幕間 アイヴィード/安息日
大冬月最初の安息日、アイヴィードは機嫌の良さそうな主人について鳥舎を訪れていた。
騎士団用の鳥舎はいくつかの場所に分かれるが、アイヴィードの主人のものは城の北方に存在する。
領主の居城を囲むようにして発展している領都シエトワールだが、城の北面は昔から領主が所有する牧場として管理されているためこのあたりは緩やかな草原の丘や森が広がっている。とはいえ今は冬なので、夏に比べると些か寂しい風景だ。
鱗鳥たちはそんなことは関係ないと元気なものだった。
主人であるサーシャが鳥舎に入るとそこかしこで鳴き声がする。その声にサーシャが少しだけ肩をびくつかせる。
どうやら彼女は鱗鳥があまり得意ではないらしい。
足早に他の鳥の前を通り過ぎ、お目当てを迎えに行く。
「ナヴ、遊びに来たわよ」
白いツヴェート種の鱗鳥はサーシャの乗鳥だ。
晩秋に起きた事件のせいで怯えて騎士団の仕事をこなせないのではないかと心配していたが、そんなことはなく今の元気にサーシャに仕えている。よほど主人に懐いているようだ。今もサーシャが差し出した手のひらに鼻先を押しつけて甘えている。
「サーシャ様、少々お待ちください。今鞍をご用意しますので」
「手伝うわ」
鳥である鱗鳥は定期的に空を飛ばせてやらなければならない。今は冬なので夏場ほどではないが、それでも日に一回は散歩として飛行させる。
鱗鳥は賢いので調教が行き届いている場合勝手に外に放してもしばらくすると寝床に戻ってくるが、あまり放置しすぎると人を背に乗せるときに抵抗してしまうものもいる。人間が背に乗っている状態に常に慣れさせておく必要があるのだ。
もちろん主人が背に乗っているという状態を好ましく思えるように躾るのが一番良い。
とはいえ領軍内で幹部職に相当する騎士はなにかと書類や会議に追われることもままある。主人が鳥に乗っている時間がない場合、代わって世話をするのは従騎士の役目だ。サーシャが見習い騎士たちと訓練や稽古に励んでいる間、アイヴィードは定期的にここに通ってはナヴの面倒を見ていた。
その為ナヴはアイヴィードが房の内に踏み込んでも暴れたりすることはない。
鳥舎の外へと連れ出して、手順通りに鞍を付ける。サーシャも時折それを手伝った。
主人である騎士の乗鳥や乗馬を用意するのは従騎士や小姓の仕事だが、騎士自体も本来は一通り準備の仕方を覚えておかなければならない。戦場で従者が全員死亡して自分の身になった場合に困るからだ。だが身体の小さなサーシャでは馬はともかく乗鳥の用意をするとなると苦労も多く、手伝いがせいぜいだった。
代わりとでも言うようにサーシャは自分の身支度はきっちりとこなしている。冬なので上空はことさら寒いから防寒着をしっかり着込み、それから鳥に取るための安全帯を装着している。
アイヴィードはサーシャが身につけている安全帯が問題ないか慎重に確認した。万が一のことが起こっては大変である。簡単に外れないようにしっかり確かめる。
「大丈夫です」
「それじゃあ行って来るわね」
「はい」
アイヴィードはナヴから少し離れた。サーシャの合図にナヴが冬空に空高く舞い上がる。
それを見送り、アイヴィードはナヴの房に戻った。今のうちに部屋の中を掃除しておくのだ。
忙しいときは調教師やその見習いがしている仕事だが、これも本来は従騎士の仕事である。
「精が出るねぇ」
寝床に敷き詰められた藁を一部取り替えていると、不意に背後から声を掛けられた。アイヴィードは思わず顔をしかめそうになったが、ぐっと堪える。
「おはようございます。シークス様」
「はよ。サーシャは飛んでんのか」
「ええ、まぁ……シークス様もネラの様子をごらんになられるので?」
「まあな。ちゃんと面倒見ないとすねるからな。生き物は大変だ」
そう言ってシークスは眼を細める。
