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(35) 菫青の星空の下



 「姉さん、ぼくは恐い」


 弟の言葉に、わたしは閉じていた瞼を開けた。

 少年から弟を見上げる。

 ジルクルスの浅黄色の瞳が歪んでいる。


「姉さんが一人いるか、いないか……どこに嫁ぐのか……それだけで全部が変わっていくんだ。姉さんが精霊眼を持って生まれたから」


 わたしたちの間を冷たい木枯らしが突き抜ける。


「大きすぎるものは在るだけで何もかも歪めていく……そんなものが、この世にあっていいと思えない」


 わたしは息を吐き出した。

 白い靄が浮かび上がる。


「だから、あなたはわたしに消えて欲しいと思うのね」


 ジルクルスは唇を噛みしめ、俯いた。

 弟の唇は色あせてしまっている。

 声を震わせてクルスはつぶやいた。


「ぼくは、ぼくはだだ……みんなに幸せでいて欲しいだけだ。誰も、誰かのせいで争って、死んで欲しくなんかない」


 それはとてもささやかで、尊い願いだった。

 誰もが見る美しい夢だ。


「でも、無理なんだ……姉さん、ぼくらは失敗したんだよ。たった一度のチャンスに負けたんだ」

「どうしてそう思うの?」

「……東から帝国が攻めてくる。きっとカラントはこのままじゃ勝てない」


 わたしは瞬いた。

 夕暮れが沈む地平線とは反対側、領都の北東には国境砦があり帝国との緩衝地帯になっているテラグラン大森林が続いている。そして森を抜ければすぐに帝国領だ。


「……カラントの国土は帝国とそう変わらないわ。決して国力で負けているわけじゃない」

「この国が大国に見えるのは地図の上だけの話だろ……実際は小国の寄せ集めだ!」


 弟の指摘にわたしは唇を閉ざした。

 それは決して間違いではなかった。


 カラント王国は大陸西部に広がるこの世界の最大国家の一つだが、その実態は王家と封建領主たちの同盟によって成立している連合国家。

 各領地を治める封建領主の裁量権は大きく、独自の騎士団と独自の法を持つ領地も少なくない。ルシエルのように敵対国との国境線を守る封建領主の権威はことさら大きく、王家であっても軽々にものを命じることも不可能だ。


 一方帝国は中央の権限が強い単一主権の大国家だ。各地を治めるのは皇帝に任じられ帝都から派遣されてきた総督たち。国家防衛はすべて皇帝の元に統一された国軍が担う。

 地方貴族の独自兵力は法律で厳しく規制され、監視されているのだ。


 封建領主の権限を抑え、中央の王家に権力を集中させる中央集権は帝国以外の国でもここ百年で一気に進行している。

 カラントはその動きに出遅れた――時代遅れの烏合の衆。


 それでも、わたしがエディアルドと結婚すれば何かが変わると期待されていた。カラントの封建領主のなかで最も巨大な力を持つルシエル領、その総領娘でありカラント建国にも関わった伝説の精霊眼・菫青眼(アイオライト)の持ち主が王妃になれば、カラントの中央集権は容易になる。上流貴族の間にはそう言った目論みがあったのだ。


 だがもちろんそれに反発する動きもある。


「ミルフローラの襲撃事件は帝国が裏で動いてたと思う。帝国宰相のイオス・センジュはそういうのが得意な人間だって聞いた……姉さんが邪魔だったからミルフローラを使って姉さんを排除したんだ」

「わたしが死んでも帝国の利益にしかならないなら、どうして陛下もエディアルドさまも死ぬように命じたのよ」

「なにも利益を得るのが帝国だけとは限らないだろ。聖殿は他国への影響力を強めるために聖女を使った婚姻外交を推し進めてる。姉さんがいなくなったら次の王太子妃候補は孔雀眼のミルフローラだ」

「なら聖殿と帝国が手を組んでわたしを嵌めたの?」

「そこまではわからないよ……結果としてそうなっただけかもしれないし、ルシエルが気に食わない国内の他の封建領主が手を貸してるかもしれない。どっちにしたって、姉さんがいなくなってルシエル家を罰したことでカラント王国は今後の舵取りが難しくなった。どこに負債を押しつけて誰が権力を握るのか……少しでも手順を間違えたら内戦が起きるかもしれない。そして帝国はその隙を見逃さない」

