第1章 解呪と覚醒 3
頂上はすぐそこのように見えているのに、実際にはなかなか到着できない。それでも、二人は根気よく、歩を進め、とうとう山頂に到着した。
「ルカ!こっちだ!」
ジョーの舞い上がるような声に駆け寄ると、岩の周りに愛らしいスズランが咲いていた。
「これがスズランか…」
「だけど、スズランの朝露って、言ってたよね。じゃあ、少し下の岩陰でもう一泊しなくちゃいけないね」
「そうか、そうだったな。それにしても…」
頷きながら、ジョーは言葉を無くして辺りを見渡す。伯爵家の領地を分ける背の高い山脈が北側に続いている。そして、海側にはその領地が広がっていた。ゆったりとした広い屋敷は伯爵家の館だろう。南向きのなだらかな小高い丘には貴族たちの館が並んでいる。ルカの家マンチェスター家もその辺りに館を構えているのだ。そのずっと奥に行ったごつごつした岩場の隅にジョーの家がある集落があった。
「貴族なんて、夏のバカンスにしか来ないくせに、せっかくの漁場が、ほとんど陣取られているよね」
誰にとはなくつぶやくルカの言葉には、苦い想いが籠っていた。
「さぁ、テントを張ろう。明日は早起きしなくちゃな」
「そうだね。ジョー、寝坊しないでよ。」
「それはこっちのセリフだ」
二人はさっさとテントに潜り込んで、翌朝に備えた。
翌朝、寒さに目を覚ましたルカは、そっとテントの外の様子を確かめる。東の空からほのかな明かりが広がっている。大丈夫、天気は上々だ。すぐにテントの中に目を移して、ぐっすり眠っているジョーに声を掛けた。
「ジョー、起きてよ。朝露が消える前に摘み取らなくちゃ」
「ん、おはよ。」
眠そうに瞼をこすりながらジョーが起き出した。さっさとテントを片付けると、二人はさっそくスズランの咲いていた山頂に出向いた。朝日がさっと差し込むと、スズランの花に朝露が輝いていた。
ルカは早速小瓶を取り出して、小さな白い花を1輪だけ摘み取ってコルクで閉じ込める。
「やったな!」
「うん!じゃあ、帰ろう!」
頷き合う二人に朝日が当たり、心まで暖めるようだった。
数日後、意気揚々と帰ってきた二人は、報告を兼ねて長老にスズランの小瓶を見せた。
「ああ、なんと神々しい。よく見ると、朝露に魔力が籠っておる。これが魔法使いの言うスズランに間違いないだろう。では、こちらの棚に預かっておこう。」
「ありがとうございます。じゃあ、僕たちは、これから南の砂浜にある星形の砂を探しに行ってきます」
その言葉に長老が眉をひそめて、二人を止めた。
「南の砂浜じゃと? そこには時々人魚がやってくると言われておる。お前たち、十分に気を付けるのじゃ。」
「人魚ですか?」
「そうじゃ。人魚が声を掛けたら、絶対に話に乗ってはいけない。海の底に引きづり込まれてしまうんじゃ。もう何人も若い漁師がいなくなっている。」
「本当だったんだ…」
呟くジョーを心配そうに見つめるルカに、ジョーは以前に見たことがあると告げて、二人を驚かせた。
「長老様、分かりました。十分気をつけます。ルカ、おまえは人がいいから気をつけろよ」
「分かってるよ。じゃあ、行ってきます」
二人は再び小さな小瓶をもらって、南の砂浜へとやってきた。貴族が夕涼みのパーティーを開いたりしているこの南の砂浜も、朝は、人の姿もなく静かだった。
二人が波打ち際までやってくると、ビール瓶や食器などが浜辺に散乱していた。貴族たちの宴では酒が振舞われ、身分の高い大人たちがはしゃぎまわる。ルカはそんな貴族たちのやりようがたまらなく嫌いだった。散々騒いだ後は、さっさと館に引き上げていく。後片付けの時間ももらえず、使用人たちは次々に命令を言い渡されて、大方の荷物を持って大慌てで館に帰っていくのだ。
ふと振り向くと、ジョーがそんなゴミをその辺りに転がっていたバケツに集めていた。ルカもそれに倣ってゴミを集め始めると、ジョーが慌てて止めた。
