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(29) リリージルの騒動 後編



 リリージルが気絶して手綱を手放した直後、ナヴの身体も大きく傾いた。

 気絶したリリージルが胴体の右側に倒れたことでナヴの飛行体勢が崩れたのだ。

 ナヴが甲高い鳴き声を上げ、体勢を立て直そうと翼を動かす。今度は左側に傾いてしまう。


 ナヴの鳴き声が大きくなった。


「いけない! サーシャ、もう一度笛を!!」


 頭上からフレアジルの鋭い声が飛ぶ。

 わたしは慌ててもう一度笛を口に含んだ。

 しかしナヴは反応せず、体勢を立て直そうと暴れて飛び回る。ナヴの背中で命綱に繋がっているだけのリリージルが右に左に揺さぶられているのがわかった。


 リリージルの位置が安定しないことに腹を立てたナヴが、再び彼女を振り落とそうと急上昇をし始めた。

 ジルクルスが慌ててグラを操りそれを追いかける。


「どどど、どうしよう!?」

「とにかくナヴを落ち着かせろって!」

「やってるわよぉ!!」


 笛の音にちっとも反応しないナヴの様子にわたしの方までパニックになりそうだ。

 ナヴは急上昇の次は急降下を開始していた。

 それでもリリーが落ちないので、再び上昇。

 付いていくこっちも振り回されるかのようだ。


 リリージルは完全に意識を失い、ナヴの背の上でなすがままだ。

 命綱をしっかり付けているおかげで落下こそ免れているが、それも時間の問題に思われた。鳥の上に鞍を固定する紐のどこかがそのうち千切れるに違いない。

 いやそれより先にナヴが地面に落下するかもしれない。


 どうする……どうする!?


