(1) 墓場より
息苦しい。
はっとわたしは大きく息を吸い込んだ。とたん土臭い匂いが鼻について顔をしかめる。
目を開けると、真っ暗だった。
何も見えない。
ぱちぱちとわたしは数度瞬きをした。
しかし暗闇の景色は一切変わりがない。
ここはどこだろうか。
ひょっとして創造主が休まれているという向こう側の世界なのだろうか。
背中には堅くて冷たい床の感触がある。
わたしは起き上がるために腹に力を込めた。
「いったぁ!」
天井らしきものに頭が激突した。
鈍い音が響き、ぐわりぐわりと目の前で星が踊る。
打ち付けた場所を手で押さえようとして、今度は両手もどこかにぶつけて更に悲鳴を上げた。
こんなに痛いのだから、わたし、ひょっとして死んでいない?
意識を失う寸前毒物を飲まされたと思ったのだけれど、睡眠薬の類いだったのだろうか。
そうよね……エディアルドさまがわたしに死ねなんて言うはずがない。
婚約者なのだもの。
あれはきっと何かの悪い夢ね。
それにしてもここはどこだろうか。
真っ暗で狭い。
試しに手を伸ばしてみると、肘が曲がった状態で天井に手をつくことが出来た。身体の左右も探ってみたが同じように腕を伸ばしきることは出来ない。
まるで箱の中に閉じ込められているようではないか。
もぞもぞ動くと足先には余裕があるように感じたが、もそもそと布が身体に纏わり付いて邪魔だった。身体の動きに違和感を感じるけど、恐らくこのもったりと重たげな布のせいだろう。
わたしは大きく息を吸って指先に力を込めた。
体内の魔力を外にわずかに放出した。精霊の力を借りて辺りを照らそうとしたのに、上手く行かない。
魔法封じだ。
ぞっと背筋があわだった。
意識を失う直前にいた部屋も、魔法封じが施されていた。
やっぱり婚約破棄は夢ではなかったのだろうか?
エディアルドは本気で私を邪魔だと思っていたのだろうか?
それでこんな場所に閉じ込めて、このあとどうするつもりなの?
まさか……精霊眼を使った人体実験?
自分の発想に血の気が引いてくのがわかる。
わたしは一秒でも早くこの箱の中を脱出しようと両手で天井を叩いた。
「誰か! 誰かいないの!?」
返事は当然のように帰ってこない。
それでもわたしは声を出す。
「お願い、ここから出してください!! エディアルドさま……わたしの話を聞いて!!」
何度も天井を叩きながら助けを求めて声を上げる。
けれど箱の外からはなんの反応も返ってこない。
わたしはしびれを切らして全身に力を込めた。放出された魔力が全身を包み込む。
「出せって言ってるでしょ!!」
腹の底から怒鳴り声を上げ、思いっきり右腕を突き出した。
勢いよく頭上で何かが吹っ飛んだ。
風が一気に入ってきて土煙が上がり、とっさに口と目を強く閉じる。
ごほごほと咳き込みながら恐る恐る目を開ける。
二柱の月神が見えた。
それから菫青色の満天の星空。
外だ。
わたしは大きく息を吸い込んだ。冷たい夜の空気で肺を膨らませる。
ほうっと息を吐き出した。
外に出れた。
喜びに起き上がろうとしたわたしは、しかし次の瞬間全身に走った激痛にのたうち回った。
「いたいいたいいたいいたい!! 誰か助けて!!」
肉体強化の副作用だ。きちんとした手順を踏まずに魔力任せで身体を強化したせいで、恐らく骨を折っている。
痛みに藻掻くわたしのうえに、黒い影が差した。
「ジルサンドラお嬢さまの墓を暴こうなど、この不届き者が!!」
老齢の男性の怒鳴り声がして身体をぐっと上に引きずり出された。
「痛い!! やめてよ!!」
激痛に悲鳴を上げるわたしを無視して、わしっと身体を捕まれる。
「こんな子どもがルシエル家の墓を荒そうなど、一体何を考え、て……」
老人の声が途切れた。
わたしは涙目で顔を上げる。
ぽたぽたと涙がこぼれるわたしの瞳を見て……老人が大きく目を見開いた。
「|菫青色≪アイオライト≫の瞳……そんな、まさか……」
老人の顔には見覚えがあった。小さい頃お父さまがわたしの護衛につけてくれた騎士ではないだろうか。記憶にあるものよりも少し年を取っているけれど間違いないと思う。
わたしはぎゅっと眉間に力を込めた。
「あなた……ポメロンよね?」
わたしの声に老人は更にぎょっとしたようだった。
「よもや、ジルサンドラお嬢さまですか!?」
大音声に耳が痛くなる。
わたしは老ポメロンを睨み付けた。
「それ以外の誰に見えるって言うの? 主家の人間を見忘れたの、おまえ」
「い、いえ……決してそのような……」
老ポメロンはうろたえた様子で目線を左右に動かした。
「あの、失礼ですが……本当にジルサンドラお嬢さまでしょうか?」
「さっきからそう言ってるじゃない!」
憤慨して怒鳴るわたしに、老ポメロンは動揺した顔つきのまま目線をうろうろとさせる。
「いえ、ですが、その……私めの知っているお嬢さまと、よく似ておいでなのですが、だいぶん違うと申しますか……」
「はぁ?」
わたしは片眉を跳ね上げる。
「意味のわからないこと言わないで……というか、降ろしなさい」
いつまでも宙ぶらりんで持ち上げられているなんて我慢ならない。あと腕がものすごく痛い。
老ポメロンは「は、はい」と慌てて返事をしながら慎重にわたしを地面に降ろした。両足が布越しに土と草を踏む感触がする。
左手で右腕を押さえながら地面に立ったわたしは、そこでようやく違和感に気がついた。
「ポメロン、背が伸びた?」
ひくりと老ポメロンが頬を引きつらせる。
立ち上がったのにわたしの目線の高さはポメロン腹の位置にしかない。
最後に会ったときにはわたしの身長は彼の肩口を超えていたはずなのだけれど……。
「いえ……この年寄りの背が伸びることなどもうございません……」
それは、ふつうに考えるとそうだろう。
ポメロンはわたしの護衛騎士になったときには騎士団定年間際だった。数年前から息子が騎士として働くようになり、呼び分けのためにみんな老ポメロンと呼んでいるくらいだ。身長が縮まることはあっても伸びることなどない年齢である。
しかしだとしたら、なぜこうも目線の高さが違うのだろうか。
「その、恐らく、お嬢さまが低くなっておいでなのかと……その、お子様のように……なっておいで、です」
言葉の意味が理解できず、わたしは首を斜めにしてしばらく停止した。
お子様……?
「はぁ!?」
なに言ってるの、こいつ。
そんな人間が小さくなるわけがないじゃない。
薬を飲んで子どもになるだなんてそれどんな魔法薬よ在ったら由歴開闢以来の大発見だわ人体の時間を戻すなんてそんなの無理無理無理!
口に手を当て大笑いをしようとしたわたしは、気がついた。
手、小さくない?
というか細いというか……着ている服が大きいというか……。
わたしは自分の両手を見下ろし、それから足下を見やった。ドレスの裾が地面についてわだかまっている。
自分の身体がどうなっているのかわからず身体を動かしたわたしは長いスカートに足を取られた。
「きゃあっ!」
「お嬢さま!」
すっころんだわたしは出てきたばかりの箱の中に落っこちて、そのまま再び意識を失った。