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(58) 城壁の詰め所にて



 早朝、外はシーナが言ったとおりすっかり白く染め上げられていた。

 王都ではこの時期の雪は仮に積もってもブーツで踏んだら土が見えてしまうことも珍しくはないが、ルシエルでは雪に踏み跡が残るだけだ。

 空には灰色の雲が鈍重に横たわっており、いつまた雪が降り始めてもおかしくはないらしい。すると雪がどんどん積もっていくので見回りなども大変になるそうだ。

 今日の指導騎士であるオマーンの説明を聞きながら、わたしは一日ぶりに城壁の見張り任務に就くことになった。本部にいったん顔を出したあと、城壁の詰め所に向かう。

 詰め所内には他にも何名かの騎士がいた。

 城壁の見張り任務は基本詰め所に控え、決まった鐘の時間に担当区分を見て回る。城壁各地の見張り塔には兵士が詰めているので報告を聞き、書類をまとめる。

 実際のところ騎士は書類仕事をしている割合がかなり高いのだ。わたしは担当分の書類をまとめながら周囲を見る。心なしか空気が重いのは城壁の小さな窓から見える空模様のせいだと思いたいが、違うだろう。

 そんな中同じ見習い騎士のエルトジルが非常に気さくにアイヴィードに話しかけている。


「それにしても、アイヴィードがエペヴァール家の人間って言うのは本当に驚きよね……」

「……すみません」


 エルトに話しかけられ、アイヴィードは肩を小さくしていた。


「どうして家を飛び出してきたの?」

「もともと屋敷で生活していなかったんです。父が亡くなったあと家督を継いだ兄は俺を一族の人間として認めませんでしたので、母方の祖父と母と一緒に敷地内の小屋に暮らしておりまして」

「小屋?」

「祖父が馬丁だったものですから」

「ああ、エペヴァール家って馬場を持っていたわね」

「はい。夜間馬になにかあったときのために寝起きする建物が近くにあったんですよ。それでそこで生活していました」

「あらま、ひどい話」


 アイヴィードがエルトに話している内容はわたしも昨日のうちに聞いた話がほとんどだ。

 話の内容が本当ならアイヴィードが伯爵とはとっくに昔に縁を切って、今回も誘いに乗らずに残るというのは当然の流れだと思う。

 わたしも万が一お父さまに馬小屋で生活しろなんて言われたらさすがにどうにか抜け出す方法を探すだろう。そんなものは実質親子の縁を切ると言っているようなものだ。

 国王陛下の護衛、王国騎士団長として真面目に働くエペヴァール伯爵しか見ていなかったので、伯爵にそういう冷酷な一面があるとはまったく気づいていなかった。


 アイヴィードの母親が結婚したのは彼が十二歳の時で、それまでは屋敷で生活していたらしい。

 だとするとわたしが初めてエペヴァール家の屋敷に遊びに行ったとき、アイヴィードは敷地内で生活していたことになる。

 そのことに気づいてわたしは一瞬身を強ばらせた。

 ひょっとしてどこかで会ったことがある!?

 だとするとまずいのではないか? わたしの正体に気づいてしまうのでは?


「サーシャ様、どうかなさいましたか?」

「いえ! ……なんでもないわ」


 ペンを止めたわたしの顔をアイヴィードが覗き込んでくる。わたしはすぐに首を横に振った。

 落ち着け。

 わたしの記憶だとエペヴァールの屋敷ではアビゲイルとユリシス以外の子どもとは顔を合わせていないはずだ。

 話を聞いた限り馬丁見習いに近い扱いだったようだけど、教育のなっていない幼い使用人は滅多に客人の前に出すことはないはず。

 綺麗な白馬のオパールに乗せてもらったときは優しそうな老人の馬丁が準備をしてくれたのだ。あれ、じゃああのご老人がアイヴィードの母方の祖父だったのかしら?

 好奇心が胸をもたげてきたがそれを訪ねるとサーシャとして成り立たなくなってしまうのでわたしは言葉をぐっと奥に飲み込んだ。


「ユリシス卿のお話はなんだったの?」


 わたしがあれこれ考えている間もエルトジルとアイヴィードの会話は続いている。

 一応任務中なのにいやに世間話をしている。怒られやしないのか、と心配になって指導騎士のオマーン卿を見やったが、彼はこれと言って二人を注意する気はないようで、しかし常に視界内に二人を入れて話を聞いているようだった。

 その動きにわたしは違和感を感じる。

 ひょっとしてわざとしゃべらせているのだろうか?