そうですか、と頷きながらアイヴィードは(午後に来ればいいのに)と内心文句を垂れた。アイヴィードは率直にこの三つほど年下の青年が苦手だった。主人に対して態度が悪いことに対する腹立たしさはもちろんのこと、いつも観察するような眼でこちらを見てくるからだ。そして案外、その観察眼が正確なのではないかと疑っている。
「サーシャはともかくとして……おまえもだいぶん手抜き野郎だよな……」
「私の掃除の何か問題が?」
「その話じゃねえよ、この間の演習だ」
アイヴィードは胡乱げな瞳でシークスを見返した。
「俺が演習で手を抜いていたと? なぜそんなことをする必要が」
「無意識に力を押さえる癖でもついてるんじゃねえの? おまえなら俺の障壁くらい切れそうなもんだけど」
「……身体強化で障壁を切るには相当熟練した剣士でもなければ無理です。俺はまだその領域にはありません」
「ユリシス・エペヴァールは切れたけどなぁ」
アイヴィードは思わず沈黙した。
久々にその名前を人の口から直接聞いた。一つ年上の甥の名前。兄の自慢の愛息。
アイヴィードは慎重にシークスを見つめ返した。この青年はどこまでアイヴィードのことを知っているのだろう。
先代エペヴァール伯爵の愛人の子アイヴィードは表向きは死亡の取り扱いになっている。今のアイヴィードの戸籍はルシエル領に移ったときに新たに作ったものだ。一応国法では転領の際は転出届を出して戸籍を移動させることになっているが、厳密に守られているとは言い難い。貴族や商家の嫡子であれば出生届をきちんと提出して戸籍があるが、農民は子どもの戸籍を作らない人間も多い。幼いうちに死んでしまう子が少なくないから、結婚や相続、他領への転出など戸籍が必要になったとき初めて作るのだ。どうせ子どもからは税を徴収出来ないので各地を治める貴族たちも農民の風習を容認してしまっている。
アイヴィードはその風習に乗る形で母と一緒に王都直轄領を出る際に戸籍を作り直したのだ。
大きな問題はなく領境を通過して数年、王都の生まれと言ったところで自分のことを誰かが調べているかもしれない、とは考えたことがなかった。
今の自分はかつて少女のふりをしていた頃とは体格も顔つきもずいぶん変わっているのだ。
見つめたシークス・アベリアの萌黄の瞳にはなにも現れてはいなかった。
唇は常にうっすらと笑みの形を作っているのに、この青年の瞳はいつもなんの感情も乗っていない。だからこそ苦手なのだ。
「エペヴァール様というと……王国騎士団の団長であらせられる?」
「そう。ユリシスはその息子だな」
「……比較されるのも恐れ多い話です」
アイヴィードはそう言うに留めた。自分とは関係ない話だ、など言い訳を口に出せば出すほど、どうにも言い逃れできないような気がしてならないからだ。
「シーク様、ご用意できました」
ディエルの声にアイヴィードは胸内で安堵の息を零す。それから立ち去ろうとする彼の背に慌てて声を掛けた。
「サーシャ様が上空におられますが、嫌がらせなどはおやめください」
それに対してシークは大袈裟にため息を吐き出した。
「するか。空の上で問題起きたらめんどくせえだろうが」
「空の上じゃなくても問題起こさないでくださいよ」
横からぼそりとディエルのつぶやきが漏れる。どうやら彼の従騎士もシークスのサーシャに対する振る舞いには思うところあるようだ。
ふん、とシークスが鼻を鳴らして鳥舎を出て行く。
その背を見送ってからアイヴィードは再び房の掃除に戻った。
掃除が終わるとナヴのための新しい水と食事、サーシャのために暖かい飲み物を用意しておく。
ほどなくしてサーシャが地上に戻ってきた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま……聞いて! 途中でシークのやつが上がってきたのよ!」
「何か言われたんですか?」
