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(36) 見習い騎士たち



 なぜ人は壁を登るのか――それは命令だからである。


 ルシエル領の領都シエトワールの周辺は街の北面以外は領都をぐるりと麦畑が囲んでいる。秋が終わった現在、領都の周辺は麦穂の刈り入れが終わって実に殺風景なものだった。

 大都市を囲む城壁にはびゅうびゅうと小冬月の木枯らしが吹き付けて落ち葉や枯れた麦わらが舞い上がる。

 その風に煽られながらわたしはロープを頼りに城壁に張り付いていた。

 紫花騎士団伝統の冬の訓練、城壁登攀(とうはん)である。

 領都をぐるりと囲む城壁の一角にロープを垂らしてそこをよじ登りつつ、壁の汚れを掃除していく頭のいかれた訓練方法だった。体力を付けつつ攻城戦での立ち振る舞いを身につけるのだとかなんだとか……。

 壁なんていざ戦になったら鱗鳥で飛び越えてしまえばいいんじゃないかしら!?


「サーシャ、急げー! 飯抜きになるぞぉ!」

「ふんぎぃー!」


 上空から降りてくる声にわたしは腕に力を込めた。

 ついでに手のひらと足下に魔力を込める。

 使っている手袋と軍靴には身体強化を補助する魔方陣を縫い込んであった。予めこういった補助具を用意することで身体強化はしようがぐっと容易になるし、魔力消費も多少抑えることが出来る。

 力を底上げしてぐっとロープを引っ張り、一歩ずつ歩を進める。

 それにしても冬の風が冷たいし、突風に身体が煽られて足場が安定しない。

 ううう……!


「アイヴィード、駄目だぞ。引っ張り上げたら不正になるからなぁ」

「わ、わかってます!」


 城壁の上の方からわたしの従騎士が心配そうにこちらを見下ろしていた。

 一緒に訓練を受けているアイヴィードはわたしよりも遙かに早く登攀を終えてしまい、わたしが最後の少しを登るのを待っているのだ。

 くそう。シークが言うように引っ張り上げてもらえたら本当に早いのに!

 とはいえ訓練である以上わたしが自力で登攀しなければ意味がないことはちゃんとわかってる。

 わたしは歯を食いしばって城壁をよじ登った。


「サーシャ様!」


 あともう少し、と言うところでアイヴィードが城壁の上から手を差し出してくれた。

 ここからは従騎士の補助は問題ないのだ。

 わたしが腕を伸ばしてアイヴィードの手を掴み返すとぐっとからだが引っ張り上がる。

 わたしは勢い城壁を登り上がり、アイヴィードの胸に飛び込むようにして登攀を終えた。


「はぁー! 疲れた!!」

「相変わらずビリだな、サーシャ」


 アイヴィードの肩に顎を預けた状態で大きくため息を吐き出したわたしを紅茶色の瞳がにやにやと見下ろしている。

 彼の名前はシークス・アベリア。ルシエル領の子爵子息で十八歳の、わたしと同期の騎士見習いだった。


「うるさいわね。ちゃんと登れたんだからいいじゃない!」

「自分一人だけ掃除免除、荷物も半分くらいはアイヴィードに持って貰ってる状態だけどな」

「ぐうっ……!」


 真実を言われ、わたしは口ごもった。

 シークが言うように本来この登攀訓練は城壁の清掃を兼ねている。

 ユウノテ大陸の多くの地方では新年を前に大掃除をする習慣があるのだけれど、このルシエル領も礼に漏れない。城壁の登攀訓練は冬の大掃除の一環として行われ、壁に付いた鳥の糞尿を綺麗にしたり、匍っていた植物の蔦を取り除いたりする。

 蔦によっては成長すると城壁内部まで根を張って壁を壊してしまう品種の植物もあるから、城壁の整備という意味でも年に一度はきっちり掃除と点検をするのだ。

 放置すると危険な穴や凹みが見つかればもちろん埋めることになる。

 新人見習い騎士だけではなく王都に在住する他の騎士や兵士たちもみんなで城壁を修復修繕していくのがこの小冬月の習慣だ。

 だけどわたしはこの通り身体が小さい女の子だ。

 みんなと同じ仕事量はこなせないので、本当に壁を登るだけの訓練を行っていた。訓練の最中に背負うことになっている荷物も半分は従騎士のアイヴィードが背負ってくれていて、身軽な状態で壁登りをしている。

