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(63) 出発



 出発式の朝、領都の空は晴れとは行かなかったが薄曇りで雪は降っていなかった。


「それでは皆、無事の帰城を祈っている」


 ファーディンド砦への雪中行軍訓練は領主であるお父様のその言葉でもって送り出されることになった。騎士団は騎士とその従騎士、小姓を合わせて四十名近く、騎兵以下の兵士階級のものを加えると二百名弱の大集団による訓練だ。

 年内最後の大規模訓練の見送りには領都の市民たちも寒さを忘れて顔を出すらしく、馬に乗って城の外に出ると、街道沿いに多くの市民が立ち止まってこちらに手を振っていた。


「サーシャさま、お手を振りかえしてはいけません」


 わたしの隣に馬を横付けにしたアイヴィードが素早く忠告の声を飛ばしてくれたおかげで、わたしは持ち上げ掛けた手のひらを慌てて手綱に戻した。

 領主の娘という立場上、わたしはこれまでも折々領民に手を振られる機会があった。そういうときは降り返すように教えられていたのでクセが出そうになったのだ。

 しかし領主を雇い主とする騎士や兵士は任務に集中するという立場上、余計な動作はしないのげ原則だ。こういうとき手を振ったりするのは御法度であるらしい。

 どんな美人に笑顔で大手を振られても、みんな取り澄ました顔を装っている。母親に抱えられた小さなこんなの子が一生懸命こちらに投げキッスをしているのなんか見ると顔がにやけそうになるけど、我慢しないといけないそうだ。苦行だ。

 ため息を吐きたくなる気持ちを堪え、隊列を乱さないように馬を歩かせる。

 乗馬と遠乗りは好きだったけど人と馬の足並みをそろえて歩かせるなんて芸当は見習い騎士になるまでほぼしたことがなかったのでこれはこれでなかなか大変だった。

 まさか馬を横並びで歩かせるのに訓練をしていたというのは騎士団に入るまで想像の埒外で、城や王都のパレードで見る騎士たちの一糸乱れぬ隊列は努力によって培われていたのだな、としみじみする。なんだか勝手に出来るつもりでいたのだけれど、とんでもない考え方だったようだ。

 わたしは前に行きたがる愛馬をなだめて周囲を馬足をそろえた。


 領都を囲む大城壁を抜けると、遮るものがないせいか詰めた冬の風が一気に吹き付けてきた。

 わたしは思わず「さむい!」と悲鳴を上げる。

 街の賑わいがなくなりあたりは一気に雪景色と物寂しくなる。壁を一枚隔てただけでずいぶん雰囲気が様変わりすることにわたしは改めて驚いた。馬車の中で見てるのとはやはり印象が違う。

 街の外に出て多少隊列が緩んでも問題はなくなったが、それでも移動速度が速くなることはない。歩兵が混ざっている混成部隊だ。移動速度は彼らに合わせなければならないのだ。


「もう少し進んだところで隊列を組み直すことになりますので」

「あ、うん」


 アイヴィードに声を掛けられわたしは慌てて頷いた。

 今までの隊列はいわば見栄え重視の見世物だ。先頭を騎士団が牽引する形を取っていたが、訓練中ずっとそのままではない。

 むしろ訓練中は騎士と兵士とが混ざった混成の部隊を編成する。実戦でも兵士たちは騎士の指揮下で戦うことになるからだ。

 その為ほどよい位置まで移動したら見栄え重視はやめて隊を組み直すらしい。なんだか面倒な話だ。

 程なくして部隊は雪の丘のど真ん中でいったん足を止め、編成をやり直すことになった。

 緩やかな丘の上に部隊全員が揃ったことを確認して、昼食を取ってから再編成が行なわれる予定だ。わたしは馬を下り、昼食の準備を手伝おうとしたのだが、シーナに制止された。


「サーシャさまは無駄な体力を使わないようにしてください」

「……はい」


 わたしは項垂れた。

 この訓練部隊の中で一番体力がないのがわたしだということは明白だ。


「おい! そこで突っ立ってないで荷物動かすの手伝えよ!」

「ばか……! その方は騎士だぞ!」

「え!?」


 わたしがぽつねんと突っ立っていると、年齢の近い兵卒見習いと思わしき少年が怒鳴りつけてきた。指導員と思わしき兵士が慌てて少年の頭を掴み、下げさせる。


「申し訳ありません!」


 わたしは苦笑いを浮かべた。


「いいわ。以後気をつけてね」

「は、はい……」


 少年は何度も目を瞬かせ、わたしの顔をしげしげと観察している。よほど驚いたらしい。

 さすがに失礼なくらいなのでどうしようか、と考えているとアイヴィードがわたしと少年の間に割って入ってきた。


「早く持ち場に戻れ」

「は、はい!」


 少年が慌てて背を向けて駆け出していく。わたしがその様子を貸しそうに見送っていると、アイヴィードが小さくため息を吐き出した。


「サーシャ様、年格好が近いからと言ってあまい対応をしてはいけません。失礼な態度を取られたら厳しく接しなければ隊の規律に影響を与えます」

「気をつけるわ」


 そうは言ってもしょうがないのではないか。

 わたしはちらりと周囲を見回して自分の浮きっぷりにため息を零したくなった。明らかにわたし一人頭が低い。先ほど声を掛けてきた少年もヨハンより少し低いくらいで、荷物を持つ腕はがっしりしていた。やはり鍛え方が違うのだろうか。


