(62) 雪中訓練を控えて
大冬月が終わり、晩冬月がやってきた。
街も城も年末年始の準備に忙しい中、騎士団はそれとは別の意味で忙しくなっていた。
「サーシャ、薪と炭の数は?」
「合ってます!」
「馬車の車輪、交換用のもの積んである?」
「そちらはまだで……」
「いえ、サーシャ様、先ほど積みました」
「積んだそうです!」
騎士団本部の前では絶え間ない喧噪の声があちこちで響いていた。
というのもこれから編制された部隊の一部が領都の東ファーディンド砦に向かうことになっているからだ。
砦までは夏場直線的に向かっておよそ半日。そう聞くとたいした距離ではなさそうに感じるが、今は冬場なので話が変わってくる。
ファーディンド砦と領都間には木々が生い茂る小高い山と湖がある。最短距離はこの山を突っ切り湖を小舟で渡ることになるが、冬場は危険なルートだ。その為冬にこの砦に領都から向かう際は迂回路を使うことになるのだが、今回はあえて迂回しないというのである。
雪中行軍訓練だった。
むろんわたしはやると聞いた瞬間に顔を青ざめさせた。
「うう……行きたくない……」
「そうはいきませんわ。新人なら毎年恒例ですから」
ごねるわたしに対してシーナは容赦がなかった。
わたしは経験者である彼女とアイヴィードに最も気になっていることを尋ねる。
「大丈夫? 死なない?」
「去年は死者は出てないそうですよ」
「去年は!?」
それって死者が出る年もあると言うこと!?
目玉が飛び出さんばかりのわたしの顔を見て、アイヴィードが小さく笑った。
「大丈夫ですよ。吹雪がひどければファーディンド山を迂回するルートに変えることもありますし、そもそもサーシャ様の身に万一のことがないように俺やシーナがいるのですから」
「それは頼もしいのだけれども……」
そもそも雪が降っている中いくら厚手の防寒具を身につけていても野山を歩きたくはないのだけれど。
わたしは騎士として身も蓋もないことを考えた。なにせ感覚としてはほんの半年ほど前まで深窓のご令嬢として扱われていたのである。
狭い部屋で魔道具の実験をしろと言われたら喜んでするけど、山野を歩けというのはどうにも気が向かない。
「鳥に乗って飛べばいいじゃない……」
わたしはほんの数ヶ月前まで大の鱗鳥嫌いだったことを棚に上げてぶつぶつと文句を言った。
アイヴィードが苦笑いを浮かべる。
「吹雪いていると視界が悪くて危ないですよ。冬は天気も変わりやすいですから」
「そもそも伝統の訓練ですわよ、サーシャ様。兵卒見習いも三年目のものは参加しているのですから」
「わたしは年齢的に一年目なんですけどぉ……!」
三年目の兵卒見習いなら十二歳か十三歳だろう。わたしはまだ十一歳――という設定なのだ。
「新人騎士は全員参加の訓練なんだからごねだってしょうがねえだろ、お嬢さん」
不満たらたらのわたしの背中にからかい混じりの声がかかり、わたしは仏頂面で振り返った。
シークがわたしを見て予想通りにやにや笑っている。
「何の用でしょう?」
「表の方にご婚約者が来ておいでだぜ」
「……婚約者じゃありません」
わたしはため息を吐き出した。
それから振り返ってシーナに声を掛ける。
「シーナ、ジュートジルさまが来られたみたいなの」
「すぐ行きますわ」
シーナは積み荷の布ものの点検の手を止め、わたしのように小走りで駆け寄ってきた。
「何の用かしら?」
「お見送りだと思いますわ。たまに出発前に家族が会いに来ることがありますの。安全には細心の注意を払いますが危険な訓練ではありますもの」
「なるほど……」
頷きながらも正直来ないでほしかったと思ってしまう。
忙しいし、噂に拍車がかかるじゃないの。
シークがふざけた口調でわたしに掛けてきた言葉……わたしの婚約者というのはジュートジルのことを指している。少し前にアイヴィードが中央の名門貴族エペヴァール家の庶子であることが発覚して、領主が姪であるわたしと彼を結婚させようとしているのでは、という噂が出回ってしまったことに対する対応策のせいだ。
