(65) 山の麓
ファーディンド山の麓に部隊が到着したとき、空からはぽつぽつと雪が降り始めていた。
「明るいうちに天幕を張ってしまいましょう。いつ吹雪くかわかりませんから急ぐように」
オマーン卿の一言でわたしたちの部隊は野営地を設けることになった。
これはもちろん計画通りだ。
夏場であればファーディンド山に今から入っても日暮れ前には山を越えられる。
しかし今は冬で日が短い上に雪まで降っている。山を登るのは明朝からで一夜は麓で明かすことは予め決められていた。
慌ただしく一晩を過ごすための天幕を張り、夕食の準備をする。
わたしは昼間同様ここでも戦力外の傾向が強く、野営地の周辺に貼る簡易魔導障壁の動力に魔力を込めたあと、天幕におく明かりのランプにひたすら魔力を充填していた。
「サーシャ様がいらっしゃるので魔力の節約が出来るのはありがたいです」
「そんなこと言ってくれるのダンカンだけよ」
ダンカンはジルクルスについているやや年嵩の従騎士だ。いったん退役して文官になっていたところ、ジルサンドラの一件で領地に戻ってきたジルクルスが急遽騎士団に在籍すると言うことで復帰した経歴に持ち主である。
力持ちのアイヴィードは重たい荷物の運び出しのためにいったんジルクルスが連れて行ってしまった。代わりに彼をおいていってくれたのだ。
ダンカンはわたしの言葉に苦笑を浮かべた。
「クルス様もサーシャ様を頼りに思っていらっしゃると思います」
「そうでしょうか?」
「ええ。あのようなことがあったからしょうがないのでしょうが、一時期は塞ぎがちで言葉も少なくなっておりででしたが、サーシャ様が来られてから前向きなお気持ちになられることが増えたようだ」
「そうなのね」
それは単にケンカ相手が復活しただけでしょうね。
わたしは笑って頷きながらも小さく鼻を鳴らした。
それから魔力をともしたランプを小隊長たちに一つ一つ手渡していく。
「サーシャ様、オマーン卿がこちらにも魔力を込めておいて欲しいと」
「アイヴィード、それは?」
ジルクルスに引っ張られていっていたアイヴィードが戻ってきたと思ったら両手に頑丈な箱を目一杯抱え込んでいた。
蓋を開けると円錐形の道具がベルベットの布に包まれていくつも並べられている。
「魔導砲の弾です。使うかもしれないそうで」
「え、ここで?」
わたしは目を見開いてアイヴィードを見上げた。
魔導砲は大砲型の魔導具だ。道中万が一に大型の魔獣と出会ったときに備えて移動型の魔導大砲はもちろんいくつか城から持ってきている。
「山に行くのは明朝では?」
「麓の村がいくつか熊型に襲撃されているそうです。この野営地に夜来ないとは限りませんので、念のため今夜のうちに込めておいてくれと」
「そうなのね」
野生の熊であれば警戒心が強いので初めて見る人の密集した野営地に忍び込んでくる確率は低い。
しかし魔獣は力が強いせいなのか、人里も平気で襲撃してくる。人間の側に食べ物があることを学習した熊はただでさえ恐ろしいのにそれが魔獣なのだ。
「でも麓の村が襲われているなら砦の兵士が早く討伐すればいいのに」
「村を襲っているのは恐らく碧玉の八十一でしょう。毎年この時期になると出てくるのですがかれこれ五年ほど討伐漏れしているのです。非常に凶暴な上に知性も高く、しぶといんです」
「しぶといの?」
「とても」
アイヴィードは顔をしかめて頷いた。
ひょっとしたら三年の間に騎兵として討伐部隊に加わったことがあるのかもしれない。
魔獣の中には山中に逃げ隠れするせいで一度では討伐できず被害が甚大になる相手がいる。そういう魔獣には瞳の色から取った通称を付けるのだ。
ダンカンが顔をしかめた。
「号のある魔獣の中には村は襲うくせに兵士の服格好を覚えて討伐隊が組まれると姿を現わさないものもいるのです。そういう魔獣は年を跨いで被害を生むのですよ」
「それはまたずいぶん厄介ね」
ダンカンの説明にわたしも眉間に皺を寄せた。
魔獣討伐の経験はないわけじゃない。聖アシュロット学園で魔法士の資格を取るためには討伐の実戦経験が必要で、その為の講義もある。
とはいえ貴族の令嬢も多く参加する授業で死の危険が高い強い魔獣を相手にすることなどほとんどない。討伐値は事前に調査され、安全性がある程度確保された状態で討伐に向かうのだ。
わたしが過去倒した一番大きな魔獣は王都郊外の森に住む雄鹿型の魔獣だった。ふつうの鹿よりも素早かったせいで一人ではなかなか倒せず、結局その時チームを組んでいたジルクルスと寄りにもよってミルフローラが囮に成ったことで的を絞れて退治した記憶がある。
学生のわたしよりも経験豊富な騎士団が数年倒せないだなんて碧玉八十一とやらは相当強いのではないか。
ぞっとしたわたしは急いで砲弾に手を当てた。
「これ全部込めておけばいいのよね?」
「あ、はい」
「砲台にも込める必要があるんじゃないかしら?」
「そちらは先ほど動力箱に込めてもらっていますから」
「ああ、そうか」
動力箱は複数の魔導具に動力に使える魔力を込めたタンクのことだ。簡易魔導障壁と魔導大砲の動力箱は同じ物を使用しているらしい。
砲弾の全てに魔力を込め終え、わたしはきょろきょろと辺りを見回した。
「これだけ? もっと持ってきてたわよね?」
「サーシャ様、落ち着いてください。魔道弾は使い捨てです。一度魔力を込めてしまったら一ヶ月以内には使い切ってしまわないと行けないのですから、やたらめったら込めればいいというものではないんですよ」
「……そうだった」
アイヴィードの言葉にわたしは胸に手を当て深呼吸をした。
魔導弾は魔導具の中でも扱いが難しく、一度魔力を込めるとなるべく早期に使用してしまわなければならない。使わなくても込めた魔力がだんだんと放出されていき、それに合せて弾の中心におかれた精霊石が変質していってしまうのだ。一ヶ月以上放置した場合不発になったり、暴発したりする確率がかなり高くなるので魔力を込めたあと一ヶ月以内の使用が軍では絶対原則となっている。
使用期限が短すぎやしないかしら!?
わたしは心の内側でじたばたするわたしの肩にアイヴィードが手を置いた。
「サーシャ様、本当に野営地に来るとは限りませんし、訓練中に碧玉八十一とあたるとも限りません。怯える気持ちはわかりますが、冷静に努められるべきです」
「うう……ごめんなさい。事前に話は聞いてはいたけど……想像がついてなくて……なんだか急に恐くなってきたの。情けないわね」
「初めて領都を出ての訓練です。新兵であればそのようなこともあります」
柔らかな声でわたしを励ましたのはダンカンだった。
「本当に?」
「ジルクルス様も今年は平気そうな顔をなさっておいでですが去年はそわそわと落ち着きなく……おっと私めがこのようなことを申したことは内緒にしてください」
「……わかったわ」
ダンカンの言葉にわたしはようやく小さく笑って息を吐き出した。
天幕の外からジルクルスが彼を呼び声が聞こえ、ダンカンが答えて出て行く。
アイヴィードがわたしの前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですよ、サーシャ様。何があっても俺がお守りします」
「頼りにしてる」
わたしはアイヴィードが指しだしてくれた手をぎゅっと握り返した。
眼鏡の向こうでアイヴィードの薄金の瞳が柔らかく笑った。