「ルカ!それはおまえのやる事じゃない。俺たちの仕事だ」
「だけど…。」
言いかけた時、不意に大人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前たち!何をしている!ここはゴードン伯爵の砂浜だぞ!金目のものが落ちていないか探しに来たのか?」
「あの、ゴミが…」
「言い訳するな!さっさと立ち去れ!」
男はいきなりジョーを殴りつけた。その拍子に持っていたバケツのゴミが散らばり、一層怒鳴りつける。
「お前、ゴミを散らかすな!それだけ片付けたらさっさと立ち去れ!」
「ちょっと待って!」
慌てて間に入ったルカを見とめると、男はおやっと振り上げた腕を止めた。
「これは、マンチェスター子爵のご令息ではないか。貴族がそんなものと一緒にいてはロクな事がないぞ。悪いことは言わない。貴族は貴族らしくなさい!」
「ひどい!ジョーを悪く言うことは僕が許さない!」
掴みかかろうとするルカの手を、男は簡単にねじり上げて言う。
「あんまりな事をするようなら、マンチェスター子爵に注意することになるんだが、いいのか?」
家の名前を出されると、何も言えない。握りしめたこぶしが怒りに震えているが、ルカはぐっと堪えてジョーを振り返った。
「ジョー、行こう」
二人はちらばったゴミを急いで集めると、美しい砂浜を後にした。貴族の避暑地のはずれまでやってくると、ジョーがぼそりとつぶやく。
「ルカ、俺は気にしていないから。」
「僕が嫌なんだ! チクショー!」
ルカは砂浜のはずれの大きな岩に突っ伏して、こぶしを握り締めている。そんなルカをしり目に、ジョーはゆっくりと星の砂を探し始めた。星の砂とは、どんな大きさのどういうものなのか、それすらも見当もつかない。ヒトデやサンゴのかけらを見つけては、首をひねっていた。
ゆっくりと移動しながら星の砂を探しているうちに、ルカからすっかり離れてしまった。振り向くと、随分向こうにある大きな岩に、突っ伏したまま動かないルカが見える。
「あれ、もしかして寝ちゃってる?」
仕方ない、一人でも探そうと、不意に海に目を移すと、目の前に愛らしい女の子が波に揺られながらジョーを見ていた。
「あの…。一人ですか?」
あまり耳にすることがない甘ったるい声が聞こえ、ジョーは慌てて視線を逸らす。あれは人魚だ。長老や漁業組合の人が言っていた係わってはいけない相手。ジョーは陸に目を移して、もくもくと星の砂を探す。
「ねえ、私も一人なの。お姉ちゃんと逸れて、痛いのに、どうしていいか分からなくて」
背中を向けたまま、そっと後ろを伺うと、弟オスカーと同じぐらいのあどけない少女が泣きべそをかいていた。波打つ長い緑の髪に透き通るような白い肌。深い青緑色の瞳は海の底のように神秘的だ。その瞳から真珠のような涙が今にも零れ落ちそうになっていた。腕からは血が流れている。どうやらこの辺りの岩場で傷ついたのだろう。
たまらなくなったジョーは慌てて家に戻ると、消毒液と軟膏を持って戻ってきた。そして、服が濡れるのも構わず、ザブザブと人魚のいる浅瀬を進んだ。
「怪我してるじゃないか。ほら、腕を出して。」
ジョーに言われるまま素直に腕を出す人魚は、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「ごめんなさい。人魚は人を海に引きづり込むって、言われているんでしょ?それなのに、こんな…」
「俺には、おまえぐらいの弟がいるんだ。だから、ほっとけないんだよ」
「…ありがとう」
それからしばらく、ジョーはこの幼い人魚といろんな話をして時間を過ごした。そして、ルカが目を覚ましたのを合図に、「じゃあ、また」とジョーはその場を去った。
「ジョー、ごめんね。僕、眠ってしまってたんだね」
「疲れてたんだろ。今日はもう日が暮れるから、次の休みに来よう」
