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幕間 ジルウォード/襲撃事件直後の記憶 後編



 ジルサンドラの葬儀が終わった直後、ジルウォードはいったん王都に向かうことになった。

 聖殿に慰謝料を支払うためだ。

 ルシエル領主夫妻は既に蟄居の処分が下っているので城から出ることが出来ない。ジルウォードも王都への立ち入り禁止処分を受けているが、慰謝料の支払いのために二日だけ特別に滞在が許された。


 ジルウォードは王都についてすぐにモンド大聖殿の聖殿長に会い、嫌味を言われつつ取り決められた慰謝料を支払った。

 それからジルウォードは予め手紙を書いていた知人と面会する。


「やあ、ジルウォード。遠慮はるばるご苦労様。聖殿長たちにずいぶんいびられていたね」

「おまえはそれを楽しそうに見ていたな」

「まさか……攻められる友人の姿に心を痛めていたとも」


 わざとらしく胸に手を当てたのはいかにも優男という風情の男だった。

 碧の髪に濃灰色の瞳、温厚そうな顔立ちをしているその男は、ジルウォードの学園時代の同期イラリオン・ブランジェットである。

 今は聖殿で司祭を勤めている人物だ。


 ジルウォードはイラリオンに聖殿長に納めた慰謝料とは別に持ってきた荷物を押しつけた。

 中身は上等な絹の織物や希少価値の高い精霊石だ。


「おや、これは?」

「ブランジェット司祭にルシエル伯爵から贈り物です」


 ジルウォードはことさら丁寧にそう告げた。

 イラリオンはカラント貴族の母を持ち王都モンドで生まれているが、父親は聖殿の本拠地聖都シードバスに八人いる大司祭のひとりだ。父方の家系は代々聖都で聖職者を務めている。

 つまり聖殿の上層部に強いコネクションを持つ若者ということだ。


 ようするにこれは聖都の父親からモンド聖殿にこれ以上騒ぎを大きくしないよう圧力を掛けて欲しいというお願いのための寄進、袖の下だ。


「うーん……これは困ったねぇ……」


 イラリオンはまったく困っていない顔つきで頬に手を当てた。


「知ってると思うけど、聖女ミルフローラを保護しているのは僕なんだ」

「存じております。だからこそこちらを貴方様に謝罪の品としてお渡ししたいのです」

「他人行儀な話し方はやめておくれ……君と僕との仲だろう。これはちゃんと受け取るとも」


 イラリオンは箱を引き取り、にこりと笑った。

 ジルウォードは少しだけ体勢を崩した。


「聖女の様子はどうなんだ? 命の危機は脱しているとは聞いたが……」

「問題ないよ。目覚めて最初はほとんど起きていられなかったけど、今はベッドの上で少しくらい読書できる程度には回復してる」

「ずいぶん酷い怪我だったそうだな」

「まあね……孔雀眼由来の自己治癒能力の高さに加えて聖殿総出で回復魔法を掛けたから身体的に後遺症の問題はない。精神面はわからないが……」

「申し訳ない」


 ジルウォードは両手を握り込み、額に押しつけ謝罪した。

 彼の妹と同じ歳の少女である。突然見知らぬものたちに襲われ殺され掛けた恐怖は想像して有り余る。いや彼女が孔雀眼ではなかったら高い確率で死んでいただろう。


 本来なら聖女ミルフローラ本人に直接謝罪すべきだが、それが出来ない以上これが精一杯だ。


「まさかジルサンドラがこんなことをしでかすとは……」


 ジルサンドラは王太子の婚約者になった関係上、一年のほとんどを王都ですごす。夏の長期休暇も王都の別宅か王宮に滞在し、ルシエル寮に戻ってくるのは冬の一時期だ。

 もちろん教育のための側仕えはいるし、学園に滞在する弟のクルスや一族の年が近い者たちから普段どのように過ごしているかは折に触れて報告させていた。

 ジルサンドラが聖女ミルフローラに当たりがきつい、彼女に嫌がらせをしているようだ、という報告ももちろん受けていた。

 ただ同時にミルフローラが王太子エディアルドと親しげである、親密さがましてきている、と言った話も耳に挟んでいた。


 ジルサンドラの態度も頭が痛いが、エディアルドとミルフローラの関係もいい気はしない。


 ジルウォードも両親も口先では妹に淑女の振る舞いをするよう、寛容であるように言い聞かせていた。

 ただ内心、妹の立場を考えれば少しくらいは致し方ないのだろうと甘く考えてもいた。

 どうせ王太子とミルフローラが結婚できるわけではない。王太子もいずれはミルフローラから離れ、またジルサンドラを大切にするだろう。それまで、短い間の話なのだと思っていたのだ。


