(2) 兄との再会
「本当にジルサンドラなのか?」
「菫青眼を持っておいででしたので、まず間違いないかと……」
「……ほんとにか?」
ぼそぼそと聞こえる声にわたしは目を覚ました。
先ほどとは違って今度はまぶしさに眼を細める。
数度瞬きを繰り返して瞳が明るさに慣れてくるとまぶしさの原因が精霊石の照明であることがわかる。漆喰の天井が目に飛び込んできた。
「ここは……」
起き上がろうとしたわたしは右肩の痛みにうめき声を上げた。
人の気配が動き、わたしの上に影が落ちる。
がしりと顎を捕まれた。
「本当に菫青眼だな……ジルサンドラか?」
「ウォードお兄さま?」
間近から瞳を覗き込んできた相手にわたしはぱちくりとした。
一族特有の濃紫の髪に空色の瞳は八つ年上の兄ジルウォードに他ならない。
兄は微かに息を吸い込み、わたしから手を放した。
「サンドラで間違いないようだな……」
そういって額に手を置き、大きなため息を吐き出した。
「お兄さま、ここは……というか、一体何が起こって……」
わたしは慎重に身を起こした。ウォードお兄さまが手を添えてわたしが起き上がるのを手伝ってくれる。
寝かされていた寝台の上に座ると、膝をついているウォードお兄さまの目線が近く感じる。
お兄さまは顔をかめた。
「何が起こって、だと? そんなものは俺が聞きたい」
ウォードお兄さまの目線が横に動く。釣られてわたしもそちらを見た。
全身鏡が一つおいてあった。
そこに映ったものを見てわたしは一瞬言葉を失う。
「……これは……どういうこと?」
鏡に映っているのは、緩やかに波打つ膝につくほど長い濃紫の髪をもつ少女だった。
ふっくらとまろい頬は化粧をせずとも当たり前のように薔薇色で、唇も赤く色づいている。ややつり上がった猫のような目の、瞳の色はまるで夜空を閉じ込めたかのような菫青色だ。
わたしによく似ていると思った。
瞳の色はもちろん、顔の形や作りも。
しかしわたしだとは思えない。
鏡に映った少女は、どうみても八歳ほどの子どもだったのだ。
鏡の中の少女は年齢に不釣り合いの大きな白いドレスを纏っていて、左の肩口をぎゅっと結んで無理矢理身体に合わせてあった。どうやら骨折しているらしい右腕は包帯で添え木が固定されており、応急処置が施されている。
わたしは恐る恐る動かせる左腕を掲げてみた。
鏡の中の少女の手も動く。
「……わたしだわ」
「そのようだな」
思わず兄を見上げた。
「お兄さまこれはどういうこと!?」
記憶が確かであればわたしは十六歳のはずである。
まさか自分の年齢を勘違いしていたのだろうか。そんなことあり得るだろうか!?
まて、落ち着けわたし!
今朝起きてお城に行くまでにお風呂に入って着替えたときはちゃんと十六歳だったはずだ。
もっと背も背も高くて胸もあったはず……!
どこ行ったわたしの胸!
わたしはパニックになって無事な左手で自分の胸部を探った。つるペタだった。
「だからそれは俺が聞きたいって言っているだろう」
ウォードお兄さまは若干苛立たしげに声を上げた。
「墓守からおまえが墓から出てきたと報告を受けただけでも信じられなかったというのに、なぜ子どもになっているんだ?」
お兄さまの言葉にわたしはより大きく目を見開く。
「墓!? どういうこと!?」
わたしの叫びにお兄さまはがっくりと肩を落とした。
「そこからか……」
「い、意味がわからないわ、お兄さま。わたしのお墓って……そんなの、まるでわたしが死んだようじゃない!」
「死んだんだおまえは! もう一年も前の話だ」
「一年!?」
目の前の景色がチカチカした気がした。
本当にわからない。
何が起こっているのかさっぱりわからない。
子どもになっているだけでも意味不明だが、一年前に死んでいるとはどういうこと?
わたし生きてますけど?
なぜか子どもになっているけど……生きてますけど!?
「落ち着け、サンドラ。おまえ……王城で自害させられたことは覚えているのか?」
兄に左肩を押さえられ、わたしははっとした。
「そうだわ、お兄さま! エディアルドさまとユリシスが酷いの! わたし何もしてないのにミルフローラを殺そうとしただとかなんだとかいろいろ言われたのよ! それで毒を飲んで自殺しろとか意味がわからない!! お父さまに言って抗議してもらうんだから!!」
やっぱり、あれは悪夢ではなく現実に起こった出来事だったのだ。
問答無用で毒物を飲ませるだなんて酷い。
どうやら一命は取り留めたみたいだからいいものの、わたしが本当に死んでいたら取り返しのつかないことになってしまっていたのだ。
エディアルドに苦情を申しつけないわけにはいかない!
わたしは勢いよく部屋の外に飛び出そうとした。
ここがどこかは知らないが、兄がいると言うことはルシエル家の屋敷のどこかだろう。父がいるなら即刻会って王城に面会の約束を取り付けてもらわねば。
「待てこの馬鹿妹!! 誰に何を抗議しようと言うんだ!!」
「ぐえっ……!」
ドレスの後ろを引っ掴まれて首が一瞬絞まる。
「なにするの、お兄さま!」
「おまえこそ何しようとしてるんだ、阿呆!」
兄が眉を逆さにして怒鳴る。
「おまえは王命で死んだんだ。それを今さら抗議など……ルシエル家を滅ぼす気か!?」
「滅ぼす? 何を言ってるのウォードお兄さま! このわたしが謂われなき罪で殺されかけたのよ? 厳重に抗議し、原因となったミルフローラを取り除くべきです!」
わたしの言葉に兄が顔を真っ赤にした。
「この愚か者!!」
わたしは思わず身を竦ませた。
ウォードお兄さまにこれほどの大音声で怒鳴られたことなど生まれて初めてだ。
「おまえの行いが父上と母上を苦しめ、領地を危機に陥れたんだぞ! それをなんと心得る!?」
わたしは口を半開きにした。
「領地を危機に……? どういうこと?」
呆けたわたしの様子に兄の顔が更に赤くなる。
「おまえはっ……!」
落ち着いた声音が室内に響いた。
「そこまでにしなさい、ジルウォード」
わたしとお兄さまは揃って口を閉ざし、声の方に目をやった。
いつの間にか開いた戸口の側に四十代の男性が立っていた。
一族特有の濃紫の髪をゆるく肩口で一纏めにしている男性はわたしの父であるジルレオン・ルシエル公爵だ。
「お父さま!」
ぱっと表情を明るくしたわたしを見て、父はほんの少し目を見開いた。
「報告通り、本当に小さくなっているな……懐かしい」
父はわたしのすぐ側まで歩み寄ると、腰を折って目線を合わせた。
それからすっと目を細め、唇だけで笑う。
「この部屋は狭い。もっと落ち着いて話が出来る場所に移動するとしよう……サンドラもこのままにはしておけないしな」
そういって歩み寄ってきた父は、わたしの頭を軽くひとなでした。