ちょっかいを出すなと言ったのに。
身構えたアイヴィードに対しサーシャは首を横に振る。
「なにも……でも嫌な感じだから逃げてきたの……」
「それでよろしいかと思います」
ナヴはもう少し飛びたそうではあったが、それはいつものことだった。
それよりもサーシャの身体は上空の風で冷えてしまっている。厚着をしていても限界はあるのだ。アイヴィードは用意していた温かいお茶をサーシャに手渡した。「ありがとう」とサーシャが微笑みを浮かべ、お茶を口にする。
ちびちびとお茶を飲むサーシャの横でアイヴィードはナヴが房に戻る用意をする。
きょとりと辺りを覗ってサーシャが顔についた汚れを取るために僅かに眼鏡をずらした。
アイヴィードはたまたまそれを横目で捉え、瞬きをする。
時々サーシャの瞳の色が、空色ではなく深い夜の色をしているように見える瞬間がある。最初は気のせいかと思っていたが、一ヶ月程度の付き合いでだんだんと確信を持ってきた。あの眼鏡の位置がずれると、サーシャの瞳の色は違った色になる。
恐らくそちらの色が本当の色なのだ。
満天の星空のごとき瞳――菫青眼――馬鹿な。
自分の発想をアイヴィードは笑い飛ばそうとし、うまく出来ない。
同じ精霊眼は歴史上に何人か現れるものだが、同時には現れない。これは加護の仕組みを考えれば当然のことだ。
だからサーシャは菫青眼ではない、とは言い切れない。
彼女がいま十一歳で、恐らく祝福式を実施したとき既に前の持ち主は死んでいたと思われるからだ。僅か数ヶ月前に死亡した人間と同じ眼の持ち主が同じ一族に都合良く現れるのかと言われると、天文学的な数字だがないとは言えないだろう。
特にルシエル一族は菫青眼と縁深い一族だ。ルシエル家以外に菫青眼が生まれたことはないわけではないが、ジルサンドラも含めると過去三人がルシエル一族の出身だ。四人目がいてもおかしくはあるまい。
だけど、本当にそうか?
胸のうちに湧き上がる疑問をアイヴィードはできるだけ見ないようにしている。
それはこの少女に尽くすためには必要なことだと感じているのだ。
お茶を飲み終えたサーシャと一緒にナヴの身体を綺麗にしてやる。
サーシャが撫でるとナヴは心地よさげに眼を細めた。
それからサーシャはアイヴィードが用意していた食事をナヴに食べさせた。喜んで桶に頭を突っ込むナヴを見て、サーシャが眼鏡越しに瞳を細める。
「こうしてみるとツヴェート種の羽や鱗って綺麗よね。単なる白じゃなくて色んな色が反射して見えるわ……オパールみたい」
その一言にアイヴィードの心臓が跳ねた。
オパールは、かつてエペヴァール家で飼っていた白馬だ。兄の自慢の白毛の馬はとても美しく、草原で走る毛並みは光を反射して色とりどりに輝いて見えた。だからよく似た宝石の名前を付けたのだ。
サーシャが口にしているのは宝石の話だ。
必死に自分に言い聞かせる。
サーシャの弾んだ声が続いた。
「アイヴィードは白毛の馬を見たことがある? うちの領地は黒毛の馬がほとんどだけど、王都の方には白い毛並みの馬がいるの。その中の一部がこんな感じでね……」
「っ……サーシャ様は、王都に行かれたことが?」
妙にざらついた声が出た。
サーシャがはっとした様子で、口を閉ざす。瞳がキョロキョロと辺りを覗った。
「ストロニアからここに来るとき、王都の港からカラントに来たの。それでそこから馬車でこっちまで来て、その時に馬を見たのだわ」
「……そうでしたか」
アイヴィードは微笑みを浮かべた。
「それはずいぶん長い旅でしたね」
「そうなの!」
サーシャが安心したように笑った。
それはまるで上手く遣りおおせた、と言うかのような笑い方だった。
しかしアイヴィードの胸のうちには穏やかならざる疑念がはっきりと刻みつけられた。
この少女は――死んだはずのジルサンドラ・ルシエルなのではないか、と。




