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(22) 帰還式の知らせ



 四日後、わたしは本城内にある訓練室でジュートジルと向き合っていた。


「どぅりゃ!」

「うわっ!」


 伸びてきた腕を払って、相手の懐に入り込む。それから胴を掴んで投げ飛ばした。

 ジュートが悲鳴を上げて地面に転がる。


「いったぁ!」

「わたくしの勝ちですね!」


 わたしは手を伸ばしてジュートを助け起こす。

 今日は午後から体術の授業がある日だった。

 剣の稽古では目下ジュートに大負けしている私だけど、護身術は小さい頃から十六歳まで定期的に教わっていたので多少分がある。

 自分より大きな身体の持ち主もある程度なら投げ飛ばせるのだが、わたしに組み手で負けたジュートは不満そうだった。


「また負けた……なんでサーシャは体術だけは上手いんだよ!」

「ええっと……お母さまに習ったんですの」

「ああ……ジルディア叔母上って王国騎士だったんだっけ?」

「らしいですわね。わたくしもご領主さまにお聞きして知りましたけど」


 わたしの母親という設定になっているジルディア叔母さまは王国騎士団に入団していたらしい。と言っても学園卒業後見習い入団して正騎士に取り立てられるより前に婚約が決まって退団したそうだ。

 本当はまだ騎士として働く予定だったところ父親である先代公爵に結婚するよう言われたことが逐電の原因だったのではないか、という見方もあるそうだ。


 わたしがある程度魔法が使えるのもジルディア叔母さまらか魔力の扱いに薫陶を受けていた、という設定だ。

 魔法が使えるようになるのは祝福を受けてからだが、魔力自体は生まれたときから持っているので初歩的な身体強化の訓練あたりは祝福式の前から練習できる。そうやっておくと精霊の加護を得たあとも魔法の使い方を覚えるのが早くなるらしい。

 わたしは生得的な精霊眼だったのでそのあたりの感覚は実はよくわからないのだけれど。


「まあ、いくら体術が上手くても、騎士なら剣と槍が使えないとな」


 ふん、とジュートが負け惜しみを口にして鼻を鳴らす。

 それに対し指導役の老クワンが指を横に振る。


「いえいえ、ジュート様、騎士たるもの万事に通じておくべきです。徒手でもある程度戦えなければ!」

「……わかってるよ!」

「何事も経験がものを言いますから。ジュートさまならわたくしよりもすぐにお強くなるのでしょうね」


 そもそも肉体的には数歳年上の男子だ。今はジルサンドラ時代の経験から多少有利を取れているが、慣れてくればあっという間に逆転されるだろう。

 そう思ってわたしが口を開くと、ジュートはなぜかちょっと顔を赤くしてきょどきょどした。


「そ、そうかな?」

「はい。そう思います」


 わたしは素直にうなずいた。なにせジュートは成長期前の男の子だ。伸び代しかないだろう。


 まあそういう意味ではわたしも伸び代しかないわね。


 なにせ今は八・九歳の姿になっているわけだし、ここからもう一度成長できると言うこと!

