幕間 アイヴィード/食堂にて
ジルクルスの後ろについていくサーシャとシーナの姿を見送り、アイヴィードは唇を引き結んだ。
二人がいなくなった瞬間に突き刺さる視線が鋭くなる。昨日もそうだったのでそれ自体に驚きはなかった。
「座ったらどうだ?」
冷やかすようなシークス・アベリアの声にアイヴィードは振り返った。
だらしなくテーブルに肘をついたまま、萌黄の瞳がこちらを見上げている。
アイヴィードは逆らわず、黙って椅子に腰掛けた。
「なんでしょう?」
「いや、これからどうする気かなと思ってな」
「どうする、というと?」
「辞表でも出すのかと思ってさ」
「……それは私が決めることではないかと」
行った瞬間、シークスの背後に立つディエルが眉根を寄せた。
シークスが唇を吊り上げる。
「それはわざとか? それとも天然か?」
「どういう意味でしょう」
アイヴィードは首をかしげた。相手が言おうとしていることはなんとなくわかっていたが、自ら口にするのはどうにも嫌だったのだ。
アイヴィードの言おうとしていることを察しているのかどうか、シークスはアイヴィードを見つめたまま口を開いた。
「主君が自分のせいで迷惑してるなら辞めるのも騎士道だと思うがね」
ずばりの一言にアイヴィードはわずかに唇を引き結んだ。
「自らに後ろめたいことがなければ堂々としているのも騎士道かと存じます」
「それはそうだな」
言い返したアイヴィードに対し、シークスはあっさりと笑ってみせた。
この男のこういうところがどうにも、誰からも苦手にされているのだろう。意地悪くしてくるのかと思いきや引き下がるときは一瞬だ。おちょくられているのか、庇われているのか。
「実際のところどうなのよ?」
「エペヴァール家とのつながりですか? 昨日から何度か聞かれておりますが、ありませんよ。母が再婚したとき屋敷は出奔してきたのです。以降こちらからは当然連絡を取っておりませんし、あちらも昨日ユリシス殿が話しかけてきたのが久しぶりの便りのようなものです」
「伯爵は兄貴なんだろ?」
「馬小屋に母子共々追い出すような人を兄だと思ったことはありません」
アイヴィードはなるべくはっきりと声に出した。
とはいえ先ほどサーシャが結婚の噂をなんとか打ち消そうとした演技ほどには効果はないだろうと言うことはわかっている。紫花騎士団の騎士たちの多くは、ただ単純に中央が気に食わず、中央に近い人間に敵意を抱いているのだ。
身内ならいざ知らずエペヴァール家は伝統的な中央貴族。アイヴィードが把握している限りではルシエルに近い親族もいない。
さらに現伯爵はアルフレイド四世の近臣としてルシエル公爵を罰することに積極的だった人物の一人だ。その弟とわかった今好感を持ってくれと言う方が無理というものだろう。
アイヴィードとしてはなぜ嫌いな兄のために自分がここで嫌われねばならないのか、という幼稚な恨みを抱かぬ訳にはいかなかった。
アイヴィードの話を聞いたシークスの反応は年配者たちよりはずいぶんと穏やかなものだった。「そうかい」と一言頷き、薄めたワインを煽っている。
「ユリシスは何の話を持ってきたんだ?」
「……伯爵が家に戻ってきても良い、と」
「戻らないのか?」
「どうせ碌な扱いは受けませんから、戻る気はありません」
「貴族の地位に興味はないわけ?」
「ありません」
「じゃあサーシャとの結婚も興味ないんだな」
アイヴィードは突然のことに一瞬呆けそうになった。が慌てて「もちろん」と頷いた。
サーシャは今のところ貴族と認められてはいないが、領主の姪ではあるため近い将来貴族の仲間入りを果たすことは間違いない。領主ジルレオンの養女になるのか、あるいは騎士団長あたりなのか……逐電した令嬢の娘という扱いなのでジルバートの子どもであるリリージルよりは劣る扱いという話だが、真相はいったいどうなのか。
ふいにアイヴィードはサーシャがうっかり漏らしら馬の話と、ユリシスの一聴すると不可思議な問いかけを思い出した。
サーシャはやはりジルサンドラなのかもしれない。
そうだとしたら、本当は今頃結婚の準備に入っていたはずである。年が明けて春か夏か、王都の社交の時期には本来ジルサンドラとエディアルドの盛大な成婚の儀が執り行われているはずだったのだ。
なんとなく心がとげとげしくなった。
アイヴィードはアビゲイルとしてエディアルドとも顔を合わせたことがある。幼いながら婚約者をエスコートし、エペヴァールの牧場内で馬を掛けて遊んでいたあの姿は何だったのだろう。
寮内で噂になっているようにエディアルドが聖女に入れあげ婚約者をないがしろにしていたというなら、一連の事件はエディアルドが起こした問題と言えるのではないか?
