表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/76

幕間 ジルウォード/襲撃事件直後の記憶 前編



 ジルウォード・ルシエルは部屋を出て行く妹の小さな背を見つめた。

 まだ身体が小さくなったことになれていないのか、戸口に足を引っかけて転びそうになっている。隣から慌てて乳姉弟のドリーがサンドラを支えていた。

 続いて弟のジルクルスが出て行き閉まった扉を見て、ジルウォードは大きく息を吐き出した。


「まさか、サンドラが生きているとは……なぜ小さくなっているのでしょう?」

「さあな……さすがに私もわからぬよ。精霊眼と<王家の秘毒(カラント・ネクタル)>がぶつかっておかしな作用でもしたのか、サンドラが開発していた何らかの魔法薬や魔法具が原因かもしれぬ」

「それなら本人に心当たりも多少あるのでは?」

「……うむ」


 父は言いながら顎を撫でる。

 ジルレオン・ルシエルはもともと魔法研究者だ。専門は光の魔導具の開発・改良だが、娘の珍妙な現象に研究者心がうずくのだろう。さすがに我が娘を実験体にする気はないだろうが。

 ジルウォードは前髪を軽く掻上げた。

 本来ならもうあとは寝るだけという時間帯なのだが、今日は考えるべきことが山のようにある。


 ジルウォードは一年前のことを思い出していた。



   *



「は? サンドラが聖女を襲撃した?」


 ルシエル領にその一報が届けられたのは突然のことだった。

 当時ジルウォードは紫花騎士団の副団長として領地の防衛に当たっていた。

 季節は夏の社交が終わり、領内は収穫の時期の次期を迎えようとしていた。

 社交を終えた領主夫妻も既に領地に帰ってきており、王都には学園に在籍中のジルサンドラとジルクルスだけが残っている状態である。


 むろん領内の誰もが当初はジルサンドラの犯行を信じなかった。

 なにがしかの誤情報だろうと考えたのだ。

 事実関係を確認するためジルウォードはすぐさま魔法具を使用してクルスに連絡を取り、サンドラに直接を聞こうとしたが叶わなかった。


「姉さんが学園から出たきり戻ってないって」


 魔法具で届いたクルスの声は震えていた。


 ジルサンドラは襲撃事件当日両に外出届を出して学園を離れ、それからその日には寮に戻ってこなかった。王都にあるルシエル家の別邸に宿泊した様子はない。

 この時点でサンドラがどこにいるかは誰にも把握できていなかった。


 領主夫妻は急いで王都へと向かった。

 古代大帝国時代、大陸の各地には緊急時に備えて各所を素早く行き来するための転送魔方門が建造され、ルシエルにはそのうち一つがあった。

 転送魔方陣は大量の魔力を消費する上に一度使うと数時間使用できないデメリットを持つ。その為個人的な目的での魔方陣の使用は高額な使用料の支払いが必要だったが、そんなものをケチっている状況ではなかったことは言うまでもない。


 両親を見送った時点ではジルウォードだったが、まだジルサンドラが聖女襲撃事件の首謀者だとは思っていなかった。

 性格的に考えてもそんな大それたことをするとは思えない。

 将来の王妃という立場上社交に関わるようしつけられているが、本来は部屋で魔法研究をしていることの方が好きな娘なのだ。

 派手なことをするタイプではない。


 ところがジルウォードたちの淡い予測は裏切られることになる。


 ジルレオンとセシリアが夕刻王宮に到着して国王に面会を申し込むと、既に王国騎士団はジルサンドラの寮の私室を捜索していた。

 そこから襲撃の計画書らしきものが出てきたと報告を受けたのだ。


 ジルサンドラは学園の研究棟に個室を所有していたが、そちらは鍵が閉まっていて開かなかったらしい。学園長の権限でならば研究室の鍵を開けることが出来るが、学園長は当時聖都の方へ会議に出席しており、すぐには戻ってこれなかったため捜索は放置された。


