(15) 新しい朝
サーシャ生活二日目の朝、わたしは目覚めるなり案の定筋肉痛の痛みにうめき声を上げる羽目になった。
とはいえこれは予測できていたことだったので顔をしかめながらも起き上がる。
「おはようございます、サーシャ様」
「おはよう、ドリー」
昨日と同じように朝はいったんドレスに着替える。
筋肉痛は酷いけど、ドリーに泣き言を言ったおかげかわたしの頭の中はすっきりしていた。
自分ではいろいろ平気なふりをしていたけれど、やはり昨日までは不安と緊張でいっぱいいっぱいになっているところも多かったのだろう。
らしくない弱音を吐いてしまった。
わたしは気合いを入れるために鏡を見て自分の頬をぱんっと軽く叩く。
「よし!」
それから部屋を出て食堂に向かう。
今日から食事は昨日とは違って同じ東棟にある食堂を使用することになる。
本来成人していない子どもは東棟の食堂に集まって食事を取るのがふつうなのだ。昨日のように中央棟の食堂に一族全員が顔を揃えて、と言う方が珍しい。
お父さまとお母さまは一緒に食べることもあるかもしれないけど、お祖母様やジルテレサおばさまあたりは平時は部屋で一人で朝食を食べることの方が多いはずである。
階段を降りて食堂に向かっていると、反対側からちょうどクルスが姿を現わした。
「おはよう」
素っ気ない顔でクルスに声を掛けられたので、わたしは筋肉痛をこらえながらも膝を曲げ「おはようございます」とあいさつを返す。
膝を元に戻してから騎士のあいさつの方がよかったかと思ったが、正式入団はまだなので問題ないだろう。
わたしは忘れないうちに、と食堂に入る前に口を開く。
「クルスさま、昨夜は部屋まで運んでいただきありがとうございました」
わたしの言葉にクルスは少し驚いたように目を見開いた。
昨日夜寝る前にドリーが倒れたわたしを部屋に運んできたのはクルスだったと教えてくれたのだ。
その際お礼を言うことを忘れないように念押しをされた。
「慣れない訓練だったとはいえ倒れてしまい申し訳ありませんでした」
わたしが謝るとクルスがさらに困惑した様子になったので、わたしは内心苦笑いを浮かべた。
今までのわたしだったら倒れるような訓練をさせたことに文句を言っていただろう。予想と違う反応をしてきたわたしにクルスは戸惑っているのだ。
ジルサンドラであればそういった振る舞いをしても周りの方が我慢する。けどサーシャであればそうはいかないのだ。
これはほとんどドリーの耳打ちだけど。
「いや……体調は?」
「気分は良いですが筋肉痛が酷いです」
「そうだろうね」
「魔法の制御訓練は問題なく出来ると思いますが、薪割り三十本は難しいと思います」
「……フレアさまと相談して減らしてもらうよ」
ちっ……なしにはならないか。
反射的に浮かんだ不満をなるべく顔に出さないように努力した。
「ありがとうございます」
今度は騎士の訓練の話だったから胸に手を当てて礼を述べた。
クルスは黙って鷹揚にうなずいてみせる。
使用人が食堂の扉を開けるのを待って室内に入ると、すでにジルウォード叔父さまの四人の子どもたちがいた。昨日も会ったリリージルとジュートジルの二人に加えて、今のわたしより少し小さいくらいのよく似た顔立ち男の子と女の子がひとりずついた。
双子のソーラジルとララジルだ。母親であるサラジルと同じ小紫の髪色に祝福式前の子どもだとすぐにわかる桜色のくりくりとした瞳でこちらを見ている。
「その子がサーシャ?」
「おねえさまの言うとおり、わたしたちとあんまりかわらないかもー」
双子がわたしの周りにとてとてとやってくる。
わたしの記憶が確かであれば二人は今八歳なので、確かに外見の年齢にはそういたいした違いがないだろう。恐らくわたしの方がもう少しお姉さんに見えるはずだけど。
「ぼくソーラジルです。ちちうえはきしだんちょうです」
「わたしララジルよ」
敵意いっぱいだった上二人と違って双子はそうのんびりと挨拶をした。
