(6) 父の判断
「そう怯えなくていい、サンドラ。生きていたのだからむろん家門はそなたを守るとも」
父は穏やかな顔でそう告げた。
「父さん正気!? 早めに片付けた方がいいって!」
「黙りなさい、クルス。お父さまの判断ですよ」
立ち上がりかけたクルスをお母さまがぴしゃりと制する。
「実の姉を殺してしまえなど……不届きな発言はおやめなさい」
母の視線を受けクルスがひるんだ。
それでも顔を上げて口を開く。
「でも母さん……」
「おまえが辛い立場にあることはわかります。ですが今のおまえは少々感情的に全ての物事を決めつけようとしすぎています。それでサンドラを責める資格がありますか?」
厳しい母の口調にクルスが唇を噛みしめた。
ウォードお兄さまが腕組みをする。
「サンドラの話が本当かどうか、状況を慎重に見極めた方がいいだろうな」
「わ、わたしがミルフローラを襲ってないのは本当だわ!」
わたしは両手を握りしめて訴えた。
「彼女をいじめていたことも本当だけど、……それは悪かったと思ってるけども……殺そうとなんて思ってない……」
「……サンドラ、おまえが本当にミルフローラ殿を襲撃していないならそっちの方が今の我が家にとっては大きな問題なんだ」
お兄さまはそう言って息を吐き出した。
「どういうこと?」
「父上も母上も、俺たちは全員この一年、おまえが個人的な怨みから聖女を襲撃したのだろうと思って行動してきた。おまえの行いに対し罰を受け、そこからどう領地を立て直すかを考えてきた。だがおまえの話が本当なら、おまえは誰かに嵌められたと言うことになる」
「そうです! わたくしははめられて……」
「何を目的に、誰がおまえを嵌めたんだ?」
兄の言葉は鋭い刃のようだった。
その切っ先はわたしの狙ったわけではないはずなのに、思わず身が竦む。
「今の状況を考えれば、狙われたのはこの家そのものなんじゃないか……」
「その可能性は十分高いだろう」
兄の言葉に父が同意を示した。
「我が家が狙われた?」
「そうだ」
「こ、このルシエル家をですか? 大イエナシエから千年を超えて続く名家ですよ」
「その分、政敵は多いと言うことだ」
わたしの言葉に父は苦笑いを浮かべた。
「王国の中央貴族は我々のような古くからの封建領主が大騎士団を所有していることに否定的だし、聖殿はそもそも精霊眼はすべて聖殿に入れよという考え方だ。聖殿に入らない精霊眼ならば排除もやむなし、という考え方だな。もちろんイエナシエ帝国は大陸統一を目指して虎視眈々と西進を狙っている。カラントとの国境を守備する我が家は邪魔だ」
「ルシエル家はここ百年数代にわたりカラント王妃を輩出していません。これは国内外の権力の均衡を考えたとき、当家と王家の結びつきが強くなることに反発する勢力がいるためです。ですが貴女は精霊眼として生まれ、王太子の婚約者となった。大陸西部の権力の均衡は動こうとしていた、ということです」
母の言葉にわたしは目を白黒させた。
「わ、わたしが悪いってこと?」
「つけいる隙を与えてしまったって意味ならそうかもな……」
兄が大きく息を吐く。
「中央か、聖殿か、帝国か……はたまたもっと別の勢力なのか、どこが当家を狙っているのか見定める必要があると思いますが、父上、どういたしますか?」
「こちらから仕掛けるには準備不足が過ぎる。当面は守りを固めつつ水面下で様子を覗うしかないだろう……敵は恐らくサンドラが生きていることはまだ知らないはずだ。サンドラの存在が反撃の鍵となるに違いない」
言って父はわたしを見つめた。
「幸運なことにサンドラは子どもの姿になっている。身近なものでなければ、今のこの子をサンドラだと見破れるものは多くないだろう……別人として保護し、養育する」
クルスが不安げな顔で父を見た。
「大丈夫なの? 隠そうったって噂がどこかから広がるかもしれないじゃん。精霊眼の時みたいにさ」
「あの時とは状況が違うでしょう。多くの人間がサンドラの死を確認しているのです。棺に納められたサンドラの心臓は間違いなく止まっていましたし、体温もありませんでした。本当に生きているのが不思議だわ……」
言いながら母がわたしの背中を撫でる。
「ウォード、クルス……貴方たちもサンドラの死体をはっきり見ていたはずですよ」
「それは、まぁ……」
クルスは小さくうなずいた。
「大々的に葬式も行いましたし、まずサンドラが生きていると思っている者はいないでしょうが……しかし顔を見ればサンドラだとわかってしまう者もいるはずですよ。現に老ポメロンはすぐに見抜きました」
「ポメロンはサンドラの護衛騎士を務めていたからな。子どもの頃のサンドラと親しかった上、精霊眼もよく知っている」