「国内が混乱したら、一気に攻めてくるって言いたいわけね」


 わたしのせいで。

 わたしが死んだから。

 わたしが己の役割を忘れ、弱さを見せたから。


 弟の糾弾する言葉が胸のうちをぐるぐると回る。

 すべてを吐き出すように、あるいは受け入れるために……わたしは深呼吸をした。


「わたしが守るわ」


 わたしは真っ直ぐにジルクルスを見つめた。


「だって、わたしは今ここにいるんだもの。このルシエルの領地に……カラントの護国の要たるこの土地に。領地も、領民も、そしてこのカラントの王国も、絶対に守ってみせる」


 わたしの宣言に弟は泣きそうな顔つきになった。


「そんな簡単にいうなよ。姉さんが生きてること自体、ばれたらとんでもないことになるんだぞ」

「そうね……でも、ジルサンドラは死んだのよ」


 わたしは大きく両手を広げた。

 風が冷たい。

 胸が痛い。

 でも、今から言う言葉を真実に換えなければならない。


「ジルサンドラ・ルシエルは罪を認めて毒をあおった。彼女はもうどこにもいない。わたしは、サーシャだわ……ルシエル領主ジルレオンの妹、逐電したジルディアの子、ただの平民の……そしてこのルシエルの騎士になる娘よ」


 わたしは弟に……いや、今や仰ぐべき主君の息子でしかない相手に笑いかけた。


「だから安心してください、ジルクルスさま。わたくしは必ず使命を果たします。この瞳に掛けて」


 ジルクルスはわたしを見つめ、それから小さく鼻をすすった。


「だったら死ぬような真似はするなよ……」

「……それは、」

「そうだな。ジルクルスの言うとおりだ」


 ぐっと言葉に詰まったわたしの頭に、ぽんと誰かの手が乗った。

 わたしは驚いて振り返る。


「おにっ……ジルウォードさま! それにご領主さまも!?」


 そこにはいつの間にかお兄さまとお父さまが揃って立っていた。

 二人ともしっかりと外套を着込んでいる。


「騎士になるならこれくらいの気配には気をつけないといけないな」

「そんな……」

「気配殺して近づいてきたくせによく言うよ」

「気づいてたなら言ってよ!」


 ぽそりとつぶやくジルクルスにわたしは食ってか掛かる。

 それからお父さまとお兄さまをそれぞれ見比べた。


「お二人ともどうしてこちらに?」

「なに……たまには星を見るのも悪くないと思ってね」


 お父さまはそう言って東の方へと目を向けた。

 太陽はすっかり沈み、いにしえ創造主によって身体を丸められ空に浮かされたという熱の神と音の神――その二つの月が昇ってくる。

 秋なので音の月の方が大きく見えた。

 それから夜空に輝く綺羅星たち。


「サーシャ」


 静かに、降り積もる雪のようにお父さまの声が耳を打つ。


「先ほどの誓いの言葉を、必ず違えぬように生きなさい……もし次にそなたが命を賭けるときは、そなたが負う使命に見合うものに全霊を掛けなさい」


 お父さまの大きな手のひらが、わたしの肩を掴んだ。


「そなたはもう二度と、勝手に死ぬことは許されぬ」

「……はい」


 わたしはただうなずいた。

 お父さまは唇をわずかに緩ませ、空を仰いだ。


「いい天気だ……娘が生まれたときもこうだった」


 言葉に釣られ、わたしは空を見上げた。

 菫青色の満天の星空。

 わたしは生涯、この日家族とみた空を忘れないだろう。

 胸に刻んだ誓いとともに――。



   ***



 小冬月、わたしは真新しい騎士見習いの制服に袖を通していた。

 長い黒髪はシーナが二つおさげに結って、三つ編みにしてくれている。

 それからもう慣れきった動きで眼鏡を掛けた。


「よし!」


 今日からわたしは正式に騎士見習いとして紫花騎士団に入団する。

 見習いの見習い、訓練前の訓練生活とはさよならだ。

 生活の拠点も城の東棟から一時的に騎士団宿舎へと移ることになる。


 何はともあれ、まずは入団式だ。

 気合いを入れてわたしが寝室の外に出ると、よく似た黒い制服に紫のショートマンとを付けた青年が一人わたしを待っていた。


「アイヴィード、今日から改めてよろしくね!」

「はい。サーシャさま。誠心誠意お仕えさせていただきます」


 アイヴィードがわたしの前で跪く。

 わたしは大きくうなずいて、それから騎士団本部へ向かうべく歩き出したのだった。




(一章・死に損なった娘/おわり)




ここまでお読みいただきありがとうございます。

とりあえず一章の終わりまで更新することが出来ました。

幕間を挟んで二章のスタートになります。


一章更新の間ブックマーク、評価、いいねをくださった皆さまありがとうございます。

二章も頑張ります!

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