「そうだね。いやぁ、不思議なんだよ。急に眠気が来て。」
「へぇ…」
そんな話をしながら、なぜかルカは違和感を覚えていた。眠ってしまったこともそうだが、ジョーの様子がいつもと違う気がしたのだ。微かに赤い耳、妙に潤んだ瞳。こんな親友は見たことがない。でも、自分を嫌がったり避けたりするわけではないようだ。不思議な感覚を覚えたまま、二人は帰路についた。
次の休日も、二人は砂浜に繰り出し、星の砂を探していたが、やはり途中でルカは眠気に襲われ岩場に倒れこんだ。
「おい、ルカ!どうなってるんだ?」
戸惑いながらも、ジョーの目はすでに海にむけられてる。すると、出会った時と同じ岩場で、幼い人魚が手を振っていた。
「あれから怪我の具合はどうだ?」
「ありがとう。もうすっかり元気になったわ。」
嬉しそうに微笑む姿に、ジョーの目じりが下がった。
「ねえ、この前から何を探していたの?」
不意に尋ねられて、ほんの一瞬戸惑ったが、人魚と魔法使いに関係はないかと、ジョーはこれまでのいきさつを話した。
「あんな高い山に登ったの?すごいなぁ。スズランの花かぁ。きれいなんでしょうね。それで、星の砂を探しているのね? ん、どこかで聞いたことがあるわ。私、お姉ちゃんにそれとなく聞いてみるね。」
「ああ、頼むよ」
それからしばらく話をして、再びルカの目覚めを機に、二人は分かれた。
自宅に帰ったルカは、考え込んでいた。星の砂を探しに行く度に、急に眠気に襲われる。今までこんなことは一度もなかった。それに、ジョーの雰囲気が変わってきていることにも引っ掛かりを覚える。
「ルカ、どうかしたの? 手が止まっているわ。」
聡明な姉、スカーレットの声にはっとして周りを見ると、珍しく家族が揃ってこちらを見つめていた。
「もしかして、ルカにも好きな子が出来たのかな?」
「あら、そうなの? あなたは、私たち兄弟の中で一番自由に生きられるんだもの。ぜひ、その恋の進展を聞かせてほしいわ。」
「恋?」
めったに会えない兄姉たちに思いもしなかったことを言われて、ルカはぽかんとしてしまった。
「うふふ。スカーレットったら。見てごらんなさい。ルカがぽかんとしているわ。まだまだ子どもね」
「ルカ、急がなくてもいいぞ。お前は次男なんだから、自身の身を立てることを一番に考えなさい」
「はい、父上。精進します」
楽しそうな母と堅実な父、絵にかいたような幸せで穏やかな団欒がそこにはあった。アンナが食べ終わった食器を下げ、紅茶を運んでくる。両親は、先日行われた伯爵家主催の夜会の話に花を咲かせ、スカーレットはアランに学校のティーパーティーでの噂話の真偽について意見を求めていた。貴族であるスカーレットの周りでは、そろそろ婚約の話が囁かれているという。
そんな家族をぼんやり見つめながら、ルカは、先ほどのスカーレットたちの話が気になっていた。『恋』、もしかして、ジョーは誰かに恋をしているんだろうか。あの内側から湧き上がってくるような笑み。ずっと仲良くしていたけれど、あんな顔は見たことがなかった。だけど、それでは誰に? 胸の奥にチリッと嫌な予感を覚え、ルカは人知れず唇をかみしめた。
次の日の学校の帰り、用事があるからとジョーと別れて、一人でいつもの砂浜にやってきたルカは、ゆっくりと砂浜を調べ始めた。広い砂浜に一体どんな大きさの星の砂があるのか、どんな色なのか、手掛かりは何もない。疲れを感じたルカが岩場に腰かけてぼんやり海を眺めていると、どこからかチャプンっ音がした。振り向いたルカは、目の端に波打つ緑の髪と尾びれが見え、急いで音のする方に向かって行ったが、その姿は見つけられなかった。
「今のは、人魚…。ジョーが一緒じゃなかったから、姿を見せなかったのか?」
頭の奥にグサリと楔が刺さったような感覚で、ルカは急いで砂浜を後にした。砂に汚れた足をそのままに自宅に帰ってきたルカは、アンナに家に入るのを止められた。