 そう考えると子どもになったことも悪いことではないかもしれない。

 一人納得してわたしはうんうんとうなずく。


 顔を上げるとジュートはなぜか顔を赤くしてもじもじとしている。

 なんなのかしら、と首をかしげた。


「まあ、ジュートが強くなれるかどうかは今後の鍛錬次第だけどな」


 不意に背後から声がして、わたしは勢いよく振り返った。


「クルスさま!」


 稽古場に入ってきたのは弟のクルスだった。

 今までの簡素な乗馬服ではなく、クルスは珍しくちゃんと騎士団の制服を着用していた。マントも羽織っている。


「どうしたのです?」

「砦の交代要員がもうすぐ帰ってくるから出迎えだよ。それでサーシャを呼びに来た」

「え、帰還部隊がもう到着したのですか? 明日の予定では?」

「砦周辺が大雨になりそうだったから出発を一日早めて帰ってきたらしい」

「まあ、そうだったんですね」


 小雨ならともかく大雨のさなか砦から出発するのは不可能ではないがみんな嫌がるだろう。

 国境の砦は土の聖山の裾野にあって周囲は森だ。待機する必要がなければ出発が前後することは珍しくはないらしい。


「大雨か……父上、大丈夫だったかな?」


 ジュートジルがわずかに眉尻を下げる。

 今回の交代要員の帰還で砦に控えていたもう一人の副団長のクロトジルが帰城し、代わって騎士団長のジルバート叔父さまが砦に向かわれた。

 すでに一昨日出発していて、春先の<大降勢(グランドフォール)>が終わるまでは帰還しない予定だ。


「引継がありますから、クロトジル副団長が砦を出発したときには騎士団長は到着していたはずですよ。少なくとも道中で雨には降られておりますまい」

「そっか。ならよかった」


 ジュートの疑問に老クワンが答え、肩を優しく叩く。

 クルスが一つうなずいた。


「というわけで、サーシャは連れて行きます」

「はい。もちろん構いませんよ、クルス様。ではサーシャ、また明日」

「はい。先生、本日もお世話になりました」


 わたしは胸に手を当て老苦するに向かって軽く膝を折った。

 それからジュートに小さく「またあとでね」と手を振る。

 ジュートは少しつまらなさそうな顔付きで手を振返してきた。わたしがいなくなると稽古相手が老クワンしかいなくなるからだろう。


 領主一族の子どもが小さいうちは城に遊び相手になるような子どもを呼び寄せるけど、その子たちの多くは十歳で祝福式を終えると兵士見習いになったり従僕見習いになって仕事を始めてしまう。一族の子どもはその間聖アシュロット学園に入学する準備をするのだ。

 学園を卒業して一族の人間が働き始めるころにはかつての友人たちはすっかり仕事を覚えて一族の人間を支えてくれるようになる。

 ジュートの友人たちも既に何名かは兵士見習いとして修練を積み、その中から選ばれたものがいずれはジュートジルの従騎士になるのだろう。従僕見習いになった子どもも最終的には領地の仕事を補佐する執事や秘書になっていくに違いない。


 でも一人がつまらないって気持ちはわかる。

 わたしも一人でサフォラ夫人の教育を受けなければならなくなったときは不満でいっぱいだったものだ。

 それ以外の時は基本的に一個年下のクルスと一緒にいたと思うのだけれど。


 きょうだいと言えば……。


 クルスに続いて廊下に出たわたしは、首筋にぴりっと視線を感じて思わず振り返った。

 柱の陰にさっとドレスの裾が隠れていく。


「……リリー」

「ん? なにやってるんだ、あいつは」


 同じように気づいたらしいクルスが顔をしかめる。


「ちょくちょくああやってわたしとジュートの稽古を覗いてくるのよ……リリーの教育ってどうなってるの?」

「勉強は順調なはずだけど……」

「淑女教育は? 他領に嫁ぐかもって聞いたけど」

「その辺はぼくも詳しくないよ。リリーの教育方針は叔父さんと叔母さんが父さんと話し合って決めてるみたいだけど」

「王都の社交界に出るなら覚えることはいっぱいあるはずよ」

「それはそうだけど……サーシャが気にすることじゃないよ。自分のことに集中して。行くよ」


 クルスに促され、わたしはしぶしぶ歩き始めた。

 廊下を曲がる前ちらりとリリージルが立っていた柱の方を見やったら、彼女はじっとこちらを見ている。


 だから、怖いのよ。


 どうにかした方がいいのではないだろうか、とは思うのだけれど……具体的にどうしてあげるのがいいことなのかは思い浮かばなかった。

 クルスの言うとおり自分のことに手がいっぱいのわたしは、集中してやるべきことをこなさなければならない。

 まかり間違っても正体が公になるような間違いは犯せないのだから。




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