(43) お茶会 前編
ユイノテ大陸で一般的に流布している暦では一週間は七日間、一月は小月と晩月が四週間二十八日、大月が五週間三十五日で構成されている。
小冬月に騎士団に入団して早一ヶ月、今月最後の安息日である今日、わたしは応接室の隅っこで鉄釜を見下ろしていた。
釜の中には割れた木片とクルミの欠片がある。
ため息を吐き出しながらわたしは木片を取り除いた。
「今日もだめだったわ……」
「ですが先週に比べるとかなり改善していらっしゃるように見受けられますよ。クルミが原形を留めています!」
「……ありがとう、アイヴィード。最初は食べるのも無理だったものね」
「そうですね。こちらは私が焼いておきますのでどうぞサーシャ様はお出かけになってください」
「そうね。お願いするわ」
わたしはアイヴィードにクルミの入った鉄釜を手渡した。
割ったクルミは暖炉の火でローストしてからあとで食べるのだ。生も悪くはないけど、長期の保存にはあまり向かないし、なによりわたしはこれから本城に赴く予定がある。
久々に年齢に見合った貴族の令嬢のドレスに着替えているのだ。
髪型だけはすっかり慣れた二つ結びのおさげのままだけど。
「では行きましょう、サーシャ様」
「そうね」
わたしはシーナを連れて騎士宿舎をあとにした。
風がすっかり冷たくなってコートがなければ外を歩くのは厳しくなっている。
明日には大冬月一日、本格的な冬の到来を肌で感じながら本丸の中庭を歩いた。
「ようこそ」
訪れたのは一ヶ月前まで生活の拠点としていた東棟だった。
出迎えてくれた人物を見て、わたしは軽く微笑む。
「お招きありがとうございます、リリージルさま」
「そちらも、よく来てくれたわね」
「もちろん、せっかくのご招待ですもの」
わたしは膝を軽く折り曲げて令嬢としてリリージルに挨拶をした。
リリージルは落ち着いた表情で私に挨拶を返してくれる。今日は彼女がお茶会に私を招いてくれたのだ。
わたしの鱗鳥であるナヴを盗もうとした騒動から一ヶ月強、リリージルは以前よりも大人びた雰囲気が漂っていた。お母様の教育の成果が早くも出始めているのか、それとも騒動そのものが彼女の内面を一気に成長させたのかはわからない。
とはいえ間違いなく今のリリーはわたしに対して敵意を抱いてはいなかった。
リリージルの背後には以前はいなかった年嵩の侍女が一人控えている。お母様の侍女の一人だ。リリージルの教育係兼監視役だろう。と言っても監視は恐らく念のため程度で淑女教育目的が主だろうが。
貴婦人であればお茶会や食事会を主催するのは仕事の一つである。今日のお茶会は練習目的だ。
もちろん招待されたのはわたしだけではない。
部屋の中には既にリリーの弟ジュートジルがいつもよりも少しかしこまった格好をして座っていた。
「サーシャ、なんか久しぶりだな」
「そうですね。一ヶ月程度しか経っていないと思うのですが……今はまたお一人で稽古ですか?」
「そうだよ……なぁ、騎士団の見習い訓練ってどんな感じだ?」
「そうですね……」
ジュートと世間話をしていると「ジルクルス様がおいでです」と使用人の静かな声が部屋に響いた。
リリーが立ち上がってクルスを出迎えに行く。
「ようこそおいでくださいました、ジルクルス様」
「ああ」
クルスとわたし、それからジュートとリリー、これが今日のお茶会の参加者だ。
練習なので身内の子どもたちだけだけど、リリーが主催する初めてのお茶会だと考えると妥当なメンバーだろう。
人が揃ったのを見計らってお茶会が始まった。
「リリージル、あの後体調は大丈夫か?」
「はい。ジルクルス様、助けていただいてありがとうございます。ジルクルス様が迅速に治療をしてくださらなかったら死んでいたか、寝たきりになったかもしれないと言われました。改めてのお礼が遅くなり申し訳ありません」
「ぼくはやるべきことをやっただけだから……」
「父上もあの後一時的に帰城してきて、姉上はものすごく怒られたもんな……おれ、あんなに怒ってる父上見たの初めてだった」
お茶会と言っても子どもだけ、身内だけとなるとかしこまったものにはならないし、話も全員が共通している話題に偏ってしまう。
リリーは騒動のことを持ち出され、居心地悪そうに弟を睨み付けている。しかしそこで手や口がすぐに出ないのは彼女なりに深く反省していると言うことなのだろう。
わたしはなるべくリリーが話しやすい話題を探して振ってみる。
「生活の方はどう? 奥様の教育を受けることになって慣れないこともあるんじゃないかしら?」
「そうね……東棟から部屋を移ったと言うことではないから大きな違いはないけど、色んな貴族の紋章と名前を一致させるように言われたわ。それから外国のことも覚えるようにって」
「今まではそういう勉強してこなかったの?」
「大貴族のものはもちろん覚えているわよ。でももっと細かく覚えなさいって言われたわ。近隣諸国の有力な貴族のものも把握しておくようにって」