 にもかかわらず他の見習い騎士よりも登り切るのが遅いのだ。


「サーシャ様、気にしないでください。従騎士が主人の荷物を背負うことは当たり前のことですし、なによりサーシャ様はこのあとにお役目がちゃんとございます」


 アイヴィードがわたしを地面に降ろしながらそう告げた。

 わたしは城壁の地面を踏みしめながらむすりと唇を引き結ぶ。


「サーシャ、出来ましたよ。あとはよろしくお願いします」

「ありがとう、ヨハン。今行くわ」


 わたしは声を掛けられた方に振り返り、とことこと近づいて行った。

 大きな壁旗(バナー)が今し方登ってきた壁に掛けられている。

 わたしは落ちないように気をつけながら壁旗に手を触れ、魔力を込めた。

 一瞬だけ壁旗の刺繍が輝く。防壁の魔方陣だ。

 とはいえ壁旗の防御能力などたかがしれている。現代の戦争ならばほぼ役に立たない魔方陣で、火矢を何本か防ぐ程度だ。実際の防衛には城壁内に埋め込まれた複数の防壁魔導具が使用されるはずなのだが、昔からの風習でこのように壁欠けた旗には一応魔力を込めておかねばならないのである。

 わたしはいくつかの旗に次々と魔力を込めていった。登攀中の清掃を免除される代わりにその日の分の壁旗に魔力を込める仕事は全て魔力が多いわたしがやることになっているのだ。


「すごいですね、サーシャは。身体強化を使ったあとに魔方陣に魔力を込めても魔力切れで疲れないんですから」

「……身体強化使わずにみんなが壁登ってることの方がわたしはすごいと思うけど」


 わたしは背後を振り返った。

 声を掛けてきたこの少年はヨハン・ケミア、十四歳だ。麦色の肌に藍色の髪、髪とよく似た瞳をしているやや幼い顔立ちの少年だった。

 今の騎士団内ではわたしの次に若いはずだけど、彼ですら壁を登るのに身体強化を使っていない。

 なぜかみんな自力で壁をすいすい登ってしまうのだ。

 化け物かしら?


「僕は去年も騎兵見習いで登っているから、単なる慣れだと思いますよ」

「でもわたし以外もちゃんと登れているもの……」

「それは単純に体格が違い過ぎるだけじゃないかなぁ?」


 そういってヨハンは苦笑いを浮かべた。

 ヨハンの指摘通り見るからに子どもの見た目をしているのはわたしだけだ。ヨハンもまだ少年の体格ではあるけれど、わたしよりは当然大きい。

 わたしの背後に立ったシークががしっと頭を鷲津かんできた。


「泣きべそ掻くなら家に帰って乳母の膝にでも甘えたらどうだ? おチビちゃん!」

「ちょっと止めてよ!」


 わたしは慌てて彼の腕を振りほどいた。

 アイヴィードが素早くわたしとシークの間に割って入ってくれる。

 シークス・アベリアは十八歳の騎士見習いだ。アベリア家は代々ルシウス家に使えている男爵家の一門でその跡取り息子と言うことになる。肩につく深緑の髪を頭の後ろで一纏めにして、藤色の瞳の片方をすがめてこちらを見やる。立ち姿は貴族らしく堂々としていた。


「おやめください、アベリア様」

「はは、そうしているといっぱしの騎士みてえだな、アイヴィード。それとも王子様気取りかな?」

「シークス、止めなさいよ。品がない」


 ばしんと小気味よい音が城壁に響いた。

 薄紫のさらりとした長髪を揺らし、背の高い青年がシークの背後に立ったのだ。

 シークが思わずと言ったように身体を引く。


「げ、エルト!」


 エルトジル・オルドシエは頬に手を当ててため息を吐き出す。

 流麗な美貌の持ち主で、口調も柔らかいが、十九歳の立派な男性である。


「まったくこんな小さい子をだめじゃないの。そう思うわよね、グレダ?」

「そうね。ふつうに情けないわ」


 同意を示したのは青みがかった白金色の髪をした美少女だった。

 切れ長の整った鉄紺の瞳に、長い睫が掛かっている。

 グレダ・イシュミーは男爵令嬢で、わたしの同期で唯一の女騎士だ。


「サーシャ、大丈夫?」

「うん。ありがとう、グレダ、エルトも」

「エラでいいわよ。オマーン卿に確認してもらったらお昼にしましょう」


 ぱちりとエルトが片目を閉じる。

 わたしは少しだけ顔を引きつらせてうなずいた。

 訓練が始まって早五日、彼のこの態度にはまだ全然慣れなかった。




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