(28) リリージルの騒動 中編
アイヴィードに抱えて連れてこられたわたしにジルクルスは一瞬だけ面食らった。
しかしわたしが駆け寄るとすぐに厳しい顔つきになる。
「……ご苦労、アイヴィード。サーシャ、急いで乗って!」
ジルクルスが示したのは彼の背後に用意されたクルスの愛鳥グラだった。
今度はわたしが面食らった。
「え、クルスと一緒なの? フレアは?」
わたしが鱗鳥に同乗するときはいつもフレアジルと一緒だった。
なんで今回に限ってクルスなのだろう。
不満を見せたわたしにクルスは苛立ち交じりの声を上げた。
「フレアはとっくにリリーを追いかけてるよ! 急がないと不味い……ナヴはリリーを振り落とそうとしてる!」
「ええ!?」
わたしはクルスが指さす方角に目をやった。
東の園庭では建物が邪魔をして北門側が見えなかったが、騎士団本部前からは本丸の城壁の向こう側にいくつもの鱗鳥が飛んでいる姿が見えた。
たくさんの騎士たちが遠方から一羽の鱗鳥を囲んでいる。あれがナヴなのだろう。
ナヴはぐるぐると旋回し、時折急上昇したり急下降したりしている。
「背中に主人以外の人間が乗っているのが気に食わないんだ。ああやって落とそうとしてるんだよ!」
「あれでリリーは無事なの!?」
「命綱は付けてたみたい。でも動きが激しすぎると鞍ごと切れる!」
「まずいじゃない!」
「だからそう言ってるだろ! 乗って!!」
わたしは今度は大人しく言われるがままにグラに跨がった。
鞍はちゃんと二人乗り用のものが装着されている。アイヴィードとジルクルスの従騎士に手早く命綱を着けてもらった。
鱗鳥の命綱は鞍の左右から腰を固定する。ベルトを着けてそこに金具をはめるのだ。
鱗鳥は胴体に金属を巻き付けられることを嫌うから、鞍自体は布製の紐で鱗鳥の胴に固定されている。なので命綱が切れて落下することは滅多になく、鞍を固定する紐が切れて落下する事故が最も多いのだ。
「クルス様、サーシャ様、お気を付けて。我々も馬で参ります!」
「上級治療師を北門で待機させておけ! 行くぞ、グラ」
クルスが軽くグラの胴を蹴った。
それを合図にグラが空へと飛翔していく。
真っ直ぐに北門に向かって飛ぶグラの背中の上でわたしはクルスに尋ねた。
「どうしてこんなことになっちゃったの?」
「よくわからないけどリリーがナヴに勝手に乗ろうとしたのは間違いないみたい。無理矢理飛ばされたからナヴが怒ってるってフレアは言ってた。そういう鳴き声だって」
「ナヴは誰でも乗れる大人しい鳥じゃなかったの?」
「それは調教師がよく言って聞かせれば、だよ。勝手に乗っていいわけじゃないんだ。なんで鞍や面頬を付けさせたのかわからないけど……オマーン!」
そうこうしている間に北門を超えて騎士たちの追いついた。
クルスに声を掛けられた騎士の一人が振り返る。
「ジルクルス様!」
「サーシャを連れてきた。フレアジルは!?」
「ナヴを落ち着けようとあちらに!」
オマーンという名の騎士が指さした先にはジグザクに飛ぶナヴとそれを追うようにして飛んでいるザザの姿が見えた。
ナブの大きくて甲高い鳴き声が空気を切り裂くようだ。
「鳥笛を使って呼びかけておりますが、なかなか落ち着きません」
「リリージルは!?」
わたしはクルスの腕の中から少しだけ身を乗り出して尋ねた。
オマーンはわたしを見ても驚きはしなかった。ここ一ヶ月の本部への出入りでわたしの存在をすっかり把握してしまっているからだろう。
「まだ意識はあるで、手綱をしっかり握っておいでです」
「それはよかった……けどそう長くは持たないよね」
「そうですな。この勢いですのそのうち気絶してしまうかもしれません。そうなればナヴ共々バランスを崩して城壁や地面に激突しかねない」
「そんな……!」
「フレアが上手く城壁から離れるよう誘導してる。ぼくたちも行くよ。サーシャ、これ」
クルスに手渡されたものは小さな笛――鳥笛だった。鱗鳥の調教に使う鳥の鳴き声を模した笛である。
この笛の音を聞くと鱗鳥が落ち着くらしい。
とは言え効果はまちまちだ。
既にフレアが吹いて呼びかけているのにわたしが使っても効果はなさそうだが。
「他人が呼びかけるのと主人のサーシャが呼びかけるのじゃ全然違う。とにかく落ち着かせて!」
「わかった……やってみる」
そもそもの話わたしはどうやって暴れる鱗鳥を大人しくするのかまったくわからない。
適当に笛を吹いて声を掛ける意外やりようがないのだ。
グラが近づくのに合わせてわたしは笛の先を内に含んだ。
そうして息を吹き込む。
笛からは高く柔らかな、どこか歌うような音が響いた。
小さな笛なので音自体はそんなに大きくはないが、鱗鳥はこれをちゃんと聞き分けることが出来るとされている。
本当か?
