幕間 アイヴィード/甥との再会
「話というのはなんでしょうか?」
冬の早い夕暮れのなか、アイヴィードは騎士団本部の応接室でユリシス・エペヴァールと向き合っていた。
ユリシスとアイヴィードの関係は複雑だ。
血のつながりで見ればアイヴィードの方が叔父であり、ユリシスが甥になる。しかし年齢はユリシスが一つ年上の関係で、アイヴィードは小さい頃父の計らいから彼を兄と呼んでいた。
それが父の死後兄に屋敷を追い出されて関係性が希薄になり、アビゲイルの一件で彼女の身代りとしてアイヴィードが屋敷に戻ったことで二人は表向き姉と弟となった。
アビーのふりをしているときアイヴィードは彼を「ユリシス」と名前で呼び、ユリシスは「姉上」と呼びかけていた。
母とともに屋敷を逃げ出して数年、今改めてどういう態度で彼と接するのが正解なのかアイヴィードにはわからない。
それにアイヴィードはユリシスに対して負の感情は抱いていないが、向こうはそうではないだろう。彼の母親はアイヴィードがいなくなったことで恐らく正気を保ってはいられなかったはずだ。
アイヴィードの胸中は様々な考えが渦巻いているのに、相対するユリシスは平然としていた。
貴公子然と整った顔つきのままアイヴィードをひたりと見据える。
「父上が戻ってきてもよい、と」
端的に告げられた言葉はアイヴィードにとってもちろん失笑ものだった。
アイヴィードが王都を出たのは追い出されたからではなく逃げたからだ。兄がなんとか妻を納得させてアイヴィードを処分することを考えていることがわかったから、母とともに屋敷を逃げ出したのだ。
「今さら俺を一族の人間として認知しようというわけですか? ずいぶん唐突ですね」
「母上が亡くなったので父上にもいろいろとお考えがあるのだろう」
「……そうでしたか」
やはり亡くなっていたのか。
アイヴィードは次の言葉を探して視線を彷徨わせたが、絞り出したのは結局一言のみだった。
「……ご愁傷様です」
「長年患っておいでだった。今頃きっと創造主の楽園で姉上と再会してお喜びだろう」
ユリシスから感情の色は窺えない。
しかし言葉から夫人がアイヴィードがいなくなってすぐなくなったわけではなく、数年がかりで弱って言ったことが窺えた。それが良いことなのか悪いことなのはかはアビゲイルが亡くなって一年ほどの狂乱を知っているアイヴィードには断言しがたい。
「それで戻ってくるのか?」
「お断りします」
アイヴィードは考えることもなく断った。
今さらエペヴァール家に戻ったからと言ってまともな扱いが受けられるとは思えない。あれほどアイヴィードを邪険にしていた兄なのだ。なにか思惑があってのことだろう。
「どうせルシエル軍の情報でも知りたいのでしょう。あいにく、お話しできることはなにもありませんから」
中央が今一番恐れているのはジルサンドラを殺されたルシエル一族が王都に対して蜂起することだ。帝国側に寝返りでもされたらなおよろしくない。
実際領内ではジルサンドラが処刑されたあとはそう言った意見も一部の貴族が口にしたようだったが、領主であるジルレオンはそれを突っぱねて王都に恭順を示した。ルシエル領は王国内随一の大領主とはいえ多勢に無勢では勝ち目がないからだ。
「ルシエルはこの一年王国の支援を受けられなくともずっと役割を果たして参りました。その上でエディアルド様はなにをお疑いになっているというのです?