「そうですよ、父さん。精霊眼なんか滅多にいないんだから……ましてや菫青眼なんて、見られたら姉さんだってわかるに決まってる」
「その為に眼鏡があるんですよ」
母がわたしの膝の上にある眼鏡を取り上げ、掛けさせる。
鏡で見ていないのでどうなっているのかわからないが、これでわたしの目の色は違う色に見えているらしい。
「眼鏡が外れたらどうするのさ」
「魔法でくっつくようにしてあるから装備者本人が手で持って外さない限りは外れない。それくらいは対策が取ってある」
クルスの不安を父が小さく笑う。
わたしは思わずもう一度眼鏡を外して手に取った。なんとそんな便利機能があったとは。
確かにお母さまも眼鏡を外すときはわざわざわたしに外すように指示していた。
「顔が似ているのは? 父上自身がおっしゃるとおり、子どもの頃を知るものであれば気づくかもしれません。それこそエディアルド王太子などは……」
兄の言葉に父がうなずく。
「全くの他人として匿うのは現実的ではないだろう……ジルディアの娘にする」
父のあげた人物の名前にわたしは首をかしげ、兄は少し目を見開いた。
「ジルディア叔母上ですか? あの十五年前に……駆け落ちした?」
「そうだ。平民の旅商人と一緒に家を出て行って行方不明のあの娘――あれの子どもと言うことにする」
「そんな方いらっしゃったんですか?」
わたしは驚いて思わず母と父を交互に見つめた。
お母さまが苦笑いを浮かべる。
「先代であるお祖父様の決められた結婚に反発して、式の前日に逐電してしまったのです。お祖父様はたいそうお怒りで、ジルディアが描かれた肖像画の一切を城や屋敷から撤去してしまいましたし、名前を口にすることも禁じられました。貴女は二人は小さかったから覚えてないでしょうね」
母の言うとおりまったく覚えていなかったわたしはうなずいた。
十五年前ならわたしは一歳……いや、二歳である。弟のクルスはまだ赤ん坊という時のころの話なのだから、記憶にないのは当然だろう。
「ジルディアは旅商人と駆け落ちして出奔したが、半年前異国の滞在先で病になったと連絡が来た。ジルディアと夫は助からなかったが祝福式を終えたばかりの一人娘は生きていたので引き取って育てることにした」
お父さまがつらつらと新しいわたしの設定を述べる。
わたしは両腕を広げて首をかしげた。
「十歳にしては少し小さくありませんか?」
せいぜい八、九歳程度のはずだ。
「確かにな……だがその眼鏡では目の色を薄くは出来ても赤子眼までは戻すことは出来ない。祝福式を終えた子どもとして扱うよりほかない」
赤子眼というのは祝福式をまだ受けていない子ども特有の薄い桜色の瞳のことだ。加護を授かると精霊の影響を受けて瞳の色が変わるが、その前はだいたいみんな同じ色をしているのである。
赤子眼であれば十歳未満だとすぐにわかるが、逆に色が変わっていたら十歳を超えていると言うことになる。
「田舎育ちで栄養不足だったとでも言っておけばいい。ジルディアの子どもだが、出奔先で平民の、国籍がどこかもわからない男との間に出来た子どもゆえ貴族の扱いはしないが教育は施す。こんなものだろう」
言いながら父は顎を撫でた。
「名前はそうだな……サーシャにするとしよう」
「サーシャ」
わたしは口の中で告げられた名前を繰り返した。
庶民にありふれた実によくある名前の一つだ。
「ジルサンドラは公には既に死んだ存在だ。そなたは本来の身分と立場をすべて隠さねばならない。サーシャ、これまでと同じようには生きていけないことを頭に入れておきなさい」
「これまでと同じように?」
「おまえは既に王太子の婚約者でも亡ければルシエル家の嫡流の子でもない。今までとまったく同じ振る舞いをすることは許されないと言うことだ」
父の言葉にクルスが鼻を鳴らす。
「姉さんにそういう振る舞いが出来るとは思わないけど……」
「で、出来るわよ!」
「してもらわねば困る。もしもそなたが自らの存在を隠せないというのなら、領地を守る為に私も手段は選んでいられない」
父の言葉に、わたしの頭からざっと血の気が引いていく。
それはつまり、わたしがちゃんとサーシャとして振る舞えないなら、やはり殺すと言うことだ。
今度こそ、父の手で。
それは絶対に嫌だ。
わたしはまだ死にたくない。
毒で身体の感覚がなくなっていくあの瞬間を思い出した。
苦しくはなかったからきっと楽な死に方だったのだろうとは思うけど、それでも自分の身体が自分のものではなくなるあの感覚は二度と味わいたくない。
「わたし、やります。ちゃんとやるから……」
殺さないで。
その一言をぐっとこらえる。
父が穏やかな声音で命じる。
「サーシャとして、領地と領民のためによく励むように」
「……はい」
それでわたしの今後の人生が決まった。
サーシャとしての新しい人生が。