(56) 揉め事の前に
わたしを宿舎に送り届けたら、アイヴィードはナヴの世話をする必要があるからとすぐにいなくなってしまった。
どうすればいいかわからず部屋の中うろうろしていると、洗濯を抱えてシーナが戻ってきた。
「まあ、サーシャ様、なにをなさっておいでですの?」
「シーナ……実はその、アイヴィードが」
彼女は本部でのやり取りを知らない。
内容を説明しようとしたところでシーナはゆるく頭を振った。
「存じておりますわ。アイヴィードがなんとあのエペヴァール家の人間だったとか。もう宿舎もその話で持ちきりです」
「そうなの?」
「ええ、悪い噂が広がるのは早いですからね。それで、サーシャ様はどうなさいます?」
「どうって?」
「私としてはアイヴィードをすぐに従騎士からお外しになることをお薦めしますわ。騒ぎが大きくなりすぎる前に」
「なっ……!」
わたしは硬直してシーナを見上げた。
「クビにするってこと!?」
「そうです」
「それは……アイヴィードが間者かもしれないから?」
恐る恐る尋ねたわたしにシーナはにこりと笑った。
「それはあり得ませんわね」
「え、ないの?」
思わず呆けてしまったわたしを見下ろし、シーナはころころと笑う。
「まあサーシャ様、ご自分のお立場をすっかりお忘れですの? 貴女様は単なる領主の姪ではございませんのよ。とても特別なお方なのです。そのような方の側につく人間に間者の可能性があるものを選ぶでしょうか?」
「……たぶん、これまでずっと安全な人間が側にいたと思うわ」
わたしの側付きになる人間はお父さまが厳正に選んでいたはずだ。領内政治のバランスなども考えられていたと思うが、わたしに害を与えようというものは含まれなかっただろう。むろんルシエル一族に反抗的な人間は排除されていたはずである。
「それは今も同じです。ご領主様とジルウォード様はサーシャ様の側に付くものがサーシャ様自身にとって、そして領地にとって安全な人物かどうか必ず調べておいでです。アイヴィードがエペヴァール家の出身者であることなどお二方はとっくに把握済みだったでしょう。お二方に近い者たちも知っていたに違いありません」
そういえばユリシスがアイヴィードに話しかけてもジルウォードお兄さまは特に驚いてはいなかったし、ジルクルスも至って平然とした気がする。
つまり二人は何らかの方法でアイヴィードの出生を把握していたのだ。
なんでわたしには教えてくれなかったのよ。
わたしはむっと鼻先に皺を寄せた。
「愛妾の子だと言いますし、あまり存在を知られていないと言うことはエペヴァール伯爵はアイヴィードと母親に冷たかったのかもしれません。きちんと保護を受けていたら祝福式の際に認知され、十二・三歳くらいで学園に通うことになるでしょうから。アイヴィードがその扱いを受けていない点で考えても彼とエペヴァール家の繋がりが今は非常に薄いことは予想が付きますわ」
「そっか……それはそうよね」
古代イエナシエ帝国の慣例に従って大陸の多くの国家は婚外子に父方の財産や身分の継承権を認めていない。
庶子の取り扱いは原則として母方の身分に追従し、仮に父親が認知しても嫡出子と同等の扱いは受けられない。ただ認知されれば父方の親族として保護されることにはなる。
アイヴィードがエペヴァール家の人間としてアシュロット学園に通っていないと言うことは恐らく貴族として認知を受けられなかったのだ。だから母親がルシエルの人間と再婚するとき付いてきたのだろう。父方の認知のない子どもは障害において不利であるが、再婚で養父が養子に迎えてくれるなら最低限の社会保障は受けられる。
「エペヴァール家が子だくさんなら庶子のアイヴィードを間者に仕立て上げて、取り込んだルシエルの商人と母親を結婚させ不自然ではないように我が領に送り込んだことも考えられるでしょう。ですが現伯爵には今はもうユリシス様しか息子がいらっしゃいません。伯爵家の利益を考えればアイヴィードは本来彼らの一族に迎え入れられるべき存在のはずです」
「え、じゃあユリシスが行ってた父親の伝言ってその話かしら?」
「そうかもしれませんね。伯爵かユリシス様かどちらかの体調に問題でもあるのかもしれません」
「ユリシスは元気そうに見えたけど」
ユリシスの父親はお父さまより少し若いくらいだったはずだ。最後に見たとき彼の顔色がどうだったかなどはさすがに覚えていない。
「でも、じゃあアイヴィードは伯爵家に戻るかもしれないってことよね……」
つぶやいて、わたしの胸はずきりと小さく痛んだ。
まだ知り合って二か月程度とは言え付き合いの密度は濃い。騎士見習いとして諸々覚えていく上でアイヴィードに助けられたことは数えきれず、わたしは多くのことを彼を頼りにしてきたのだ。