ユリシスの眉が僅かに跳ねた。
「俺は確かに殿下の護衛騎士だが、ここに来たのは父の用事を果たすためだ。殿下はルシエル一族を疑ってはいない」
「……ではなぜ」
「いろいろある」
なぜジルサンドラを殺したのか。
暗に尋ねた問いかけは曖昧な言葉で濁された。ユリシスは苦々しげな顔でテーブルに視線を落とした。
「今の王室は国内での後ろ盾が弱い。それを補うためのお二人の婚約だった……おまえも知っていると思うが」
今度はアイヴィードが顔をしかめる番だった。
現国王アルフレイド四世は賢君として知られているが庶子の生まれだ。それはすなわち、本来は王位継承権がないことを示している。先々代国王の子としては認められていたが、正式な王子ではなかったのだ。
それが先王の急死を受けて俄に国王として擁立されることになった。しかし彼の母親も妻のレティシア妃も中央の子爵家出身で大領主とは繋がりが薄く、最も縁戚関係が強いのは現モンド聖殿の大司祭――アフルレイド四世の最も強力な後ろ盾は聖殿と一般民衆の支持だ。
アルフレイド四世はこれにもう一枚強力なカードを足すべくルシエル一族の姫君を息子の婚約者に求めたが、事件で新しい後ろ盾と旧来の後ろ盾が対立することになった。
結局、後者を選ぶしかなかったのであろう。
万一聖殿と反目して王位継承の揉め事を再び引っ張り出されたら、中央では大混乱が起きることは目に見えている。それにルシエル一族と反目する別の大領主が乗っかりでもしたら軍事闘争は避けられないだろうし、ルシエルが国王のために領軍を王都に向けて動かせば背後から侵攻してきたとき守りが薄くなってしまう。
ジルサンドラを切って捨てる選択はあの時国王が取れた最も優れた穏当な手段だったのだ。
兄はアフルレイド四世に忠誠を誓っている。
エペヴァール家は王の盾にして剣だ。その忠誠心のまま、王国に反旗を翻す可能性のあるものについては容赦はしないと言うことだろう。
だったらなおのこと話すようなことはない。
「あいにく、俺はつい最近まで一介の兵士でで騎士団にいたわけではありません。仮に戻っても伯爵の欲しがっているような情報は知りませんよ。そうお伝えください」
「戻る気はないのだな」
「ええ」
「わかった」
ユリシスはそれ以上問い詰めるようなことはなく、アイヴィードの石を翻すために説得する気もなさそうだった。
それでアイヴィードは相手が初めから兄の頼みなどどうでもいいと考えていたのだと悟る。ではなぜ王太子の側を離れてこんなところにやってきたのだろう、この男は。
「他になにか質問が……?」
アイヴィードの問いかけにユリシスは沈黙した。
唇を引き結び、少し息を吐き出す。
「サンドラ様の……遺体は見たのか?」
アイヴィードは顔をしかめた。
「昼間も言ったと思いますが、夜でしたので遺体が誰のものかなどは確認が取れませんでした。その後は落下して燃えましたので、なんとも……」
「そうではなく……サンドラ様は確実にお亡くなりになられておいでだったのか?」
ぎくりとした。
アイヴィードは更に眉間に力を込めた。
「遺体はそちらが引き渡したのでは? お亡くなりだったのを確認せずに渡したのですか?」
「……いや」
「なら、亡くなっておいででしょう。なぜそんな意味のない質問を?」
「おれは……」
ユリシスが片手で口元を覆い隠した。
なにを言うつもりなのかアイヴィードは身構えた。
しかし彼は大きく息を吐き出し、それから姿勢を正した。
「すまない。おまえが言うように無意味な質問だった。ただ規格外の精霊眼の持ち主だったゆえ、万一もあるかもしれないと思ったのだ」
「あり得ないでしょう」
アイヴィードは断言した。
胸のうちにある疑惑が欠片ほども顔に乗らないようにさりげなく。
「そうだな……すまない。長居をした」
ユリシスがソファから立ち上がった。
アイヴィードも慌てて立ち上がる。向こうの方が身分は上だ。
アイヴィードが応接室の扉を開こうとしたところで、ユリシスが再び口を開いた。
「……おまえの主人だというあの少女、あの方の幼い頃に似ている気がするが……」
「従姉妹ですから似ていてもおかしくはないでしょう。……俺も姪とよく似ていました」
「そうだった」
ユリシスはうなずき、それからなにかを懐かしむように淡く微笑み、笑顔はたちどころに消えた。
「もしも仕事を辞めることになったら言うといい。父上とは別に俺の方で仕事くらい紹介してやる」
「……やめませんが」
「それが出来ればいいがな」
なにが言いたいのか。問いかけようとしたところで扉を開けるように促された。
仕方なくドアを開けて道を譲る。
「じゃあな、アイヴィード。近いうちにまた会うだろう」
「そうなならないと思いますが……帰り道はお気を付けて」
「ああ」
去りゆくユリシスの背中を見送って、アイヴィードは肩の力を抜いた。
主人が待つであろう騎士宿舎に自分も戻る為、ゆっくりと城内を歩く。ところどころ視線が刺さるような気がするのは、もう出自の話が城中に伝播しているからだろう。
アイヴィードは主人に投げ掛けられた言葉を思い出して胸が痛んだ。
断じて間者の類いではないことを納得して貰えるだろうか――そう考えたところで、ユリシスが告げた言葉の意味を遅まきながら理解する。
なるほど。やめることになったら仕事を紹介するとはそういう意味か。
アイヴィードは小さく舌打ちをした。
伯爵の用のためだけなら大勢人がいる前ではなく、あとでこっそり接触を計ることも出来たはずだ。それなのに堂々と声を掛けてきたのは母親が寝込む最終的な原因になったアイヴィードに対する小さな意趣返しか?
この先のことを考えてアイヴィードは暗澹とした気持ちで部屋の扉をノックした。
「アイヴィードです。ただいま戻りました」
「……おかえりなさい」
扉を開くと、サーシャがいた。
彼女はソファに座り込み、なぜかぐったりとした様子でクッションに顎を乗せていた。
「なにかあったのですか?」
「……なんでもないのよ」
サーシャはそう言っているが、明らかに何かある。
思わずシーナの方を見やれば、彼女は不愉快そうな顔でアイヴィードを睨み付けたのだった。