暴れるナヴは一向に動きを止める気配がない。
わたしは笛から口を離して息をつく。
「サーシャ、もう一回よ!」
頭上から声が掛かった。
フレアジルだ。
わたしたちが近づいてきたのを見てナヴから距離を取ったのだ。
「クルス、もう少し近づいて! サーシャ、もう一回音をならしなさい! 心を込めて、わたしがあなたの主人よ、と呼びかけるの!」
「わ、わかった!」
強い声でふれあいに命じられ、わたしは少しだけびくついた。
基本的には穏やかな女性なのでこのように鋭い声を投げかけれた記憶がなかったのだ。
クルスがナヴにさらに近づいて行く。
距離が近づくとリリージルの姿もはっきりと見ることが出来た。リリージルは乗馬服を来ていて、さらに腰に白い布を巻き付けていた。
あれがなんなのか気になるが、聞いている暇はない。
リリージルは瞼をぎゅっと閉じ、とにかく必死になって手綱をたぐり寄せ、しがみついていた。
騒動が起こって既に小鐘一つは過ぎている。その間落下せずに手綱を手放していないのは素直にすごい。
わたしはもう一度笛を口にくわえた。
フレアが言うように心の中で呼びかけ、ナヴに聞かせるように笛を吹く。
こっちを見なさい! わたしがあなたの主人よ!!
一回目は駄目だった。けれど二回、三回と繰り返す。
クルスがグラを操り、ナヴとの距離を可能な限り詰めていく。
物理的な距離が縮まったせいか、はたまたわたしの必死さが笛の音に乗っかったのか、暴れて飛ぶだけだったナヴの動きがふとゆっくりになった。
「ナヴ!」
わたしは笛から口を離して呼びかけた。
「いい子! わたしの言うことを聞いて、大人しくしてちょうだい!」
ナヴが鳴き声を上げた。
それは先ほどまでの異様に甲高い、まるでかなきり音とでも言うような声とは違う穏やかに済んだ声音だった。
笛の音をもう少し大きくしたような歌うような声だ。
ナヴはゆっくりと羽ばたき、グラに寄り添うように近づいてきた。
グラがナヴに鳴き返した。
二羽の鱗鳥が踊るようにぐるぐると旋回する。
「もう大丈夫」
頭上から心底安堵したというようにクルスが息を吐き出した。
「鱗鳥同士でコミュニケーションを取ってるんだ。もう暴れたりしないよ」
「よかった……ナヴ、良い子ね。後でご褒美を上げるわ」
わたしはナヴの方に手を伸ばした。もちろん触ることは出来ないので撫でるように手を振るだけだ。
ナヴが円らな桜色の瞳を細める。
一つうなずき返し、わたしはナヴの背に目を向けた。
安定を取り戻した飛行体制のナヴの背中でリリージルが完全に血の気をなくした顔で震えている。
「リリー、大丈夫!?」
「わ、わた、……わたし……」
「もう大丈夫よ、ナヴには地上に降りるように言うから……だから……!」
わたしの呼びかけに、リリーが閉じていた瞼を開けた。
ゆっくりとリリーがこちらを向く。顔中にすっかり乾いた涙と鼻水の後がこびりついている悲惨な顔つきだった。
リリーはわたしとクルスを見ると、大きく息を吐き出した。
「たす、かった……?」
「へ?」
「馬鹿!! まだ手綱を緩めるな!!」
クルスの怒鳴り声は一足遅かった。
リリージルの身体がぐらりと傾ぎ、彼女はナヴの背の上で気絶した。




