(4) 精霊眼
着替えが終わったわたしは今度はフード付きのマントを被らされて城の中を移動することになった。
連れて行かれたのは城の西棟で、領主夫妻の私的な空間として使用されている場所だった。
この区画は基本的に領主の子であっても許可なく足りいることは出来ない。当然使用人も領主の信頼厚い者たちのみが出入りしている場所だ。
領主がここに子どもを呼ぶと言うことは外に漏らしてはいけない重要な話があるということだ。
この場合は間違いなくわたしの話なんだろうけど。
わたしがお母さまに続いて部屋に入ると、そこには既にお父さまとお兄さま、それから一つ年下の弟であるジルクルスが待機していた。
クルスはソファからやや身を乗り出してフードを被るわたしの顔を覗き込もうとしている。
扉が閉まったことを確認して、わたしはフードを払った。
「姉さん?」
クルスが首をかしげるのを見てわたしも首をかしげる。
小さくなっているから姉の顔がわからないのだろうか。
そう思ったのだが、どうやら違ったようだ。
「サンドラ、眼鏡を外しなさい」
お母さま命じられるまま眼鏡を外す。
「うわっ……姉さんだ!!」
眼鏡を外したとたんびくりと飛び跳ねたクルスにわたしは眉を逆さにした。
「なによ。ださいって言いたいわけ!?」
「そういう話じゃない」
ため息を吐き出したのはウォードお兄さまだった。
「その眼鏡、すごいですね。目の色が変わりました」
「え、そうなの!?」
お兄さまの言葉にわたしは手にしていた眼鏡を眺める。ただの分厚い黒縁の眼鏡に見える
。
「レンズを埋めてある縁に精霊文字を刻んである魔法具だ。光の精霊の力を借りて目の色を変えてみせることが出来る。」
「そうだったんですか!」
わたしは感心して眼鏡を照明にかざした。確かによく見るとレンズが埋まっている側に小さく精霊文字が見える。眼鏡のつるの部分には本当に小さな宝石が埋めてあるように見えるが、これは宝石ではなくて精霊石なのだろう。
初めて見る類いの魔法具だった。お父さまの手作りであるらしい。
「装着者の魔力を常時消費する魔法具だが、生来魔力が多いおまえがつける分には問題は起こるまい」
精霊文字はこの世界にあまた存在する精霊に働きかける作用を持つ特殊な文字だ。魔方陣や魔法具には必ず使用されている。
とはいえ文字だけで何か出来ると言うことはなく、使用するには原動力になる魔力が必須だ。
よほど古い時代のものではない限り基本的に魔法具は装備時に魔法具内に魔力を蓄え、使い切ったら魔力を再度充填する。常時魔力を消費し続けるのは装備者への負担が大きいからだ。
しかしそうすると当然魔導具自体がある程度の大きさと重量になってしまう。眼鏡のような小型の魔導具に魔導力を蓄積する構造を入れ込むことは難しかったのだろう。この眼鏡はわたしがつけている間わたしの魔力をずっと吸い上げているのだ。
部屋からここに来るまでの間そのことに一切気がついていなかったので、確かにわたしにとってはたいした魔力の消費ではないのだろう。
とはいえ常時消費型の魔導具をつけるというのはいまいち気乗りしない話だった。
魔力はわたしのような魔法士にとって生命線なのだ。
むう、と唇を尖らせる。
「目の色を変える眼鏡型の魔法具なんて初めて聞きましたよ。父上、どこにそんなものを隠し持っていたのですか?」
兄の質問に父が頬杖をついた。
「サンドラが生まれたときに作ることにしたんだ。とはいえ開発が間に合わなくてね……途中で放置していたものが残っていて良かったよ」
「え、わたしのために?」
父の言葉に驚いてわたしは瞬きをした。
「生まれつきの菫青眼なんて目立つからね……私としてはせめて祝福式が終わるまではサンドラの精霊眼については隠しておきたかったんだ。それで少しでも見た目をごまかせる魔法具を作ろうとしたんだが……まあ意味がなくなってしまった」
そう言ってお父さまは両指を組み、押し殺したものを吐き出すようにふうと息をついた。