ユリシスもエディアルドの近習であるなら、王太子の行いを正すか、ジルサンドラにもう少しフォローをすれば良かったろうに。
ぶつくさとそこまで考え、アイヴィードはため息を吐き出した。
「どうした?」
「ああ、いえ……サーシャ様はあんなにお小さいのに、そのうち結婚なさるのだなと思いまして」
突然ため息をついたアイヴィードを見てシークスが目を見開いたので、慌ててそれらしい言葉を口にした。シーキスは大口を開けて「なんだそりゃ」と笑う。
「身内気取りか? だったらもう少し主人に迷惑掛けてる自覚持って振る舞えよ」
「……申し訳ありません」
アイヴィードは素直に頭をお下げた。
ユリシスやエディアルドをとやかく言う立場に自分はいない。それに思い至ってのため息だったが、改めてシークスに指摘され、項垂れる。
自分の感情を優先してサーシャの立場を危うくしているのはアイヴィードも一緒だ。
昨日の段階ではここまであれこれ騒がれるとは思っていなかった訳だが、騒ぎになっているとわかっている今もアイヴィードは主人を思って職を辞すという選択肢を取れないでいる。
その理由はいくつかある。
サーシャの仕えることにやりがいを見いだしていることは大きいが、あの兄の手口にまんまと嵌まってここを去らねばならないなんて業腹だという個人的な感情も強い。
サーシャがアイヴィードの話をよく聞いて、留め置いてくれていることに甘えてしまっているのだ。
ディエルなどの視線が先ほどから突き刺さってくるのは、そのあたりを咎められているのだろう。これ以上サーシャに迷惑を掛けないためには立ち去った方がよい。
それなのに、それでも、と考えてしまうのだ。
「ちょっとシークス・アベリア! 人の従騎士をいじめないでくれる!?」
アイヴィードがうつむいていると背後から少女の大きな声がした。
驚いて振り返ればサーシャがシーナを伴って食堂に戻ってきていた。
「お説教は終わったのか?」
「貴方には関係ないでしょう! うるさいわね!」
ニヤニヤ笑うシークスにサーシャは顔をゆがめて下から睨み付けた。が、丸縁の眼鏡も相まって幼い少女の顔立ちにはさほど迫力はない。
「ジルウォード様はなんって? アイヴィードを首にしろって言われたか?」
シークスの声にアイヴィードはぎくりと肩をこわばらせた。
その可能性は十分にある。
しかしサーシャは腰に手を当て胸を張った。
「ジルウォード様は公平公正なお方よ。なにも悪いことをしてない人間を感情的に追い出せなんておっしゃられるような矮小さは持ち合わせておられないの。今後はいらぬ誤解を招かぬように言い回しに気をつけろと言われただけよ」
「なんだ。じゃあアイヴィードはそのままか」
「当たり前でしょう。彼が中央とつながっているっていうなら、その証拠をわたしや団長たちにお見せしてほしいものだわ。もちろん、捏造以外でね!」
ぴしりとサーシャはシークスの鼻先に指を突きつけた。
それからふん、と鼻を鳴らして踵を返した。
「アイヴィード、行きましょう。こいつとは話してらんないわ」
「は、はい!」
アイヴィードは慌てて立ち上がった。
サーシャに従って食堂を後にする。背後からシークスのからからとした笑い声が聞こえたが、もうさほど気にはならなかった。
サーシャはアイヴィードを信じてくれている。その理由がなんなのかはわからないが、これだけははっきりと言える。
彼女が何者であるにしろ、この信頼に応えることこそが今のアイヴィードの使命なのだ。