「初めまして。サーシャです。お父さまにはお世話になっています」
「サーシャ、おぼえた」
「ねえ、サーシャはべんきょうべやには来ないの? ソーラとふたりだけ、つまらないの」
「サーシャは騎士団の訓練だよ。見た目がちょっと小さくてもきみたちより年上で祝福式を終えてるからな。二人とも、喋ってないで席に着け」
「「はぁーい」」
クルスが声を掛けると双子が自分たちの席に散っていく。
既に席に着いていたリリーとシュートの不満げな視線を無視して、わたしも自分の席に着く。
子どもたちだけの食事でも一応席次というものはある。そもそもがテーブルマナーを覚える教育の一環の場でもあるからだ。今日はまだ祝福式を終えていないソーラとララの二人がわたしよりも下座の席だ。
全員が席に着くと家政婦長がベルを鳴らして食事が運ばれてくる。
朝食は至って簡素なものだ。
パンにスープ、ちょっとしたサラダと厚切りのハムに炒り卵。
昨夜同様筋肉痛のわたしはカトラリーがどうしても上手く使えずに音を立ててしまう。
ソーラとララとどっちがマシか……なんて考えていると斜向かいから鋭い声が飛んできた。
「もうちょっと静かに食べられないの?」
わたしはぴたりと動きを止めた。
「平民生まれだとその年になってもこの程度のことも出来ないのね」
嫌みったらしいリリーの声音に、わたしは小さく息を飲み込んだ。
昨日から感じていた妙な既視感の正体に気がついてしまった。
これ……わたしだ。
そっくり同じセリフを以前わたしは言い放ったことがあった。
相手は聖女ミルフローラだ。
あの時は聖殿が聖女と認定したという娘がエディアルドと仲が良さそうだと噂が出回り始めた頃で、わたしはその女を見てみようと主催した昼食会に呼びつけたのだ。
他の招待客は全員貴族階級の子女で彼女だけが平民出身だった。聖殿で多少マナーを教わっていたようだけど、まだおぼつかなかったミルフローラは今のわたしのようにカトラリーの扱いが上手とは言えなかったのである。
わたしは一瞬、うつむいた。
それからナプキンで口元を拭いて、顔を上げる。
「申し訳ありません。上手くなるよう練習します」
リリーの瞳を真っ直ぐに見てそう言った。
リリーは驚いた様子で目を見開く。目をそらし、まだ何かわたしに口撃しようとしているのだろうけど、上手い言葉が見つからないのかもごもごしている。
そのうち素知らぬ顔で食事を再開した。
その様子にほっと一息つき、同時に消沈した。
まさかわたしがミルフローラの真似事をするだなんて。
あの時わたしもこう言われて困惑したのだった。
ふつう貴族だったら対面を取り繕うとするものだけれど、ミルフローラは出来ない自分をはっきり認めてある種開き直っていた。その上で精進しますと言われて、確か「せいぜい励みなさい」的な捨て台詞を吐いていたような気がする。
もっと慌てたり、おろおろしたり、そういう姿が見たかったのだけれど、彼女はそうじゃなかったからぐちぐち言えなかったのだ。
たぶん今のリリージルもそんな感じなのだろう。
それにしても、わたしってすごく幼稚だ。
わたしはため息を吐きたい心地をぐっとこらえた。
十三歳の女の子がやっている意地悪をそっくりそのまま学園でやっていたのだ。これってかなりみっともなかったのではないだろうか。
これをまったく悪いと思っていなかったのだから余計に。
冷静に状況を受け止めて、ものすごく恥ずかしくなってきた。
こんな意地悪を一年以上続けていたのだ。
なるほど、馬鹿なことをしでかす娘だと思われるわけだ。
一年前の自分を客観視してしまい、わたしは表向きは取り繕いつつも心の中ではがっくりと肩を落とした。
ミルフローラは嫌いだけど、わたしに相応に悪い点があることを理解してしまった。
わかったのだからその点は正すよう努力しなければならない。
サーシャとしてもジルサンドラとしても、やるべきことを一つずつ積み重ねていく。
それがわたしの新しい人生のスタートなのだ。