「サーシャ様、こちらで調理を手伝ってくださいな」

「いいの?」


 簡易的な天幕が張られ、昼食の調理が始まるようだった。

 本当になにもしないのはさすがに気まずいと思っていたのでシーナがやれることを見つけてくれたことにほっとする。

 騎士だけならともかく兵士も伴う軍隊の移動では騎士はなにもしなくても幕内で待っていていいのだが、見習いである上に指導員であるオマーン卿は簡易天幕立てるのを手伝っているのだ。わたしだけ棒立ちしているのは体裁がわるすぎる。

 わたしが調理用の天幕に顔を出すと、調理係らしき若手の兵士や見習たちが目を見開いている。小さな声で口々に「小さい」「ガキじゃん」「ほんとに騎士か?」とぼそぼそと実に色んな感想を口にする。一昔前のわたしだったら陰口的な物は食ってかかっただろうが、落ち着いて深呼吸をする。シーナがぱんっと大きく手を叩いた。


「あなたたち、無駄口を叩いている暇があったら手を動かしなさい」


 それで若い兵士たちは材料を洗い、ナイフで切り始めた。


「わたしはなにをすればいいの? みじん切り?」

「いえ、水の濾過器を動かしてください」

「あ、うん」


 結局、魔力タンクか。

 わたしは拍子抜けして天幕の端におかれている魔導具に近づいた。雪をとかして飲料水に変える魔導具だ。冬の戦場で雪水を使用することはままあるが、これが開発される前まではあたることもよくあったらしい。濾過した水を更に煮沸して安全な飲み水を確保するのである。わたしが魔導具を起動させると、突っ込んであった雪が溶けて綺麗な水が下から落ちてくる。鍋を落下位置で構えていた兵士見習いの少年が綺麗な水をみて歓声を上げた。


「すごいですね」

「ご領主さまが作った魔導具なのよ!」

「楼主様すごいですね!」

「そうでしょう!」


 わたしはお父さまを褒め称える少年の言葉に気を良くした。

 ある程度の水を確保したら、今度は大きな鍋でお湯を沸かしている治癒兵だという少女の元へと向かう。


「それはスープ用?」

「いえ、お茶です」


 言うなり、彼女は茶筒の茶葉を直接鍋にぶち込んだ。わたしが唖然としていると少女が苦笑いを浮かべる。


「驚きますでしょう? 騎士の皆さまはティーポットを使いますものね。でも部隊でこの人数分のお茶を薬缶でちまちま沸かしていたら間に合いませんから、これが一番効率がいいんです」


 数分ほど煮だしたあと、少女は大きな鍋を火から外した。

 それから浮いてきた茶葉を茶こしで掬う。そうこうしている間に天幕の前に自前のカップを持ってきた兵士がちらほらと並び始めた。皆数時間歩いているから喉が渇いているのだ。少女は心得たようにカップにお茶を注ぐ。多少の茶葉は誰も気にしてなどいないようだ。


「サーシャ様、焦げないようにスープの鍋をみていてくださいな」


 わたしの常識を覆す衝撃的なお茶入れの過程を見せられてい唖然としているとシーナから声が飛ぶ。慌てて別の鍋の方に近づくと、今度はちゃんとスープだったようだ。干し野菜やジャガイモ、ベーコンなどが切って入れてある。

 わたしが鍋の前に立つと、隣で同じ大きさの鍋に材料を入れている少年と目が合った。


「あ、さっきの」

「っ……先ほどは申し訳ありませんでした」

「気をつけてくればいいのよ。小さいからよく見えなかったわね」

「……まあ」

「これ、どうすればいいのかしら?」

「焦げないように時々混ぜて貰えればいいです。こう……」


 少年が手を動かして見せてくれた。

 わたしは言われたとおりに鍋に突き刺さっている棒を動かした。

 やがて隣で少年も別の鍋で同じ作業をし始めたので、わたしたちは軽く世間話をした。


「城で出発式をするのはともかく、街の大通りを見世物のように抜ける必要ないんじゃないかしら? 面倒だとは思わない?」

「あれは市民の娯楽なんです」

「……そうなの」

「女の人が多かったでしょう? 見栄えのいい騎士の版画なんかが売りに出されてるんですよ」

「それは初耳だわ」

「えーっと、お嬢さまのついてたあの騎士の絵なんかも売れるんじゃないかなぁ?」

「アイヴィード? 彼は確かに顔はいい方だと思うけど、騎士じゃなくて従騎士よ」

「俺たちからすりゃたいした違いがないですよ」


 なるほど。

 わたしが小さく頷いていると、鍋の上に影が落ちた。


「あら、アイヴィード」

「サーシャ様、天幕のご用意が整いましたのでもうそちらでお待ちください」

「いいの? 配膳とか手伝わなくて大丈夫?」


 わたしがお玉でスープを注ぐ動きをしてみせると、アイヴィードは首を大きく横に振った。


「それは騎士の仕事ではありません。そこのきみ、こちらの方と交代するように」

「はい!」


 調理器具をしまっていた子どものうち一人が作業をもう一人に全部任せてわたしと場所を入れ替えた。

 アイヴィードにせかされ、わたしは騎士用の天幕に足を向ける。

 なんだかアイヴィードは少しピリピリしているような気がする。シーナのようにちょっと口うるさい。

 そう思いながらもわたしは黙って彼についていくのだった。



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