「うへ……すごい量になりそうだな」
リリーの話を聞いてジュートが顔をしかめる。
わたしは小さく頷いた。わたし自身も同じようなことを覚えさせられたのでその苦労は推し量ることが出来る。
「サーシャの方はどうなの? 騎士団の訓練について行けてるの?」
「いちおう、なんとかやってるわ」
「問題とか起こしてないでしょうね? あなた、人と揉めそうだもの」
「……なんでわかるの?」
「揉めたの、サーシャ」
リリーの言葉に思わず反応してしまったわたしを見て、ジルクルスが顔をしかめた。
わたしは慌てて弁明する。
「その、揉めたって言うほどじゃないの。ちょっとやり取りがあったというか、もう問題は解決したというか」
「なにかあったらすぐにぼくかフレアに報告するように言ってたはずだけど」
「いや、報告するほどの問題ではないというか……」
「それを決めるのはあなたじゃないのではなくて?」
リリージルの一言にわたしは喉の奥で唸った。もっともな一言だ。
「サーシャ、今すぐ話せ」
「……うう」
結局わたしはグレダとのやり取りを洗いざらい話すことになった。
そうなると演習訓練が散々なことや危ない制御練習に手を出したことも話さねばならなくなる。
演習で負け続きなことはクルスは知っているけど、制御訓練の話は内緒にしていたのだ。
案の定話を聞いたジルクルスは顔を歪めて大きなため息を吐き出した。
「なんでそんな危ないことするんだよ、馬鹿なの?」
「だって……」
「焦って成果を上げようとしたっていいことなんかなにひとつないわよ、サーシャ」
「姉上がいうと説得力あるな」
「黙ってなさい、ジュート」
わたしは肩を小さくした。
リリージルがお茶を一口口にする。
「制御訓練のことはともかく、グレダがあなたに腹を立てた理由は少しわかるわ」
「姉上も嫉妬で暴走したもんな」
「それもあるけど、たぶん困惑しているのではないかしら」
「困惑?」
リリーの言葉にわたしは首をかしげる
「サンドラお姉さまの一件から一年経って、急にあなたが城に来たでしょう? それからあなたが騎士団に入ることになって、わたくしの方はセシリア様の教育下に置かれるようになったわ。領内じゃもうわたしがそのうちご領主さまの養女になってどこかに嫁ぐって話が持ち上がっているの」
「それはまぁ、そうでしょうね……」
「それだけじゃなくて、わたくしがエディアルド王太子の次の婚約者になるんじゃないかって噂も出回っているそうよ」
「はい?」
意外過ぎる話にわたしは目を見開いて固まった。
「ええ!? エディアルドの!?」
「殿下を付けろよ。不敬だぞ、サーシャ」
ジルクルスの鋭い声が飛ぶ。
わたしはあうあうして辺りを見回した。
「エディアルド殿下の婚約者? リリージルが? なんで!?」
「噂が先走っているだけだわ。ありえない」
リリージルは歳に似合わぬ渋面を作って吐き捨てるようにつぶやいた。
「例えご領主さまの命令でも、カラント王家に嫁ぐのだけは絶対にいや!……あいつら、サンドラお姉さまを殺したのよ。それだけは絶対に許せない」
「まだそんなことにこだわってるのか……」
「ジルクルス様は悔しくないのですか? 姉君の命を奪われ、名誉を傷つけられたのですよ!」
「悔しさはもちろんあるけど……ぼくは王家よりも自分のふがいなさの方に腹が立っているかな……」
ジルクルスはちらりとわたしを見やり、それからリリーと向き合った。
「ぼくがもっとしっかりミルフローラともっと上手く付き合うように姉さんに自制を促していれば、ああはならなかっただろう。いざという時姉さんを諫めるのはぼくの仕事の一つだったけど、ちゃんと出来なかったんだ。感情的になってる姉さんと向き合うことを避けて安易な方に流された。ぼくの過失を無視して王家ばかりは責められない」
「ああ……それはちょっとわかる気がします。おれも姉上がサーシャに当たりがきついの、ちょっとやり過ぎじゃないかなって思ってたけど止めようとまではしなかったから……。父上にもそのことをすごく怒られたし」
「それは……でもたぶん、ジュートがなに言ったってわたくしは聞く耳を持たなかったでしょうね……サンドラ様は違うでしょうけど」
「……それはどうかしらね」
わたしはぽつりとつぶやいた。
仮にジルクルスが真剣に忠告をしてきたとしても、あの頃のわたしはきっとムキになってミルフローラをいじめただろう。
今は時間が経って当時の自分を冷静に俯瞰できるようになりつつあるから受け入れられることも多くなっているが、当時はそうではなかったのだ。
冤罪を被せられていることは事実だしその一点に関しては腹立たしい気持ちはあれど、なぜ冤罪を着せられる羽目になったのかだけは理解が及んだ分なんとも言いようのない気持ちになる。エディアルドがわたしの無実を知っていたかどうかは定かではないが、今は殺したくて「死ね」と言ってきたわけではないのではないかと思うのだ。
それでも彼はわたしを殺す必要があった。その事実が辛い。