「家に戻ってこいと言われましたが、お断りしました」

「あらどうして? 貴族になれたかもしれないのに」

「兄の目的は恐らくルシエル軍のことを私から聞き出すことです。それが終われば用済みでしょうから……恩あるルシエルの皆さまに仇なすようなことは出来ません」

「アイヴィードは真面目で忠義ものね! よかったわね、サーシャ、忠誠心のある従騎士で」

「ええ、そうね」


 急にエルトに話しかけられ、わたしは慌てて頷いた。


「しかしサーシャ殿はご領主の姪御であらせられる。従騎士は領内のものの方がよいのではありませんか?」


 ぴきりと空気が凍り付いた。

 わたしは笑顔を顔に貼り付け、声のした方を見やる。先に詰めていた先輩騎士の一人がこちらを見ている。


「アイヴィードはルシエルの人間です。戸籍も持っておりますし」

「しかし話を伺っている限りここ二十年も暮らしてはいないでしょう。忠義ものという言葉には当てはまらないのでは?」

「あら、そんなことないと思いますわ、イジアス卿」

「エルトジル・オルドシエ、そなたその口調は改めた方がよいのではないか。そのようになよなよとしていては名門を継げぬぞ」

「生憎と我が家を継ぐのは姉の子どもですから」


 エルトの言葉にイジアス卿はふんと鼻先をならした。

 それからアイヴィードを睨み付ける。


「そもそもが、幼い領主一族の子どもに取り入るために我が領内に来たのではないか、貴様」

「違います」


 相手の言いがかりをアイヴィードは即座に否定した。

 わたしもさすがにそれは無理があると思う。

 アイヴィードが領内に来たとき一族の幼い子どもはわたしとクルス、あとはジルバート叔父さまの子どもたちと言うことになるけど、それらの側付きになりたいなら貴族の生まれかケミア家のような豪商である必要がある。アイヴィードの義父は商人だが、名家とは言い難い。一族に取り入らせることが目的なら初めから貴族の養子として送り込んでくるはずだ。

 そう言った背景を考えてもアイヴィードとエペヴァール伯爵の不仲は本物だろうと思うのだ。


「貴様が中央の間者ではないという証拠は出せるのか?」


 イジアス卿はせせら笑うようにそう告げる。

 わたしは唇を噛みしめた。間者ではないという証拠など、出せるはずがない。そんなことわかっていってきているのだ。


「アイヴィードが間者だという証拠もございませんわ。辞めさせる道義のある理由はございません」

「エペヴァール家の人間と言うだけで十分ではないかね」

「わたくしはそうは思いません」


 昨日から何度か繰り返した問答だ。

 わたしは苛立ちに舌打ちしそうになったが、相手は先輩騎士だったのでぐっと堪える。

 だいたいなんでアイヴィード本人がいる前でこんな話をしてくるのか。


「サーシャ殿、私はそなたの為を思って忠告しているのだ。一人前の騎士となり、いずれは領地を支える名門のいずれかに嫁ぐであろう貴女がこのような男を側に置いていては外聞が悪い。そうそう、従騎士を変えられた方がよろしいだろう」


 イジアス卿は今度は急にことさら優しげな声を出した。

 なんなら自分が紹介しようとでも言い出しそうな気配だ。

 苛立ちで眉間に皺を刻みそうになったが、ここで怒ったら相手の思うつぼになりそうな気がする。

 わたしはことさらへらりとした笑みを浮かべた。


「まあ、わたくしの結婚まで心配してくださるのですか? でもわたくし、母が駆け落ちして父は平民ですから貴族の方と結婚するなんてとてもとても……。わたくしのような娘の従騎士など平民出身で十分というのでジルウォード様もアイヴィードをご用意くださったのです。逐電娘の子どもと逐電息子とでわたくしとアイヴィードは似たもの同士主従だと思うのですけれど……」

「あら、言われてみればそうね」


 エルトジルが楽しげに笑う。

 わたしはやや前のめりに、更に笑みを強くした。


「そうでしょう! わたくしたち、とってもお似合いなのです!」


 そう言った瞬間、弛緩しかけていた空気がぴきりと硬直した。

 しまった。失敗した。

 なにがよくなかったのかしら?

 わたしは大焦りだったが、イジアス卿は顔を赤くして沈黙し、それ以上口を開こうとはしない。

 オマーン卿が空気を誤魔化すように数度咳払いをしたことでみんなは仕事を再開したのだった。




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