第3章 スカーレットの婚約 3
「皆さん、今日は来てくださってありがとうございます。少しの時間ですが、私のピアノでゆっくりとお寛ぎください。」
こぎれいな衣装を身に着けて挨拶をするのは、マーガレットの兄トーマス・バーナードだ。バーナード家は貴族ではないが、商人としては成功している家柄だった。マーガレットも、いつもと違って上品なワンピ―スに身を包んでいる。
聴衆からの温かい拍手を受け、トーマスがピアノに向い、繊細な音を醸し出す。
「トーマスったら、また腕を上げたわ。最後の曲は圧巻だったわね」
「僕は姉上のピアノを聞いて育ったから慣れているけど、それでもうっとりしたよ。」
ルカとスカーレットが会場を出ようとしたところに、声が掛けられた。
「マンチェスター君!」
「ああ、バーナードさん。今日はお招きありがとう。いい演奏だったよ。あ、紹介するね。こちら、僕の姉のスカーレット。姉さん、こちらは、クラスメートのマーガレット・バーナードさんだよ。今日のリサイタルに招待してくれたんだ」
「まぁ、そうなのね。ありがとう。じゃあ、バーナード君の妹さんなのね。」
マーガレットは、頬を染めて緊張した様子で「はい。」と答えるだけだった。
「やぁ、君も来てくれていたんだね。ありがとう!」
「ええ、妹さんにお招きいただいたんですの。素敵なリサイタルでしたわ。バーナードさん、また腕を上げたのではなくて? 私も精進しなくてはいけないわ。今日、サーガ教授はいらっしゃらないのかしら?」
「ああ、教授なら、奥の控室にいらっしゃいますよ。マーガレット、お連れしてくれ。」
「はい!」
マーガレットはパッと明るい笑顔になって、スカーレットを奥の部屋に勧めた。それを見送って、トーマスがルカに声を掛けた。
「ルカ君だね?妹が仲良くしてもらっていると話していたよ。ありがとう。」
「いえ、こちらが良くしてもらっています。あの、急に変なことを聞くようですが、トーマスさんは、フィリップ・コールマンという人をご存知ですか?」
「フィリップ? ああ、知っているよ。彼とは、以前同じ先生の元で習っていたからね。それがどうかした?」
「訳あって、どんな人物か知りたくて…」
トーマスは、何か事情を隠していそうなルカをじっと眺めていたが、ふと思いついて尋ねた。
「もしかして、お姉さんの縁談?貴族同志は家のつながりが重要だと聞くし」
「えっと…。」
まさか言い当てられるとは思わなかったルカは、うろたえてしまった。そんな様子を見て、ふっと笑みをこぼしたトーマスは、簡単に説明することにした。
「フィリップは、君も知っていると思うけど、貴族の嫡男だ。ゴリゴリのお貴族様だから、僕たち平民には見向きもしない。だけど、そうだな。ピアノに向かう姿は真剣そのものだった。僕たち平民は、貴族の子どもたちの練習が終わってからでないと見てもらえないから、時間延長するフィリップには参っていた。だけど、負けず嫌いで、君のお姉さんとはいいライバルだったから、いつも意識していたと思うよ。」
「じゃあ、あまり姉上に良い印象がないってことでしょうか?」
心配げに言うルカに、トーマスは笑って答える。
「そんなことはないと思うよ。同じピアノに人生をかけている仲間ってことでは、相棒的な気持ちもあるんじゃないかな。そういえば、フィリップの家は音楽家を育てるのに熱心な家だから、先日の大きな大会で優勝した君のお姉さんが候補に選ばれるのは当然かもしれないね。」
会場からマーガレットとスカーレットが戻ってきた。
「ルカ、待たせたわね。それじゃあ、帰りましょう。では、バーナード君、ご機嫌よう。」
「ああ、今日は来てくれてありがとう。」
トーマスはちらっとルカにも目をやって頷いた。それに答えて頷くルカだったが、その表情は複雑なままだった。
その日も学校帰りに鍛錬をしていると、アリアが二人に声を掛けた。
「実は、明日からしばらく留守をすることになった。」
「どちらに行かれるのですか?」
王族やアーチャーからの依頼で、出かけることはあったが、しばらく留守にするということは今までなかった。ルカとジョーは顔を見合わせて驚いていた。
「まぁ、めでたい話だし、お前たちには話してもいいだろう。隣国までアレックス国王と出かけてくる。いよいよ婚姻の準備が始まっているのでな。」
ルカは一度アレックスに対面していた。あれは、アリアがアレックスの父アイザックの悪政を批判し、引退を促した時だ。しっかりとした意志のある瞳を持った王子のことは、アリアも絶賛していた。
「その間のお前たちの鍛錬のメニューは決めてある。ルカ、ジョー、受け取れ。しっかり励めよ。」
「「はい!」」
勢いよく返事をしてからメニュー表を見たジョーは、「ひえー!」と思わず悲鳴を上げた。
「何が、ひえーだ。危険な術は私が帰るまで使わないように。基礎鍛錬を怠るなよ。では、今日はここまでだ。」
ルカとジョーは揃って鍛錬場を出ると、家に向かって歩き出した。
「なぁ、ルカ。おまえはアレックス王に会ったことがあるのか?」
「ああ、一度だけな。もう4年も前になるけど。すごく賢そうな人だったよ。」
「ふ~ん。」
ジョーはぼんやりと遠くを見つめるように返事をする。
「なんだよ。何か気になったのか?」
「ああ、このままルカがアリア様の右腕として働くようになったら、国王の傍で働くのかなぁって思ってさ。」
「まぁ、そうなれるように努力するけど…。いや、そうじゃなくて。ジョーだって、一緒に働いてくれるんだろ?」
「んー。だって、俺は平民だから、そこまで取り立ててもらえるのかなぁって、思うんだ。」
「何言ってるんだ。お貴族様に王族が守れると思うのか?騎士団や護衛の兵士も指揮官はともかく、ほとんどが平民じゃないか。実力主義の世界だぞ。」
「だな。よーし、俺もがんばるか!ルカが首相になってくれたら、世の中も随分変わるだろうなぁ。じゃあな」
「ああ、また明日!」
ルカが手をあげて走り去るのを見送って、ジョーはふと視線を下げる。確かに、ルカが首相に成れたら世の中は変わるかもしれない。でも、そんなに簡単な話ではないとジョーは身に染みて分かっていた。
「まぁ、食い扶持ぐらいは保証してくれそうだし、あいつに付いて行くしかなさそうだな。」
それから数日が過ぎても、アリアは帰ってこなかった。基礎のメニューを続けながら、手を止めてしまうジョーがいた。となりでは、懸命に腕立て伏せを続けるルカがいる。だけど、こんなことをしても、どれだけ自分に有利にことが動くというのだ。そう思うと、なかなか鍛錬に身が入らないジョーだった。
パタパタと羽音を響かせて、鳩便がやってきた。急いで鳩の足の手紙を外して広げると、王都のテイラー伯爵家の別宅に努めるギルバートからだった。
「追放された王子が兵隊を従えて王宮に向かっているだって? …そうか、今は、王宮にアレックス王もアーチャー首相もいない!護衛たちも半分は王様に付いて行ったはずだ!」
「ルカ、ヤバいな」
「うん、すぐに移動しよう!スズランを取ってくる。」