お兄さまが噂を打ち消すために流した別の噂が領主は騎士団長の息子とサーシャを結婚させるつもりである、というものだった。そうなると必然的に皆わたしとジュートジルという組み合わせを考えたようだ。アイヴィードとどうこうよりよほど信憑性があったため、この噂はあっという間に真実のように城中に広まってしまった。
わたしとしてはずいぶん年下の弟間隔の相手である。ないない。ジュートがかわいそう。
「サーシャ!」
シークが教えてくれた場所に向かうと、そこには言われたようにジュートジルと、それから姉のリリージルも立っていた。
リリーの姿にわたしは思わず笑顔を浮かべた。
「お二人でいらしていたのですね。何のご用でしょう?」
「忙しいところごめんなさいね、サーシャ。ジュートがどうしてもというものだから」
「姉上!」
リリージルはこの一ヶ月くらいでまた立ち振る舞いが洗練されたように見える。もちろん今までだって野暮ったかったわけではないのだが、さらに上品になった。
ジュートの方はあまり変わった印象はない。姉にからかわれて顔を赤くする姿は年相応の少年だ。
「お守り作ろうって言い出したのは姉上だろ!」
「そうだったかしら?」
とぼけてみせる姉の袖をジュートが引っ張った。
城に流布している噂は二人の耳にも恐らく入ってしまっているのだろう。ジュートの方がいささか意識しすぎているようで申し訳なさを感じつつも、微笑ましい姉弟のやり取りに笑みが漏れる。
「お守りがいただけるのでしょうか?」
「ああ、うん」
わたしが尋ねるとジュートが慌てて首を縦にした。
「騎士が難しい任務に就くときは身内がお守りを割らす風習があるの。でもあなたはご両親がいないし、初めてで不安でしょうから私たちも渡そうってジュートと話し合ったのよ」
「まあ! わざわざありがとうございます」
「はい、これ」
そういってジュートジルが手渡してくれたのは刺繍が入ったハンカチだった。
お守りとして刺繍を入れた布物を送る習慣は大陸中に古くからある。特に親が子どもの身にたくさんのお守りを身につけさせることは愛情の証だから、服や靴下、帽子など、あらゆるところに刺繍を入れたりする。
今の私には確かに両親がいなかったが、実際のところは領主夫人のお母様や侍女のドリーが長靴下や肌着に刺繍を入れてくれていた。
とはいえこれはこれでとたもありがたい。指し込まれた文様をしげしげと眺め、笑顔を浮かべる。
「魔力を込めると暖かくなるのですね!」
「少しだけだけどな……精霊文字を組み込んだ意匠の刺繍は初めてしたんだ。うまく出来てるかわかんないんだけど……」
「大丈夫だと思います」
わたしはジュートが指したという刺繍の差し目を確認した。きちんと意匠が形を作っている。想定通りほんの少し暖かくなるだろう。
あまり魔法が扱えない市勢の人間だと刺繍は女の仕事らしいが、騎士の場合は壁旗など魔方陣を刺す機会も多いため男子も刺繍が出来なければならない。ジュートも年齢的にこういった小さなものから魔方陣を刺繍する訓練を始めていると言うことなのだろう。
魔導具の発達のおかげでこういったものはあまり意味がなく本当にお守り程度の役割しか果たさないのだが、それでも上手くいった完成品第一号をわざわざ保ってきてもらったのはありがたかった。
ハンカチは二枚あって、もう一つはリリージルが刺したものだった。さすがに姉なだけあってジュートよりは刺繍そのものが可憐で、意匠も花柄の文様に上手く溶け込ませてある。
「明日の出発式は城から見送るけれど、気をつけてね」
「はい。お二人ともありがとうございます」
わたしは二人と軽くハグをした。
訓練はとても嫌なのだけれど、さすがに年少の二人にこのように励まされたら奮起しないわけにもいかない。
行き帰りの移動含め十日あまりの訓練だが、しっかり勤めて帰ってこよう。
わたしは気合いを入れ直し、城の東棟に戻っていく二人の背中に手を振った。
そうして翌日、今度は二人に見送られる形でわたしはファーディンド砦に向かうことになったのである。




