(16) 訓練一ヶ月
かつてユウノテ大陸を統治した古代の帝国、大イエナシエ帝国が制定した暦では一年間は春夏秋冬の四大期によって区分され、それぞれの季節はさらに三節に区分される。
わたしが棺桶から目を覚ましたのは秋期の一節、小秋月と呼ばれる月の終わり頃だった。
季節はそこから一ヶ月ほと巡って今は大秋月の終わり、あらかた農作物の収穫が終わって、ルシエル領の風はだんだんと冷たくなってきていた。
わたしは北の演習場でフレアとクルスに見守られ、新しく用意された大きな岩を睨んでいた。
手のひらを前に出し、指先に魔力を集中させる。
指先から漏れた魔力がきらきらと光る。
そのまま空中に素早く精霊文字を描いた。
「天に属する精霊よ、力あるもの、揺さぶるものよ、雨垂れのように彼のものを穿て!」
瞬間、わたしの手のひらが熱くなった。
空中に描かれた精霊文字の陣から光線が放たれ、巨大な岩を貫き打ち砕く。
大きな破砕音が鳴り響いた。
「よし!」
わたしは小さな拳を握り込んだ。
音は大きかったが岩以外のものに被害はない。
地面が大きくえぐれていると言うことはなかったし、演習場を囲む森まで光線が到達していると言うこともなさそうだ。
フレアがぱちぱちと拍手をする。
「すごいわ、サーシャ。だいぶん安定してきたわね」
「でしょ! ありがとうございます!」
わたしは両手を腰に当てて胸を張る。
ここしばらく岩を打ち砕く練習では大きなミスはない。
以前のように周辺ごと大爆発させることはなくなったのだ。
「まぁ……最初に頃に比べたらマシになったよね……でも雨垂れってどうなの? 雨垂れって感じじゃなくなかった?」
「うるさい、ですわ! それが一番よわよわしいイメージだったのです!」
フレアの横に立っていたクルスが微妙な顔でつぶやいた言葉にわたしは噛みつく。
「だいたい、精霊文字と呪文を使えと言ってきたのはクルスさまではありませんか!」
「そりゃ魔法の制御が出来ないなら、その二つを使うのはセオリーだからね。どこかの誰かさんがダサいダサいっていって使うの渋らなかったらもう何日か早く制御できたんじゃないの」
「それはっ……うう……」
わたしはもごもごと口を動かした。
クルスの言うとおり、わたしは最初魔法制御に精霊文字と呪文を使うことに消極的だった。
なぜならそれは魔法士としてはとてもダサい、わたしからすると二流以下の初心者がすることだからだ。
魔法を使う時、指先に魔力を溜め、それで精霊文字を書いて精霊に呼びかける――これは魔法の基本中の基本、初歩の初歩と言った動作だ。
人間は祝福式で精霊の加護をうけることが出来るが、加護を与えてくれたからと言って精霊が思ったことをなんでもやってくれるわけではない。だから精霊文字を使ってして欲しいことを精霊に伝え、代わりに魔力を差し出すのである。
しかし魔法を使う度にいちいちだらだらと文字を書いていては魔法の発動に時間が掛かる。それを短縮するために呪文を使ってイメージを精霊に伝える。
それを何度も繰り返していると加護を与えてくれる精霊との信頼関係が出来てくるので文字がなくても魔力を少し渡して呪文を唱えるだけで精霊が意図を理解して魔法を使ってくれるようになる。
さらに強固な関係を気づくと呪文をほとんど唱えなくても渡す魔力に直接イメージを乗せるだけで意図した魔法が発動するようになってくるのだ。
つまり熟達した魔法士であれば精霊文字による陣の作成も呪文も唱えることはない。
生来精霊眼を持って生まれ、人よりも魔法の訓練を始めるのが早かったわたしは魔法士の資格を取得する以前からほとんど呪文なしで魔法を使うことが出来た。
基礎の基礎のような精霊文字と呪文を併用しての魔法の発動なんか、いつやったか記憶も朧気だ。
それを今さらもう一度いちからやれと言われたのだから抵抗は大きかった。
「正直今だってだいぶんダサいと思っているんですよ。文字に呪文など魔法を習いたての子どものようではないですか!」
「きみはどうみても魔法習い立ての子どもだけどね」
「……そうですね」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。
目覚めて一ヶ月、わたしの身長は突然伸びて元の姿に戻ったりすることはなく、相も変わらず十歳にしては小さめの、八・九歳前後の女の子の姿のままだ。
もちろん急に本来の姿に戻っても逆に困るのだけれども。
「基礎から制御をやり直すことになってむしろ良かったかもしれないわね。元の貴女が呪文や文字を使う姿なんてみんな想像出来ないはずだもの」
「それはそうかもしれないけど……でもやっぱりけっこう面倒だし、早くどっちもなしでもやれるようになりたいです」
「ある程度制御が出来るようになったのだからそのうち自然と陣の形成も呪文の短縮も出来るわよ」
「うん」
ぽんとフレアに頭を撫でられ、わたしは小さくうなずいた。