「もうどうしようもないわね……」


 耳に聞こえたのはフレアジルの冴えた声音だった。


「ナヴを討伐します!」

「はぁ!? リリーはどうするのよ!」

「リリージルは可能な限り傷つけないようにナヴを仕留め、その後魔法で保護します」

「それじゃ確実とは言えないわ!」


 フレアジルの言葉にわたしは頓狂な声を出した。

 恐らくフレアはナヴを狩った後、風を操って落下速度を制御するつもりなのだろう。ふわりと浮かせつつ下に降ろせば地面に激突することはない。理論上は。

 しかしその手の魔法は繊細な制御技術を必要とする。

 自分自身を風魔法で浮遊させるのでさえ難しいから騎士は鱗鳥を使って飛んでいるのだ。

 万一魔法の制御を誤れば勢い余ってリリージルごと吹き飛ばすか、地面近くで結局落下してリリーがナヴの下敷きになることだってありえる。


「リリージルが死んだらどうするのよ!」

「死んだとしても問題ないわ」

「なに言ってるの!?」

「ご領主さまの鱗鳥に手を付け勝手に城壁の外へと連れ出した。これは重罪よ。罪人が死んだところで問題ない」

「そんなのジルバート叔父さまがお許しになるはずないわ!」

「叔父さんは許すよ……騎士団長だから……」


 背中から響いたクルスの言葉に、わたしはひゅっと息を飲み込んだ。


「リリージルが自らの愚かな振る舞いで騎士に処罰されたとしても、叔父さまは何も言わない」

「でも……そんな……!」


 わたしは暴れるナヴとその背中にいる気絶したリリージルを見やった。


――サーシャがご領主さまから鱗鳥をもらったって話聞いてからずっとうらやんでたんだよ。

――自分はまだもらってないのにあの子だけずるいって……


 ジュートジルの言葉がわたしの脳裏に響いた。

 あの子だけずるい。平民のくせに……。

 リリージルのその感情は、あまりにも覚えがありすぎた。

 わたしが聖女ミルフローラに抱いていた感情そのもの――あの子は、わたしだ。


 助けねばならない。


 わたしは大きく息を吸い込んだ。

 瞼を閉じ、自らの内に集中する。――身体強化。


「ジルクルス、ナヴの上を飛んでくれる?」

「サーシャ?」

「お願い! 絶対に二人を助けるから!」

「何する気?」


 説明している時間はなかった。

 説明したら絶対に反対されるだろうし。

 だからわたしは腹の底から声を出して弟に命令した。


「いいから言うとおりにしなさいジルクルス!!」


 ひゅっとジルクルスが息をのむ。

 グラがナヴの真上に移動した。

 わたしは鞍と身体を固定する命綱の金具に手を掛けた。


「サーシャ!?」


 金具を外し、立ち上がる。

 上空の揺れる風の上、身体強化でバランスを取った。

 出来るかどうかわからなかったが、先ほど良いお手本を体感していたのが功を奏した。


 心を込めて、気持ちを込めて、叫ぶ。


「ナヴ、わたしを乗せなさい!!」


 上昇気流に煽られながらわたしはグラの背中からナヴ目がけて飛び降りた。

 方々から悲鳴が上がる。


「サーシャ!!」

「なに考えてるの!?」


 ナヴにわたしの声が聞こえていたかどうかはわからない。

 しかしわたしが飛び降りた瞬間、それまでこちらを気にする余裕なく暴れるようにして飛んでいたナヴの飛行体勢がわずかの間安定した。

 わたしを受け止めるようにナヴがその首筋を晒したのだ。

 だからわたしは迷いなくナヴにしがみつくことが出来た。


「良い子ね、ナヴ!」


 大声で呼びかけ、わたしはナヴの頬を撫でる。それから面頬から伸びる手綱をしっかりと掴んだ。


「ちゃんと飛べる!?」


 わたしの呼びかけにナヴは高い声を上げて応えようとする。

 しかし羽ばたきは不安定なままだ。背の上で倒れているリリーは今は左の翼の方に傾いていた。それに加えてわたしが乗ったせいで重量も増している。

 いくら少女二人とは言え小型のツヴェート種であるナヴには重たいのだろう。

 それでも大きな翼を動かして必死に飛ぼうとしている。


「いいわ、大丈夫よ!!」


 わたしは身体強化を解いた。

 身体を強化したまま高度な魔法を使えるほど、今のわたしの魔力制御は熟練していない。魔法を使うにはどうしてもそちらに集中する必要があった。

 そう――離れたものを風で動かすのが難しいなら、自分が中心点に来るようにすればいい。

 浮遊の魔法は難しいけど、不可能じゃない。


 わたしなら、出来る――!


「天に属する気の精霊よ、我らを御身の風の揺り籠で守りたまえ!」


 柔らかく風が吹く。

 落下の速度が緩やかになり、傾いていたナヴの躯が持ち上がる。

 上昇しては意味がないからゆっくり下降するように魔力の量を調節する。ナヴが心得たとでも言うように翼を大きく広げ、精一杯風を受け止める。


 ぐるりぐるりとまるで楓の種のように旋回しながら、ナヴとわたしたちは地面に近づいて行く。

 そうしてそのまま、ナヴは躯ごと落ちるようにして着地した。


 大きな衝撃を感じた。

 命綱も何もしていなかったわたしはその衝撃でナヴの背中の上から放り出される。

 やばっ!


「サーシャ様!」


 地面にぶつかると思ったわたしの身体は何者かに抱き留められた。


「サーシャ様、ご無事ですか!?」

「あ、アイヴィード……なんで?」


 ぱしぱしを瞬きをしながら顔を上げれば、アイヴィードの薄金の瞳がわたしを見下ろしていた。


「馬でこちらまで来ておりました。皆落下に備えて待機していたのですが……」


 言われて辺りを見回せばやや遠巻きに騎士や従騎士が、何か信じられないものを見る目でこちらを見ていた。

 なんだ、と思っているとアイヴィードが一度大きく息を吐き出した。


「なんて無茶をなさるんですか、貴女は!! あんなところから飛び降りるだなんて死ぬつもりですか!?」

「ちょ、声が大きいわよ!」


 耳元で怒鳴りつけられ、わたしは思わず両手で耳を塞いだ。


「ちゃんと生きてるんだからいいじゃない……それよりリリージルとナヴは?」

「っ……ナヴはちゃんと動いています。リリージル様は……」


 わたしとアイヴィードは揃って倒れているナヴを見やった。

 一瞬わたしたちを遠巻きにしていた騎士たちは気づけば既にナヴの元へと駆け寄っていた。

 従騎士と騎士に囲まれてもナヴは大人しくしている。


 わたしは身体をしっかりと抱えるアイヴィードの麦色の腕を叩いた。

 地面に降りてナヴの方へと駆け寄ろうとする。

 人だかりの中から誰かが声を張り上げた。


「リリージル様はご存命です!」


 それを聞いたとたん、わたしはその場にへたりと座り込んだ。


「……よかった」

「サーシャ様!?」


 アイヴィードが仰天した様子でわたしの隣にひざまずく。

 それに満足に答えを返すことも出来ず、わたしは息を吐いて天を仰いだ。

 安堵の余り、両の瞼から涙がこぼれ落ちていた。




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