(61) 兄弟と話し合い 後編
ジルクルスはソファに腰を下ろした。
「アイヴィードを姉さんの従騎士にしたのはエペヴァールとの繋がりを監督しつつ姉さんを守らせるのが目的だった。ユリシスが公然と接触を図ってくるとは思ってなかったわけでしょ、兄さんも父さんも」
「まあな」
首肯し、お兄さまもソファに座る。目線でわたしも着座するよう促されたので、大人しく後に続いた。
「何かあるなら隠れて接触を図ってくるだろうと考えていた」
「ふつうはそうするよね。内偵してるって疑いもたれるわけにはいかないもん」
「ユリシスはアイヴィードに家に戻ってくるように言ったらしいわ。密偵を仕立て上げることが目的じゃなかったんだから堂々と話しかけてきてもおかしくはないでしょう」
「なるほどね。……じゃあユリシスの目的はアイヴィードをここから追い出すことだったのかも」
「追い出してどうするのよ」
「それはわかんないけど……ぼくたちにとっての問題はそこじゃないでしょ」
クルスは腕組みをしてわたしを睨んだ。
「姉さん、アイヴィードはクビにした方がいい。それが今回の騒ぎを収める一番いい方法だ」
ちらりと背後のシーナを見やる。シーナは僅かに瞼を伏せる。わたしは大きく息を吸った。
「いやよ」
「嫌って……姉さん、どういう状況かわかってる?」
「わかってる」
わたしは真っ直ぐに弟の瞳を見つめた。
「わたしを通して領主一族に近づきたい人間が生まれを理由にアイヴィードを引きずり下ろそうとしているわけでしょ。それをわたしが断ったら、わたしが中央と近いか、近づこうとしている人間だと思い込まれて領内の他の貴族に反感を買う可能性がある。……お兄さまのところにはアイヴィードを罷免するように訴えている人が来ているんでしょう?」
「そうだな」
「お兄さまがそれを無視しすぎたらお兄さまや領主への不信感に繋がるかもしれない。でも表向きお父さまへは反抗できないから、わたしに対して嫌がらせしてくる騎士が出てくるかも」
「そこまでわかっててなんで辞めさせないの?」
「アイヴィードがなにも悪くないからよ」
わたしは膝の上に置いていた手を握り込んだ。
「周りの騎士があれこれ言ってくるからって、なんの悪さもしていない人間を追い出すのは……それがやり方として間違っていないんだとしてもわたしは嫌よ。それだけは、……出来ない。だって、わたしは……」
不意に腹の底から込み上げてくるものがあって、わたしは唇を閉ざした。
身体が震えて、目頭が熱くなる。
「わたし、納得できてない……わたしは殺される必要なんかなかったもの!」
なにかごろりと大きな塊が口から飛び出したかのようだった。
お腹の奥では熱いものがぐるぐるととぐろを巻いている心地がする。
「わたしはミルフローラを殺そうとなんかしてない! それなのにどうして死ななきゃいけなかったの!?」
「それは……」
「わかってるわよ! そうする必要があったってことくらい……わたしの馬鹿な振る舞いがその切っ掛けになったってことくらい……でも、だからって認められないわよ! わたしは無実なんだから!!」
わたしは弟を睨み付けた。
頭の中ではちゃんとわかっている。ミルフローラの襲撃事件でわたしが自裁――事実上処刑されなければならなかった理由は、全て理解しているつもりだ。国王陛下やエディアルドの置かれていた状況、国家間の力関係や情勢、国内の政治バランス、わたし自身が当時周囲にどう思われていたか……アルフレイド四世が様々なものを天秤に掛けてわたしを殺すことを最適解だと考えたのだろうという理屈は、いくつだって浮かび上がる。
ミルフローラを襲撃したのはわたしだと、証拠さえ捏造されている中でアルフレイド四世の元に多くの人がわたしの処刑を申し出たのだろうと言うことは想像に難しくない。わたしが登城した日に広間に集まっていた民衆たちも、わたしの死を願っていたのだろう。
わたしの無実の可能性など少しも考えず――むしろわたしが無実かどうかなどどうでもよくてただ死を願っている人たちが、あの中にどれくらいいたのだろう? 単に扇動され情報に踊らされているだけなのだとしてもその波は決して小さなものではなく、王城を混乱に陥れるには十分な勢いがあったに違いない。その混乱が国中に広がることを国王が最も恐れたことは、正しい判断だ。
だからきっと、仕方なかったのだ。
仕方なかった――
「それでも……それでもわたしは違うんだもの! やってないんだもの……!」
仕方なかったとわかっていてさえ、何度だって浮かび上がる。
わたしは違う。無実だ。こんなことは間違っている。
納得できない。
納得したくない。
どうして誰も、わたしの話をちゃんと聞いてくれなかったの?