 更に日付を跨ぐ前に逃亡していた襲撃の実行犯たちが捕まった。

 彼らは聖女の襲撃を依頼してきたのはジルサンドラだと口を揃えた。


 疑いが確信を持って語られるようになるのに時間は掛からなかった。

 襲撃事件の翌日にはジルサンドラの死を望む民衆が王城前広場に集結してデモを行うようになり、聖殿からはルシエル家に対する厳罰を求める声がひっきりなしに届けられた。

 ルシエル公爵夫妻はジルサンドラが出頭するまで判断を待つよう願い出たが、宮廷官僚をはじめとした中央貴族は既に処分するに足る証拠は十分揃っていると国王に主張した。

 聖殿と中央貴族、封建領主たちとの権力バランスを取ることに苦心しているアルフレイド四世は事態の迅速な解決を望んだ。


「エディアルドとジルサンドラの婚約を破棄し、ジルサンドラには死んでもらう」


 なるべく穏便な形で処理したいから、自裁したこととしてとして片付けたい。

 これがアルフレイド四世の意向だった。

 さらにルシエル家の爵位の返上、聖殿への慰謝料の支払い、領地への蟄居、一族の王都立ち入り禁止や叔父の辞職が決められていった。

 処罰に対して重いという声も軽いという声もあった。


 事件の翌々日にはデモは広間に納まらないほど膨れ上がっていた。

 民衆が王城の巨大な鉄の門扉を引っ掴んで暴れ、警備の兵士や騎士が負傷する騒ぎになった。


 ルシエル領でも他寮との境界線付近の領民の村が火付けにあったり、街道で野盗が出る騒ぎが頻発した。

 ジルウォードは騎士団の副団長としてそれらの問題を片付けるために駆けずり回る羽目になった。


 突然誰も彼もが猛然と忙しくなり、ジルウォードも気がつばジルサンドラは犯人ではないという思考は放り投げていた。

 証拠物があると言うし、今だどこにいるかもわからない。

 庇い立てする余裕が領地にはない。

 反証を探そうという考えも抱く余裕を奪われていた。


 事件発生から三日目、王国騎士団はジルサンドラが駅馬車に乗って王都南西部の宿場町ピスタに向かっていることを突き止めた。

 騎士団は大至急ピエタに駆けつけたが、既に宿を出たあとだったという。


 入れ替わるように、ジルサンドラは学園の寮に姿を現わした。


「姉さん、戻ってきたって。そのまま王城に向かったらしい」


 ジルサンドラの所属寮の寮監督には彼女が戻り次第、王宮に出向くように言付けが頼まれていた。

 ジルサンドラは逃げることなく城へと出向き、そしてそのまま――亡骸になってルシエル領に戻ってきた。

 事件の発生から七日が経過していた。


「エディアルド様に聞いたところ、すべての罪を認めて自ら毒杯を煽ったそうだ……」


 帰ってきたジルレオンは珍しく憔悴しきった顔でそう告げた。

 王都に着いてからジルレオンとセシリアはずっと忙しく駆けずり回っていた。国王や中央貴族、聖殿の上位神官らと折衝し、一族の連座回避を始め少しでも軽い処分をもぎ取るためだ。

 そのせいで王城に出向いた自身の娘とは一度も顔を合わせることがなく、聖殿との話し合いを終えて城に戻って来たときには既にジルサンドラは亡くなっていたという。

 ショックはひとしおだっただろう。


 ジルサンドラの遺体の引き取りには更に一悶着があった。

 中央貴族は罪人の遺体は原則引き渡さないとのたまい、聖殿は精霊眼の亡骸は献体すべきと主張した。精霊眼の魔法士の遺体は、上手く加工すると魔導具の材料に出来るからだ。もちろん領主夫妻は激怒し、何が何でも娘の遺体を持って帰ろうとした。


 決め手になったのは王太子エディアルドの一言だった。


「ジルサンドラは自らの罪を認め、家族のために自死を選んだのだ……故郷に帰してやるべきでだろう」


 今となっては何を考えて王太子がこの一言を口にしたのかはわからない。

 とはいえ王太子の配慮によってジルサンドラの亡骸はそのまま保存されてルシエルの先祖代々の墓に納められることになった。


 ジルサンドラの亡骸は魔法封じを施した棺に納められていた。

 遙か昔の神話の話、創造主は動くものが命を終えたときの亡骸を八柱の神に譲る約束をしたという

 それに習い精霊は加護を与えた人間の死後、その遺体を自らのものにすると信じられている。死んだ人間の遺体がいつの間にか消えてしまうのは精霊が持って行ってしまうから、と古くから信じられているのだ。

 魔法封じというのはようするに精霊を近づけないようにする魔方陣のことだ。

 棺に魔法封じを施すのは愛する人の肉体が少しでも長くこの世に留まって欲しいという生者の願いからである。


 要するに単なるおまじないだ。

 こんなことしたところで死んでいるなら防腐魔法の期限が切れてからそのうち腐っていくだろう。


 ジルサンドラの亡骸はきれいなものだった。

 生きているときは元気が余っている様子で生意気で我が儘なところもあって、そういう妹だったので愛嬌を感じても美しさは感じたことがなかった。

 こうして物言わぬ亡骸になると、案外妹も人形めいた容姿をしているものだとジルウォードはぼんやり考える。


 葬儀は開いても良いと言うことだったので一応催された。

 領地内の貴族や城のものが参列したが、妹に対してどういう印象を抱いているのかはわからなかった。

 ただ多くの者は不安と不信に押しつぶされそうになっていたように思う。

 領主の手前表だってジルサンドラに罵声を浴びせる愚か者はいなかったが、それでも内心は皆どう思っていたのか。

 おそらく、ジルサンドラが聖女を襲撃したことそのものに対する怒りより、彼女の死によってもたらされされた混乱そのものに対する複雑な感情が領地内には渦巻いていることだろう。

 そしてそれはルシエル領を、引いててはカラント王国全体を不安定にする恐れがあった。


 なんでこんなことになってしまったのか、自問する日々だった。

 王妃になるのだからと厳しく教育したところもあった反面、ふつうの貴族令嬢よりも自由のない妹を哀れに思って甘やかしてしまった面もあるのではないか。

 妹をかわいがって思いやっていたつもりで、結局それが妹を死に追いやってしまったのではないか。

 そのせいで一族も臣下も、領民も不幸になったというのなら、どのように責任を果たしていくべきなのか。


 ジルウォードだけではなく家族全員が苦悩と懊悩する日々が始まったのだ。




ジルサンドラが亡くなった直前直後の話、前編です。

ちょっと長くなったので分割しました。

9/10 三人称形式に書き直しました。内容はほぼ同一です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