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(40) 魔法制御とクルミ



「ごめんね、アイヴィード……窓拭き結局ほとんど押しつけちゃって……」


 訓練終了後、わたしは騎士団本部の窓拭き掃除を終えて自分の従騎士を見上げた。

 どこからどこまで拭くか指示されたのだが、疲れていたわたしは担当箇所の三分の一も吹くことは出来なかったのだ。

 アイヴィードはわたしを見下ろして「お気になさらず」と微笑んだ。


「私はサーシャ様より体力がありますから大丈夫ですよ。サーシャ様は明日の訓練のためにしっかり休まれてください」

「ありがとう」


 にっこりと笑うアイヴィードの笑顔が身に染みる。

 わたしが子どもだからかもしれないけど、アイヴィードはちょっといい人過ぎるのではないだろうか。

 初対面の時からわたしに対して妙に優しい気がするのだ。

 誰に対してもそうなら恐るべきことである。


 罰掃除を終えたわたしたちは食堂に向かってやや遅めの夕食を取った。軍略の講義が控えているから食事は少なめに、急いで口に詰め込む。

 掻き込むように食事をするなんてちょっと前までのわたしだったら絶対にやらなかったけど、ここでは急いでご飯を食べなければならない人間は他にもいるので多少の行儀の悪さは誰も気に留めないようだ。食器が少し音を立てたところで咎める視線は飛んでこない。

 しかし騎士の大半は貴族で本来マナーはしっかりしている人たちだ。ようは使い分けの問題であるらしい。

 食事を終えて時間ギリギリに会議室に飛び込んだ。


「サーシャは少し規模の大きい攻撃魔法に頼りすぎているな」

「申し訳ありません、老ポメロン卿」


 軍略の講義では朝方提出した課題のレポートを振り返ることから始まる。

 仕切っている講師の一人は老ポメロンだ。彼はわたしのレポートを見て眉間に皺を寄せている。


「地図の縮尺はちゃんと確認したのか?」

「しました。一昨日の課題とは縮尺が違うんですよね?」

「その通り。一昨日より広い戦場での戦いを想定している。戦場は広いが運用する部隊の人数は一緒だ。その場合、会敵することなく敵が部隊の背後に回ってしまうことも考えられる。索敵をし、どこに誘導するかをまず考えねばならない」

「……そうでしたか」


 そこからだったか。

 わたしはしょんぼりと肩を落とした。軍略も決して出来がいいとは思ってはいなかったがあれこれ指摘されて自分の無知具合に恥ずかしくなる。


「ヨハンも索敵と誘導をどうするかよく考えていないな?」

「申し訳ありませんでした」

「グレダとエルトは誘導先の部隊展開位置が悪い。この古地図には描かれていないがこのあたりはこのあたりは湿地だ。足を取られるぞ」


 続いた老ポメロンの指摘にわたしは目を見開いた。

 そういうのありなの? 地図に書かれてない情報も調べないといけないとか……。


「地図を鵜呑みにして戦場に出て、実際とは違う地形だった場合は想定外の兵の運用を強いられることもある。地図に間違いがないか、抜けがないかは予め確認しておかねばならんぞ」


 まるでわたしの心を読んだかのような老ポメロンの言葉にわたしは小さく肩をすくめた。


「シークス・アベリアはよく出来ているな。細かい修正点はあるが概ね理想的な展開をしておる」

「ありがとうございます」

「とはいえ、実際の戦場では理想通りにはいかぬから、そこは忘れぬように」

「はい」


 老ポメロンの言葉にシークが頷く。

 軍略の講義では理屈をたくさん学ぶが、同じくらい講師役の騎士や老騎士は口酸っぱく「理想通りにはいかない」と繰り返す。敵国の部隊との戦闘にしろ、魔獣相手にしろ向こうがどう動くか次第で対応は変えていかなければならないのだ。


「はぁ……頭が痛い」

「わかるよ。人里にでた魔獣をかるとか、そういう話と全然違いますから」


 講義が終わって廊下に出たわたしがため息を吐き出すと、あとから出てきたヨハン・ケミアが同意した。


「ヨハンは騎兵見習いだったのよね? こういう講義は受けなかったの?」

「あんまりなかったね。兵士はみんな学校には通ってないから、騎兵だと一兵卒より勉強することが多いんだよ。貴族で騎士になる人はほとんど王都の学園に通って勉強しているけど、騎兵見習いはその代わりみたいなところがあるから……」

