359にちめ②
山の中腹にある桜の樹に囲まれた平原で佇んでいると、雲に隠れていた満月が顔を見せたタイミングで、無数の足音が俺の鼓膜を震わせた。
……来たか。
「と、討伐対象発見しました!」
程なくざっと500人近くはいる武装した人間が、前方に現れた。
やれやれ、たった1匹のオーガ相手に、随分な大世帯じゃねーか。
「うむ、ご苦労。ふふ、どんな化け物が出てくるかと期待していたが、背丈は我々と然程変わらんではないか。これは期待外れだったな」
中央に立っている金色の鎧を着たハゲが、大振りの剣を地面に突き刺した。
「よお、あんたがリーダーか?」
「いかにも! 我こそは王国軍第七師団長ハルゲ! 貴様を屠る名だ! 冥土の土産にするがいい!」
しねーよ。
しかもハゲの名前がハルゲって。
これぞ名は体を表すってやつか?
「なあ、俺から一つ提案があるんだけどよ」
「提案、だと?」
「ああ、俺は大人しく命を差し出すからよ。その代わり、ニナのことだけはお前らが保護してやってくんねーか。ニナはお前らと同じただの人間だ。殺す必要はねーはずだろう?」
「フン、何を言い出すかと思えば。そんなもの、却下に決まっているだろう」
「――! ……何でだよ」
「そんなこともわからんのか? オーガに1年も育てられた女だぞ! 人間に対して、どんな敵対意識を持っているかもわからん!」
「いや、ニナはそんな子じゃねーよ!? そもそも俺だって、別にお前らに敵対意識なんか持ってねーよ!」
「フン、口では何とでも言える。どちらにせよ、我々は上からお前とお前の娘を討伐せよという命令を受けてここに来ているのだ。軍人として、その命に背くことは絶対にない。覚悟するんだな」
「チッ、人間ってのは、本当に頭が固ぇんだな」
俺はオーガで、つくづくよかったぜ。
「これ以上の問答は無用。――全軍、掛かれええ!!」
「「「オォウ!!」」」
――そういうことなら、俺も容赦はしねーからな。
「オラァ!!」
「「「っ!!!」」」
俺はここに来る前にたっぷりと岩を用意してきたんだ。
その中の一つを掴み、突撃してきた兵士の群れに思い切りブン投げた。
岩は何人もの兵士の身体を貫通した。
「「「ひ、ひいいいいい!?!?」」」
「オラオラまだまだぁ!!」
続け様に次々と、ありったけの岩を投げ続ける。
全部の岩を投げ終わった頃には、兵士の数は半分くらいまで減っていた。
ふう、これで大分楽になったな。
「くっ! 何をしておるッ! あっちが飛び道具を使うなら、こちらも弓で対抗せんかッ!」
「「「ハ、ハッ!!」」」
今度は一転、一斉に矢を放ってきたがった。
フン、そんなチャチなもん、効くかよぉ!
「ウルアアアア!!」
「「「っ!?!?」」」
俺は身体に刺さる無数の矢を物ともせず、そのまま大群に突貫した。
「オラオラオラァ!!」
「がはっ」
「ぽげっ」
「ぷっ」
そして手当たり次第拳や蹴りを放つ。
人間たちは紙くずみたいに弾け飛んでいった。
「そ、それでも貴様ら誇り高き王国軍人か!? 一斉に斬り掛かるのだッ!! 殺せッ!! 殺せぇッ!!!」
「「「ハ、ハッ!!」」」
「ぐっ!?」
おっと、中には骨のあるやつもいるじゃねーか。
いくつか痛ぇのをもらっちまったぜ。
ハハッ、血が減って目が霞んできやがった……。
でも、まだだ……。
まだ俺は――。
「フン、所詮はこの程度だったか。焦らせおって。トドメはこのハルゲ、自らが刺してやるわぁ!」
「がっ! ……はっ」
ハゲの突き出した剣が、俺の腹を貫通した――。
……ふうん、なかなか悪くねぇ突きだ。
伊達に師団長はやってねぇみてえだな。
――だが。
「ありがとよ。近付く手間が省けたぜ」
「何?」
「フンッ」
「プギョポッ」
「「「っ!?!?」」」
俺はハゲの頭を左右から手のひらで押し潰した。
ハゲの頭は俺の手の中でプチュンと小気味良い音を立てた。
「「「ひ、ひいいいいい!?!? 化け物だあああああ!!!」」」
途端、残った兵士たちは蜘蛛の子を散らすみたいに一斉に逃げ出した。
オイオイ、軍人にとって命令は絶対じゃなかったのかよ。
まったく、人間てのはつくづく勝手な生き物だな。
「あ……あ……あ……」
その中に1人、逃げ遅れてションベンを漏らしてへたり込んでいる男がいた。
俺はその男に近付き、ジッと見下ろす。
「ヒィッ!?」
「……オイ、上の連中に伝えろ」
「っ!?」
男が目を見開いた。
「俺はお前らが攻撃してこない限り、こっちからは危害は加えないと約束する。――だが、次もしもこの山を荒らすことがあったら、王国の人間を1匹残らず殺す、ってな」
「ヒイイイイイイ……!!!」
男の股の下はちょっとした湖みたいになっていた。
「……行け」
「は、はいいいいいいい!!!」
男は四つん這いになって、涙と鼻水を垂れ流しながら逃げて行った。
後には夜の静寂だけが残った。
「……ふぅ、一丁上がり、と。…………うっ」
流石に立っていられなくなり、仰向けに倒れ込む。
夜空には煌々と輝く満月。
その光に照らされて、桜吹雪がハラハラと舞っていた。
……なるほど……これはなかなかに……風流だ……な……。
……ニナにも……この景色を……見せてやりたかった……な……。