その人物が中央貴族となってわたしの元を去るかもしれない……。
「なら、わたしからクビにする必要はないんじゃない?」
「自分と母親に冷淡だった男が当主の家に好き好んで戻る者がいるとは思えませんわ。少なくとも私ならお断りです。アイヴィードの今の生活でしたらお金には困っていませんもの。伯爵家に戻って認知されても彼の立場では贅沢できるわけではありませんしね」
「……それはそうかも。じゃあアイヴィードがルシエルに残るかもしれないのね」
シーナの指摘通りだ。
これまで認知されていなかったのに急に認知するという展開になったなら、裏にはなにか事情があるだろう。娘であれば結婚の道具として、男であってもその可能性はある。ユリシスが病気なら彼の代わりの跡取りとしてかもしれないが、見たところ健康そのものであったのだから伯爵は都合よくアイヴィードを何かに利用しようとしているに違いない。
それが透けて見えていたら断る可能性は低くはあるまい。
「それが問題です」
すっとシーナが目を細めた。
「アイヴィードがサーシャ様の従騎士としてここに残ることを希望したら揉め事になりますわ。クビにした方がいいでしょう」
「え、なんで揉めるの?」
「先ほどご自身でアイヴィードが間者かも、と疑っておいでだったでしょう? 同じように考えるものが他にもいるはずです。彼らに文句を言われますわ」
「でも違うんだから、説明すればいいだけじゃない?」
「納得していただけなかったらどうするのです?」
「説明されて、なんで納得しないのよ」
わたしが腕組みをして顔をしかめると、シーナは小さく息を吐き出した。
「だって彼らは貴女様が何者なのか知らないのですもの。突然現れた領主の姪、しかもかつて駆け落ちして領に砂を掛けて去って行った女の娘、そういう認識しかないのです。あなたのことが初めから気に食わない人間だって騎士のなかにはいるのですよ。それが更に中央貴族の出身者を従騎士にしていたら敵を増やしてしまうかもしれないではありませんか」
「ええ!?」
考えたこともなかった点を指摘され、わたしは瞠目した。
「わたしとアイヴィードが気に食わないから納得しないってこと!?」
「そうです」
「そんなのあり!?」
「理想論的な話をすればなしですが、現実としては往々にしてあることですわ。わたくしもジルサンドラ様の自裁など気に食わないと思っておりますから王家の下した裁定は諸々納得しておりません。結果王国内が上手く治まっていたとしても、です。論理的に説明されても感情的に納得できなければ人は屁理屈を捏ねて現実を理解しようとはしないものです。身に覚えがあるのでは?」
「う……」
確かに、ものすごくある。
「ご領主さまやジルウォード様はアイヴィードが間者ではないことを把握して騎士団に在籍することを認めています。ですがそれが納得できな人間はお二人には楯突かず、立場の弱いサーシャ様に彼を追い出すように迫ってくるはずですわ。先輩騎士たちと対立するのは厄介です。すぐに追い出すべきでしょう」
「でもアイヴィードはなにも悪くないのに追い出すなんておかしいわよ」
「いいえ、おかしくはありません。なによりサーシャ様が集中して騎士のお役目に邁進できる環境を整えることが大事なのです。いらぬ対立は招かぬ方がよろしいでしょう。従騎士の代わりだったら他にもおります。ジルウォード様にお伺いすればすぐに代わりの優秀なものを連れてきてくださいます」
「それは……でも、そうかもしれないけど……」
アイヴィードはよくわたしに仕えてくれている。その忠誠心は本物だ。
だが、それを証明して見せろと言われた場合どうすればいいのかなんかわからないし、間者だと疑ってくる人間に対してアイヴィードが潔白であることを証明する手立てもわたしは持ち合わせていない。その状態で彼が潔白であると主人のわたしは庇い続けることが出来るのか?
いや待て。
わたしは大きく深呼吸をした。
シーナは真剣にわたしに警告してくれているのだと思うが、そもそも杞憂の可能性もある。
誰もアイヴィードが間者かもなど疑っておらず、仮にちらと思ったとしてもシーナのように論理的に考えてやはり違うなと納得してくれるかもしれないではないか。
そんなことを考えるわたしの耳にノックの音が響いた。
「ごめんなさい、サーシャ。今部屋にいるかしら?」
グレダでもフレアジルでもない、さほど仲良くない女性騎士の声だった。
わたしは「はい」と返事をしながらも嫌な予感に思わずシーナを見上げてしまった。彼女は素っ気ない表情で軽く肩をすくめたのだった。




