(32) 少女の言い分 後編
「わたしはリリージルが騎士になりたいと言うことが、くだらないとは思いません。フレアジルさまは現役の騎士で、領主夫人のセシリアさまもわたしの母も元騎士なのですもの……でもリリージルが騎士になることで生じる問題も理解しています。そしてそれくらいは、リリージルさまだってわかっていると思うのです。その上でどうして騎士になりたいのですか?」
わたしはリリージルの前に進み出た。
眼鏡越しに真っ直ぐにリリージルの丸い瞳を見つめる。
騎士の仕事は辛いものだ。あれこれ訓練させられてわたしはその辛さが身に染みている。
貴族で男に生まれたのなら騎士になるのは半ば義務のようなところもあるが、女は本来そうではない。
少なくともわたしは進んで騎士になりたいとは思わない。同じ厳しさでも淑女教育の方がマシだ。
リリーは濡れた瞳を歪ませ、口を開いた。
「ジルサンドラさまと約束したからよ」
「え?」
「サンドラお姉さまと約束したのだもの……わたくしは騎士になってお姉さまの代わりにルシエルを守るって!」
あ、あぁぁぁぁーーーーー!
リリージルの一言に私は頭を抱えてしゃがみ込みそうになった。
ウォードお兄さまとクルスの視線が突き刺さってくる。
「お姉さまが王都に旅立つ前に約束したのです……大きくなったら騎士になってルシエルを守るって。お姉さまは王子と結婚して王妃になってしまうから、ルシエルにはずっといられないからと……」
あったあった。
そんな話したことあったわ。
でもそれってその……わたしが十二歳とかの時の話なので、リリージルはまだ八歳とかじゃなかった?
そんな子ども時分の約束を果たすために大暴走するなんて……これはさすがにわたしは悪くないわよね?
ちらりとお兄さまを見やれば額に手を置いて眉間に皺を寄せている。
頭が痛いと思っているのだろう。わたしもだもの。
ジルクルスが大きく息を吐き出した。
「姉さんとの約束って言ったって、何年も前の話だろ……きみが本当に騎士になるなんて姉さんも思ってなんかなかっただろうし、意味なんかないだろ」
「意味ならばあります!!」
リリーは髪を振り乱して叫んだ。
「わたくしは騎士になって必ずサンドラ姉さまの敵を討つのです! お姉さまを殺した王都の人間を許してなどやるものですか!!」
「はいぃ!?」
とっさに声が漏れ、わたしは慌てて自分の口を両手で夫妻だ。
復讐!? 敵討ち!?
どういうこと?
「王太子エディアルドはルシエルの大姫を蔑ろにして、平民に入れあげたのです。それだけでも許しがたいのにその平民を優遇してジルサンドラさまを殺すなどという不敬……断じて許しがたいですわ! なぜご領主さまは唯々諾々とプリヴェーレごときの言うことを聞くのです!?」
リリージルの言い分にわたしは開いた口が塞がらなかった。
いや、似たようなことはわたしも蘇った直後思っていた。
冤罪で無理矢理毒を飲まされたことにものすごく腹を立てていたから当然だ。
いまでもミルフローラの襲撃犯にされたままであることは腹立たしい。訂正できるなら王都に行ってエディアルドやアルフレイドさまに直接訴えたい。
しかしリリージルの言葉は、わたしの考え方よりも恐らく遙かに攻撃的だ。
これはつまり……。
「この愚か者!!」
お兄さまがここに来て初めてリリージルを怒鳴りつけた。
リリージルが驚きに身を固める。
「そなたは王都とこのルシエルで戦をせよと、そういうつもりか……」
「なっ……そんなつもりは……!」
「ならばなおのこと悪い!!」
お兄さまの空色の瞳が怒りでわずかに赤みがかっている気がした。
「王の裁可に異議を唱えジルサンドラの敵を討つというならそれは王を討つと言うこと……ルシエルが王都に戦をしかけることと何ら変わりない。おまえはジルサンドラ一人のために領民に命を捧げよとそう命じるつもりなのか?」
「ちがっ……ちがいます……わたくしは、でも……サンドラさまは!」
「ご領主さまがサンドラを失ってなにも思わなかったと思うのか? 俺が妹を殺されてもなにも感じていないとおまえはそう思うのか……?」
わたしは息をのんでお兄さまを見た。
「悔しい思いならいかほどもした。だが異を唱え万が一戦になれば辛い目に遭うのはこのルシエルに生きる無辜の民たちだ。領主は領地と領民を守ることを第一に考えねばならん。父上も俺も軽々に動くわけにはいかない……それはそなたの父上も承知のことだ」
お兄さまの言葉を聞き、わたしは俯いた。
目覚めた直後から怒られてばかりだった。
ミルフローラに対するわたしの幼稚な振る舞いが招き寄せた事態が領にどれだけ混乱をもたらしたかを指摘され、反省するようきつく叱られた。
正直に言えば少しだけ悲しかった。
