「今日のパレードを一緒に見に行こうとおっしゃって、王宮の沿道のすぐそばになる2階のパーラーにいたのですが、急にお姿が見えなくなって、さっきまで街中さがしていたのですが。」
「!!」
疲れているはずの体にツンっと冷たい汗が流れ、フィリップは身を固くする。
「スージー、すぐに馬車に乗れ!」
御者を急かして、自宅に帰ると、フィリップはすぐさま執事に事の次第を伝え、捜索を指示した。そして、スカーレットの部屋に入ると、ぎゅっと目を閉じて見た。
「どうしてだ。なぜスカーレットが誘拐される?」
心配と焦りと悔しさと疲れがないまぜになって、冷静さが取り戻せない。フィリップはどうしても、時を遡る術が使えないでした。
スカーレット行方不明については、すぐさまマンチェスター家にも伝えられ、ルカが知るところとなった。ルカはすぐさまアリアに相談をしようと連絡をとったが、意外な言葉が返ってきた。
「おかしいなぁ。実は、ジョーとも連絡が取れないんだ。」
やはりおかしい。ルカは焦る気持ちを抑えて、ロベールに面会を求めた。しかし、部隊長のロベールとは、どうにもすれ違ってばかりで、会えない。
そんなルカの元に、瀕死の状態のジョーが見つかったと連絡が入った。急いで駆け付けると、すでにアリアが治癒魔法を掛けているところだった。体中が包帯で巻かれているが、すでに白かった包帯は赤くにじんでいる。アリアの表情から本当にギリギリのところで命をつないでいるのだという事が分かった。
「師匠、変わります。休んでください。」
そういうと、ルカもすぐさま治癒魔法を展開する。どんなに魔力を注いでも、ぐんぐん吸い取られていくようだ。後ろでどさっと音がして振り向くと、アリアがソファに倒れ込んでいた。
「何があったんだよ、ジョー!しっかりしてくれ!」
「今は黙って治癒に専念しろ。到底意識を取り戻せる状態ではない。足に2発、肩に1発、脇腹にも1発、耳の上にはギリギリ掠ったような傷もある。よくぞ逃げ出せたというところだろう。」
アリアですら疲労で息が荒い。
「師匠、これって、やはり…」
「ああ、イーダの国政反対派だろう。これを見ろ。」
アリアが重い体を起こして、ジョーの握りしめられた手を指さす。そこにはテープでぐるりと巻きつけられた中に何かのケースが入っていた。自分が意識を無くしても、必ず持ち帰ろうと思っていた事が伺える。
「ジョーがどこで、見つかったか、聞いているか?」
「いえ…」
「北西の国境に近い林の木の枝に引っ掛かっていたんだ。」
ルカは思わず師匠の方を見つめた。嘘だろ、木の枝に引っ掛かるなんてありえない。ルカの顔にはそう書いてあるようだった。
「空から偵察していて見つけたんだ。頭の位置から考えると、ウェイン辺境地伯領か、ロベール伯爵領あたりか。」
「そういえば、ロベールさんとどうしても会えないんです。先日まではここまですれ違うこともなかったのに。なにか…、得体のしれない壁を感じるというか…。」
ジョーの息遣いが少し穏やかになってきた。ルカはそっとその手にあるケースのような物をジョーの手のひらから取り出した。
「この家紋は…。」