 しかし蓋を開けてみれば、ジルサンドラはミルフローラを襲撃し、彼女を殺しかけた。

 この程度、など考えてはいけなかったのだ。


「……古今東西、恋心の暴走ほど恐ろしいものはないからね」


 イラリオンは言ってふと俺から顔を逸らし、窓の外を見やった。


「君は、妹が襲撃を企てたと思っているんだね」

「……そうだろう。証拠物もある」

「まあそうなんだが……正直僕は未だにちょっと信じられなくてね……僕の知っているサンドラなら、あそこまでのことはしない」

「恋心の暴走は恐ろしいんだろ」

「そうなんだが……」


 イラリオンは曖昧にうなずいた。

 それからジルウォードを見て、少し笑う。


「そういえば、そろそろ結婚だろう? 式はいつだい?」


 質問にジルウォードは顔をしかめる。


「嫌味か? 今の状態で結婚なんて出来るわけないだろう。当面は予定なしだ」

「おや……ひょっとして婚約破棄でもされたのかい?」

「そんなわけないだろ。他家の姫君ならともかくフレアジルは一族の人間だ。時期を見直すだけだ」

「なんだ……つまらないな」

「俺の不幸で笑いたいなら既に十分笑える状況だろ」


 ジルウォードはため息を吐き出す。


「ずるいよね、君は……僕に無断で婚約なんて決めてさ」

「なんで俺の婚約におまえの許可がいるんだ」

「僕は簡単に結婚できないのに」

「出家して司祭になんかなるからだろう? 助祭なら結婚できたろうに」

「助祭だと出来ることが限られるからね……」

「それにしてもふつうは結婚して子どもも持ってから出家だろうに」

「もし僕がそうしていたらミルフローラは聖都に取られていただろうね」


 イラリオンはにこりと笑った。それから少し声を潜める。


「ジルサンドラがいなくなった以上、カラントの<軍団長>はミルフローラだけだ。聖殿と王政はまだ揺れるだろう」

「わかってる……煽りを受けて領地が吹き飛ばないよう気をつけるさ。だから頼んだぞ」

「ああ、もちろんだとも、友よ」


 ジルウォードとイラリオンは堅く両手を握り合った。


 ジルウォードが王都で自由に出来る時間は限られている。

 彼は用事を終えると聖殿をすぐさまあとにすることになった。


 ジルウォードが馬車に乗りかけたところで、聖殿の方が急に騒がしくなった。助祭や司祭たちが正殿の入り口にわらわらと集まっている。

 人混みの中に一瞬、蒲公英色の髪の毛が見えた気がした。


「早く行ってくれ」


 門番が馬車をせっついた。

 馬車を降りてに人垣に割って入るわけにも行かず、ジルウォードはそのまま馬車に乗り込んだ。

 そして当面踏み入れることがないだろう王都の街をあとにした。



   *



 イラリオンのことを思い出し、ジルウォードは思わず頭を掻きむしった。

 それを見た領主夫妻が首をかしげる。


「どうしましたウォード、らしくないですね」

「一年前にイラリオンに本当にサンドラが犯人なのか聞かれたのを思い出しました」

「ブランジェット司祭に?」

「ええ、聞かれたときはこちらに気を遣っての質問だろうと思っていたのですが……イラリオンは何か知っていたのかもしれません。ミルフローラ殿と話をしていたのかも」


 イラリオンは聖女ミルフローラの後ろ立てだ。

 平民出身のミルフローラは十歳の祝福式で孔雀石(マラカイト)の加護を得ると家族と引き離され聖殿に引き取られた。

 そのまま聖都の方へと移動させようとする一派もいたが、カラント王国の精霊眼を聖都シードバスに取られることに反発した国王と中央貴族はカラントに縁深いブランシェット家に保護を求めた。

 結果としてブランシェット家の末子イラリオンが若輩の司祭として聖都から派遣され、双方の間を取り持っているのである。


 ミルフローラは襲撃から三日目には目を覚ましたが、その時にはまだ話が出来るほど回復はしていなかったと聞く。

 恐らく人と会話できる状態になったときにはジルサンドラは表向き自死したあとだっただろう。

 彼女の口から何か新しい事実が語られていたとして、それが公になることはもうなのではないかと思われた。

 ジルサンドラにいじめられていたというミルフローラがサンドラに有利な発言をするとも思えないが。


「一族の大半が王都に入れなくなったことは痛いですね。置いてくることが出来た者たちも事件の調査よりも処罰後の政治的な根回しで手がいっぱいです。恐らく年明けには立ち入り禁止処分についてはある程度解除されるでしょうが、そこから独自に再調査したところでどれほどちゃんとした証拠が拾えるか……王国騎士団は偽装された証拠で満足していないといいのですが……」


 元王国騎士団員としてセシリアがわずかに顔をしかめる。


「サンドラの名誉が回復できればそれが一番だが、難しいだろう……それより今は次の仕掛けに備えるべきだ」


 父が淡々とした口調で告げた。


「ウォード、サンドラは騎士団見習いとして勤めさせようと思う。冬の間の見習い訓練に参加させる」

「騎士にするのですか?」

「魔法の訓練は受けさせたし、訓練レベルの魔物の討伐なら今の状態でも出来るだろう。だが本格的に魔法を使って戦うすべは教えていない。心構えもな……サンドラにはそれが必要だ」


 ジルウォードは居住まいを正した。

 ジルサンドラが人と戦えるようにしろ。

 ジルレオンはウォードにそう命じているのである。


 ジルサンドラは菫青眼(アイオライト)という戦闘向きな精霊眼の持ち主であるにもかかわらず、王妃となるために淑女教育や社交を最優先とされてルシエルの騎士としては育てられていない。学園には魔法士の資格を取得後も在学させていたが、法政の講義を取らせつつ、本人の希望で研究部に在籍させていた。

 強力な魔法を使えはするものの、魔獣討伐にしか役に立たない。それも恐らく学園研修レベルの弱い魔獣だ。

 より強力な魔獣と戦ったときの力加減……仲間を魔法に巻き込まないようにするすべや、それから魔獣以外の敵と戦う覚悟は出来てはいまい。

 確かに状況を考えればそれがジルサンドラに必要になる可能性は高かった。


「副団長として、サーシャの面倒をよく見るように」

「承りました」


 ジルウォードは胸に手を当てうなずいた。

 今度は過たず、妹を守るのだ。




兄視点後編です。

次はまた主人公視点に戻ります。

9/10 三人称形式に書き直しました。内容はほぼ同一です。

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