お兄さまもお父さまも、もっと手放しでわたしが生きていたことを喜んでくれたっていいのに……わたしのことなんてよそに嫁いでいく娘だからどうでもよかったのだろうか、なんて考えたこともあった。
でもそうではなかったのだ。
お兄さまもお父さまも悔しさや悲しさ、怒りを飲み込んで領のために尽くそうとしていただけだったのだ。
「リリージル、騎士団は領主の手足となって領民を守る為にある。感情のままに突き走り領民を危険にさらすというならおまえは騎士になることは出来ない。それより、そなたが出来ることに注力すべきだった」
「……わたくしが、できること?」
「ジルサンドラがいなくなった以上、ジルバート叔父上の長女であるそなたがルシエルの一の姫になったのだ。そなたはいずれ他領に嫁ぎ、縁を作ってルシエルの安定を影ながら支えねばならなかった。そうなるように周囲にも言われていたはずだ。ジルサンドラが王妃になれなかった以上、彼女に代わってルシエルと他領を結ぶものがこの地には必要なのだから」
お兄さまの言葉にリリーが俯いた。肩をふるわせる。
「そんなの無理です……わたくしにはジルサンドラさまの代わりは務まりません! そんなの急に言われたって無理よ!」
「リリージル……」
「お母さまもお父さまも……わたくしをご領主の養女しようって、そればっかり……わたくしはルシエルの人間です! どうして余所にやろうなどなさるのです!?」
リリーの両の瞳からまたぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
鼻をすする音が部屋に響く。
わたしは老クワンの話を思い出した。リリージルがいずれお父さまの養女として他領に嫁ぐ可能性があるということ。
老クワンに聞いた話ではあくまで可能性ではあったけど、ジルバート叔父さまやサラジルはもっと具体的な話をしていたのかもしれない。
リリージルは領主一族の娘とは言え、既に家臣に下った叔父さまの子どもだ。
子爵の地位に収まった叔父さまの娘であれば他領に行くにしても本来は小領地の夫人になるくらいだっただろう。ひょっとしたら領内で結婚して一生を終えることもあり得る。
だけどわたしが死んだことでルシエルの一の姫となったリリージルは大領主の夫人になる可能性が出てきた。
こうなれば教育環境ががらりと変わる。
のんびりと育てられていたのに突然厳しい花嫁教育を受ける羽目になってリリージルは困惑しただろう。
「急にみんな……ご領主さまの娘になって、結婚しろって……わたくしは、お父さまとお母さまの娘なのに……ルシエルに入らない子どもなのですか?」
「そんな! ちがうわ、リリー!」
サラジルが顔を蒼白にして娘を抱き寄せた。
「貴女はわたくしとバートの大切な娘よ!」
「ならどうして! ……わたくしの話を聞いてくださらないの……?」
「それは……」
サラジルはぐっと言葉に詰まった。
リリーの消え入りそうな声に、わたしは彼女が暴走した本当の理由を悟った。
わたしとの幼い約束でもなく領地の名誉のためでもなく――誰も彼女の話を聞かなかった、これこそが原因だ。
急に立場が変わって環境が変わって、不安に苛まれているのに誰も自分の意見を聞いてくず、勝手にことが進んでいく。
リリーはきっと、孤立感でいっぱいだったのだ。
サラが瞼を閉じて息を吐く。
「ごめんなさい……リリー。お母さまは浮かれてしまっていたの」
「浮かれる?」
「ええ……だってそうでしょ。お母さまは下級貴族の生まれに過ぎませんもの。それが一族直系のお父さまと結婚できて、娘がご領主さまの養女になって大領主の夫人になる。夢みたいだわ」
どこかうっとりとサラジルはつぶやいた。
サラ自身が言うとおり、彼女は子爵令嬢――下級貴族の娘と言うことになる。とはいえ曾祖父はジルバート叔父さま同様直系から家臣に下った人物だ。ルシエル内における身分が低いわけではない。
だが、それは領内の話でカラント全体としてみればやはり子爵と言うだけで侮られることもある。
それが自分の娘が大領主の養女となり嫡子同然の扱いを受けるとあれば、さらに余所の大領主の夫人となるとなればサラが言うように彼女の生まれからすると大出世をしたようなものだ。
浮かれるのも無理はない。
「でも……あなたの気持ちを考えていなかったわ。女にとってこれ以上いい話はないと頭から決め込んで……あなたとちゃんと話をしてみようなんて考えもしなかったの……ごめんなさい。わたくしは母親失格ね」
「お母さま……」
リリージルは自分を抱き込む母の腕をぎゅっと掴んだ。
二人がすすり泣く音が部屋に満ちる。
わたしも、きっとお兄さまとジルクルスも、二人に掛けるべき言葉を見失っていた。