その理由だってわかっている。わたしの日頃の振る舞いが人の信用に値しなかったから、話を聞いて貰えなかったのだ。
それでも……せめて、エディアルド、貴方にはわたしの話を聞いて欲しかった。
聞いた上で判断して欲しかった。
……だからこそきっと、聞くわけにはいかなかったんだろうけど。
正しさの形はいつだって一つではない。
たくさんある正義の中でどれかしか選べないなら、他は捨てるしかない。
エディアルドは罪がないかもしれない一人に人間を守るより、社会情勢のいち早い安定を取った。その方が多くの人間を守れるから、王太子としてその判断は間違いじゃない。
「国王陛下もエディアルドさまも、間違ってないと思う……わたしも、勉強して、今がどういう状況かわかってる。国内が荒れて帝国の侵攻を許すくらいなら、わたしを切って捨てるべきだって判断は……きっと正しくて……それは、納得しているの。……してるけど、納得したくないの!」
ずっと同じところをぐるぐるしているのだ。
その気持ちを吐き出した。
「自分が殺されたことが正しかったなんて認めたくない! 認めるわけにはいかない! エディアルドにあなたは間違っているって言ってやりたい!! ……けど、アイヴィードをクビにしたら、わたしあの人たちと一緒になってしまう……それは嫌だ。それを認めるくらいなら……死んだままの方がよかった!!」
「サーシャ様、それは……!」
背後からシーナの動揺した声がする。
お兄さまが片手を上げて声を制した。
ジルクルスがため息を吐き出す。
「姉さんのそれは単なる意地だと思う」
「そうかもしれない……でも、」
「騎士団の仕事は命懸けだ。周りとの不和が命に関わることだってある。それでも姉さんがその意地を貫き通すって言うなら、ぼくはそれでいいと思う。間違ってるわけじゃないから」
わたしを遮ってジルクルスが口を開いた。その言葉にわたしはぽかんとした。
お兄さまがクルスを見つめ、小さく頷く。
「そうだな。アイヴィードは間者ではない。これが確実である以上クビにするという行為はやつに対して不当に不利益を与えると言うことだ。我が身かわいさでその行いを軽々に正当であるというのは愚かしい判断だろう」
「あの……よろしいのですか、お兄さま?」
わたしは僅かに困惑して兄を見上げた。
「わたしがアイヴィードをかばったらお兄さまやお父さまも批判されるのでは?」
「それくらいの批判など、俺や父上にとってはたいした問題ではない。気にするな」
お兄さまは腕組みをしてわたしを見下ろしている。
「ルシエルは王都とは状況が違う。だからおまえが天秤に掛けているものも、陛下や殿下が天秤に掛けたものとは厳密には違うものだ。もしもおまえの判断が領全体を脅かすものならば当然俺は口を出すが、今回のことはそうではない。おまえ個人の裁量に託す」
「では……アイヴィードはそのまま従騎士として置いてよろしいのですね?」
「おまえがそうしたいならそうするといい……だがその判断が自身を大なり小なり危険にさらす判断だと言うことは忘れるな」
「それはもちろん」
お兄さまの言葉にわたしは大きく頷いた。
ひょっとしたらお兄さまにもアイヴィードを辞めさせるように言われるかもしれないと思っていた。
しかしどうやらお兄さまもお父さまも、端からわたしの判断を見守るつもりだったらしい。
その気遣いがとても暖かく、うれしかった。
顔に思わず笑顔が浮かんだ。
「わたくし、お兄さまやお父さまの期待に応えられるよう頑張ります!」
「そうだな……多少おまえに文句を言うものも現れるだろうが功績があれば黙らせられる。浮かれず、周囲によく注意を払いながら騎士の務めを果たすように」
「はい!」
わたしは思わず立ち上がりかけた。
それを遮るようにクルスが口を開く。
「ところで結婚の噂はどうするの?」
お兄さまが渋面を作る。
「それはこちらで適当に打ち消すしかないな……サーシャ、おまえの軽率な発言が起こした問題だ。打ち消すのに多少の荒技を使うが文句は言うなよ」
「……え、なんなんですか、お兄さま。恐いのですが」
「噂を消すのはだいたい別の噂だ」
「ああ……そういう……」
「父上と叔父上に相談せねばな……」
「え、なんなのです? なんなのですか!?」
わたしはお兄さまがなにを企んでいるのか聞き出そうとしたが、その場では無理だった。
執務室を追い出され、その日の仕事はおしまいになったのである。