お母さまが片手を頬に当て、わずかに苦みをにじませた声を出す。
「いくら領地から出さなくても、噂というものは広がってしまいますからね……魔法具が完成するよりも前にサンドラの瞳の件は国王陛下の耳に入ることになり、エディアルド殿下との婚約が決まってしまったのです」
わたしとこの国の第一王子エディアルドとの婚約が決まったのは私が七歳、エディアルドが八歳の時だった。
貴族の婚約は本人の意思とは関係なく子どもの頃に決まることが多いとは言え、ふつうは精霊の加護を得るための十歳の祝福式が済んでからである。
にもかかわらずわたしたちの婚約が早々にまとまったのは、わたしの持つこの菫青色の瞳のせいだった。
精霊眼――それはこの世界において、力の強い精霊の加護を持つ者の証である。
この世界にはあまたの定まらぬもの、精霊と呼ばれる存在がいる。
基本的に定まらぬものである精霊の姿を人間が視界に捕えることは出来ないのだが、彼らはどこにでも存在していて、創造主の命令によってこの世界を保持しているらしい。
遙か昔、大賢者トニヌルキという人物が定まらぬものである精霊と会話するすべを見つけたのだそうだ。
トニヌルキは精霊の言葉を文字にし、それを使って精霊の力を借りる――加護を得る方法を見いだした。
以降、わたしたち人間は十歳になると聖殿で祝福式を行い、精霊の加護を賜ることが慣例となった。
加護を授かると魔法が使えるようになるのだ。
とはいえたいていの人間は力の弱い精霊の加護をうけ、ちょっとした魔法が一つ二つ仕えるようになるだけだ。
精霊一柱分の加護ではたいした魔法は使えない。
しかし精霊のなかには一柱でありながら多くの精霊を従う王侯貴族のようなものが存在するらしい。
そのような精霊の加護を得ると部下の精霊の力も借りることが出来るため多彩で大きな魔法が使えるようになる。
そんな指揮官クラスの精霊の中でも大軍勢を率いているとされる特別な精霊<名前持ち>と呼ばれる精霊の加護の証こそが精霊眼なのだ。
わたしの持つこの菫青眼は<名前持ち>の中でも最上級の精霊<軍団長>のうち一柱の加護をえていることを示している。
しかも通常十歳の祝福式で授かるはずの加護を生まれると同時に賜ったのだ。
このような事例はわたしの他にも過去何例かありはするものの、とても珍しい上に、過去わたしと同じように加護を生得してきた人間はいずれも歴史に名を残す魔法士になっている。
大賢者トニヌルキがその最も有名な例だろう。
魔法具が発達したために今ではさほどの扱いではないが、一昔前までは<軍団長>の精霊眼は文字通りそのクラスの軍事力に匹敵すると言われていた。
今でも精霊眼が何人その国や組織に所属しているかというのは国防や国力を語る上で外せない要素の一つであり、どの国もひとりでも多くの精霊眼を確保したがっている。
わたしとエディアルドの婚約もそんな思惑から決められたものだった。
歴史長き名家ルシエル公爵家の令嬢であれば場合によっては他国の王室に嫁ぐことあるし、実際異国にいる親戚も多い。
ここよりも大国のイルナシエ帝国から話が来たら一族のなかには喜んで受けるべき、と言う人間もいるだろう。
現国王アルフレイド四世はそのことを危惧して噂が真実だと確認するなり我が家に縁談を持ち込んできた。
父としては腰を据えて考えたいと思っていたわたしの婚約話だったが、国王がわざわざ領地まで御幸してまで頼み込んできた話をむげにすることなど出来るはずもなく了承せざるを得なかったらしい。
なのでわたしは物心つく前にはすでに王太子の婚約者、次期王妃となることを定められていた。
その為に必要な教育をずっと受けていたし、国の役に立つために厳しい魔法の訓練だって受けてきたのだ。
それなのに、それなのに……!
脳裏にミルフローラの蒲公英色の髪と孔雀石の瞳が浮かび上がった。
基本的に世界観はふわっとしています。次はちょっと長めかも…