フレアが微笑む。
「それじゃあ、そろそろ戻りましょうか?」
「……はぁーい」
わたしはちらりと背後を振り返った。
少し離れた場所にある小屋の中には鱗鳥が三羽控えている。
あれに乗って城まで戻ると思うといつも憂鬱だ。
「ちょっとナヴ、放しなさいよ。ご飯はあげたでしょ!」
城に戻ったわたしは鱗鳥用の鳥舎で騎鳥にお礼のご飯をあげて騎士団本部に戻るところだった。
しかし回れ右をしたところで鱗鳥の硬い口の先がわたしのジャケットの裾をぱしりと咥えて歯を立ててくる。
「服が破けるよ! もぉ!」
「こらこら、ナヴ、やめないか。お嬢さんとは今日はおしまい」
鳥舎に勤める調教師の一人ギルがわたしと鱗鳥の間に割って入ってくる。
「いっぱい飛んでもらっただろう?」
ギルが宥める言葉を掛けるが、鱗鳥は高い声で不満げに鳴く。
ナヴというこの鱗鳥はもともとお父さまが飼っている鱗鳥のうち一羽だった。羽根は茶色で身体は白いツヴェートと呼ばれる種類のこの鱗鳥は騎士に人気のレヴコン種やメラノ種に比べると体格がやや小さめで飛行に力強さはないが、動きは素早く賢くてよく言うことを聞く。緊急の伝令役として活躍している鱗鳥である。
子どものわたしは大きな鳥に無理に乗る必要はないということで、比較的扱いやすいツヴェート種を騎鳥とするのがよいだろうということで、領主が飼っている鳥をお下がりとして与えられることになったのだ。
ただ本当に扱いやすいのか甚だ疑問だ。
ナヴはノルマでは問題ないのだが、降りるときはいつもこのようにごねるのである。
「もう今日はおしまいよ。わたしはこのあと薪割りだってあるんだから!」
「サーシャは本当に鱗鳥に好かれてるわよね。うらやましい」
「見てないで助けてください、フレアさま!」
わたしとギルがなんとかナヴを引き剥がそうとしている姿をフレアが本当にうらやましそうに眺めていた。
思わず文句を言うと、小さく息を吐き出したフレアがバケツに入った飼料を一つかみする。
「ほら、サーシャ、これをあげて」
「う、うん」
フレアに手渡された飼料を左手で差し出すと、ナヴがジャケットの裾を放して飼料に口を突っ込む。
硬い唇の鱗とざらりとした舌の感触に「うひ、」と小さく声が漏れる。
「食べ終わったらナヴを撫でてあげるのよ。今日はこれでお終い、また明日ってね」
「きょ、今日はこれでおしまい。また、明日よ、……ナヴ」
「そうそう。真心を込めて、やさしくね。明日もちゃんと来るわ」
「そ、そうよ。ナヴ、明日も来るし、あなたに乗ってちゃんと飛ぶから……」
フレアに言われたとおりナヴを撫でていると、しばらくしてナヴは円らな桜色の瞳を伏せる。
それから自ら身体を引いて房の奥へと入っていく。
「サーシャ、ナヴにも心があるのよ。怖がったり嫌がったりしてばっかりは駄目」
フレアはにこりと微笑んでわたしを見下ろす。
「ナヴはサーシャと仲良くなりたいのに、サーシャが素っ気ないから不安がっているのよ」
「そ、そうなの……」
確かにわたしはナヴとの接触は最小限に済ませようとしているところがある。
練習のために言われたとおりに乗って、決まったところをぐるりと飛ぶくらいだ。飛び終わったら言われたとおり身体を拭いてやり、言われたとおりの餌を籠に入れて差し出し、さっさと房を出てしまっている。
「ナヴは躾の利いた鳥だから暴れたりしないけど、気性の荒い鳥だと主人が気に食わないと攻撃してくるからね。もうちょっとちゃんとナヴの機嫌に気をつけて上手くやらないと戦場でちゃんと飛んでくれなくなったりするよ」
「そうなの!?」
クルスの指摘にわたしは驚いて房の奥で丸まって寝る体勢になったナヴを見やった。
「指示を聞かないで暴れておかしな方向に飛んでったり急に地上に降りようとしたりとか、気性の穏やかなツヴェート種だとそもそも戦場に飛んでいくことをのものを拒否する子もいるわね。でも主人がちゃんとしていたらどの子も主のために頑張ってくれるものよ」
「なるほど……」
フレアの説明にわたしは小さくうなずく。
「馬に乗るにも馬との信頼関係が重要でしょ。鱗鳥も同じだし、精霊もそうでしょうね。騎士は自分とともに戦ってくれる仲間といかに信頼関係を作っていくかがとても大事なの。サーシャに今一番大切なことは、信頼できる仲間をたくさん作っていくことでしょうね」
「信頼できる仲間、ですか?」
「ええ。ナヴともそうなれるように頑張ってね」
「う……はい」
わたしはおずおず首を縦に振った。
鱗鳥と築く信頼関係というものがいまいちイメージがつかめない。相手は言葉が通じないのだ。
だが、騎士見習いになるのだからなんとかするしかないのだろう。
子ども生活もようやく慣れてきたところで訓練もちょっとずつ進んでいきます。
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