「なるほど……」

「サーシャは十一歳にしてはすごく勉強できるよね?」

「え、……そ、そうかしら」


 急にヨハンに指摘され、わたしは瞳を左右に泳がせた。

 横を歩いていたエルトが同意する。


「それは私も思ったわ。年の近い姪っ子がいるけど、サーシャの方がずいぶん賢いわね」

「ええっと……それは、その、お母さまが……!」

「ジルディア様ね。賢くて優秀な方だったらしいわね」

「そうなの!」

「……お亡くなりになられたのは残念だったわね」

「……うん」


 エルトの言葉にわたしはものすごく悲しそうな顔を作った。渾身の演技である。

 一応伝わったらしくエルトが「ごめんなさいね」と謝ってくる。


「親が亡くなるのは辛いわよね……私も母が亡くなったときはそりゃもう泣いたもの」

「あ、エルトもお母様がいないのね」

「まあ私を産んだときそれなりの歳だったからね。高齢で身体に負担が掛かるってわかってたけど産んでくれたのよ。感謝だわ」

「……そっか。そうね」


 エルトの言葉にわたしは大きく頷いた。

 わたしは肖像画でしか顔を見たことがない実母について少し思い出した。

 母セシリアの実の姉だったというわたしの生母はわたしを産んだ数時間後に息を引き取ったらしい。たまに話を聞くけど、わたしにはその方が母親だという実感はない。赤子の頃から今のお母様に育てられていたのだ。

 とはいえきっと実母も命懸けでわたしを産む選択をしてくれたのだろう。それはとても有り難いことだ。


「お母様のためにも頑張らないと駄目ね」

「そうねぇ」


 わたしの言葉にエルトが同意する。


「騎士として一人前になりたいところだけど……サーシャ、あなた魔法を撃つのが遅いわねぇ」

「うう……やっぱりそうよね」

「呪文はともかく魔方陣を書く手間はカットしないと話にならないと思うわ。必要なの?」

「ええっと……その、威力の制御が下手で」

「そうなんですか? あんなに魔力があるのに?」


 ヨハンがぱしぱしと瞬きをする。わたしは小さく頷いた。

 騎士団では入団式の際に魔力量をある程度量ることが出来るらしい。あの<天紫卵(ヴィオローフ)>だ。

 どうやらあれは道具を使った人間の魔力量を光の量で現わすようなのだ。アイヴィードも多めだったけど、わたしが入団した際は部屋がチカチカするくらいの光が溢れてしまっていた。

 みんながわたしの魔力が多いと知っているのはその為である。


「魔力量が多くて逆に制御が難しいってパターンね。まあ練習あるのみなんでしょうけど」

「やっぱりそうよね……」


 エルトの言葉にわたしは肩を落とした。先はかなり長そうだ。


「サーシャ」


 とんとんと肩を叩かれわたしは驚いて顔を上げた。

 話しかけてきたのはグレダ・イシュミーだったのだ。


「どうしたの、グレダ」

「これ、あげるわ」


 そういってグレダが差し出してきたのは両手に収まる大きさの巾着袋だった。

 中身を改めると殻付きのクルミが入っている。


「わぁ! いいの!?」

「食べるためじゃないわ。それで魔法の制御の練習をするといい」

「へ?」


 言われた言葉の意味がわからず、私は思わず首をかしげた。

 クルミでどうやって魔法の制御の練習をするのだ。

 思っているとグレダがクルミを一つ取り出して軽く握った。


「これをこう手の中に持って、魔法で割るの」


 ぱきん、と音がしたと思ったらグレダの手の内のクルミがきれいに割れていた。殻が二つに分かれ、中身が見えている。


「うわ、すごい!」


 ヨハンが感心して手を叩いた。


「ちゃんと中身は無事だし、グレダの手も怪我してないですね! 完璧だ!」

「練習すると三つとか四つとかもまとめて割れるようになるわ」

「へぇ!」


 興奮しているヨハンの隣でわたしは頬を引きつらせた。


「あの……グレダ、これ……失敗したら手とか大怪我したりするわよね?」

「そういう場合もあるわ。でも、あなたの小姓は優秀な治癒兵じゃない。大丈夫よ」


 大丈夫じゃないでしょ。

 わたしは心の内だけでそう叫んだ。グレダが使ったのは攻撃魔法だ。自分の手の内に攻撃するだなんて、失敗したらどうなるか……。

 しかし彼女はそれを平然とやってのけた。


「なんでそんな制御の訓練方法を?」

「痛くて、怪我をするのはいやでしょう? だからこの方法だと早く制御できるようになるわ」

「いやいやいや……そこまでしなくてもそのうち制御は身につくものじゃない?」

「そうね……」


 わたしの言葉に頷いたグレダが、不意に淡く微笑んだ。どこか遠くを見る瞳になる。


「でも、人と同じことをしていたら間に合わないってこともあるの……他の人より頑張らないと選ばれないってことが。あなたはそうじゃないかしら?」


 遠くを見ていたグレダの鉄紺の瞳がわたしを見下ろした。

 わたしは思わず唾を飲み込んだ。

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