(14) 大変だった一日の終わり
薪割りを終えたわたしは当然のように疲労困憊だった。
腕もとても痛いし、足を上げるのも一苦労。薪割りがこんなに身体全体を使う重労働だとは思っていなかった。
だから新人の体力作りに薪割りがあるのね。
ぼんやりした頭でぼんやりそんなことを考える。
ちょっと合理性を見いだしたところで明日からのやる気に繋がるわけではない。
やるべき事を終えたせいなのか意識が薄らいでいく。
フレアとクルスについてのろのろと城に戻るわたしの意識は半分飛びかかっていた。
「これは夕食は無理そうね。部屋に運ばせましょう」
「……子ども用の食堂で取らせないと」
「甘やかしじゃないわ。寝ている途中で落ちてしまってはしょうがないし、なにより明日からの訓練に支障が出るといけないもの。上官として命令するわ」
「……了解」
なにやら二人が頭上で会話をしているが、よく聞き取れない。
しょぼしょぼとした目で歩くわたしはすぐ足下に石が転がっていることに気づいていなかった。
「わあっ……!」
「サーシャ!」
フレアの慌てた声が背後から聞こえたけど、わたしはそのまま意識を失った。
目が覚めると今朝と同じ天井がわたしを出迎えた。
額の上になにやら冷たい物が載っている。
なんだろ、と掴むと氷水が入った革袋だった。
「お目覚めですか、サーシャ様」
「ドリー」
がちゃりと扉が開いたと思ったらドリーが顔を出した。
彼女はわたしの前に跪き、額を確認した。
「たんこぶは出来ておりませんね。ようございました」
「わたし転けて気絶したのね」
「ええ。だいぶんお疲れだったとお聞きしておりますよ。そのまま大鐘二つ分はお休みでした」
「そんなに……」
と言うことは既に夜はだいぶん更けていると言うことになるだろう。
「お食事をお持ちしますね。その間にジルウォード様からお預かりのものに目を通されるとよろしいでしょう」
騎士団長室で作ったサーシャの設定のことだ。
わたしはベッドからもそもそと起き上がろうとし、うっと顔をしかめた。
筋肉痛だ。
腕も足も、それどころか身体全体に鈍い痛みを感じる。
起き上がるのも嫌になるような痛みだった。
だけどウォード兄さまとの約束を無視するわけにはいかない。
わたしは無理矢理身体を動かした。
鏡台の上に紙が置いてあったのでそれを手に取って目を通す。
鏡の中の自分が眼鏡を掛けたままだったので驚いた。
そういえば掛けている本人にしか外せないのだった。気絶しても取れないとはすごいけど、こういうときは逆に不便だなと考え直す。
眼鏡を外すと鼻の付け根にバッチリ跡が残っていた。
座ろうとすると身体が痛いのでわたしは立ったままメモを読んだ。
小さな声で読み上げて暗記できるように心がける。
そうこうしているうちに食事の準備が終わったらしく、ドリーに声を掛けられた。
一応眼鏡を掛けて直してとなりの部屋に向かう。
寝室の隣は応接室ということになるが、子どもの場合は勉強部屋を兼ねる。
大きな勉強机とソファセットが置いてあって、勉強机に食事が用意されていた。
ほとんどの料理はすっかり冷め切っていたが、スープだけは温め直してくれたらしい。微かに湯気が上がっている。
カトラリーを持つのも億劫だったけどなんとか頑張って食事を口に運ぶ。
優雅に食事をしている余裕なんてなくてカチャカチャと食器同士がぶつかる音がする。
柔らかく煮込んであった鶏の骨をはずそうとして、ナイフの動きが勢い余った。骨が飛んでいって机から落ちる。
わたしは愕然と動きを止めた。
「サーシャ様?」
「もうやだよぉ……!」
動きを止めたわたしにドリーが声を掛けてきた。
その瞬間、わたしは机の突っ伏した。
「ぜんぜん上手く行かない! こんなの……わたしじゃない!」
ちんちくりんの子どもで、魔法の制御の一つも出来やしない。
鱗鳥に乗せられるし、薪割りをさせられるし、ちょっとの遅刻で怒鳴られる。
こんなの、わたしの生活ではない。
誇り高きルシエル家の娘、王太子エディアルドの婚約者たるジルサンドラ・ルシエルが受ける仕打ちじゃない。
どうしてこんなことになったのだろう?
ずっと上手くいっていたのに。
わたしは幸せだったのに。
どうしてこんな目に遭わなければいけないのか……。
――ミルフローラ……彼女さえいなければ、
「お嫌ならば旦那様にそう申し上げるのがよろしいかと思います」
「え」
「そうすれば、旦那様がお嬢さまの負担を減らしてくださるでしょう」
わたしは驚いて顔を上げた。
ドリーの声音は優しかったが、顔は一切笑っていなかった。
「このルシエル家も歴史長き名門の家です。旦那様ならお嬢さまのすべての悩みを解決なさるお薬をお持ちでしょう。ええ、……すべてを」
その言葉にわたしは青ざめる。
意味することが何であるかは明白だ。
「お嬢さま、過去は変えられません。起こってしまったことは起こってしまったことなのです。結果を踏まえた上で未来をよく出来るよう努力するしかありません」
「でも……でもちっとも上手く行かないのよ。なにもできないんだもの」
「始めてすぐに上手くいく者などおりましょうか? お嬢さま、覚えておいでですか? サフォラ夫人が初めて我が家に来られた日のことを」
サフォラ夫人はわたしの元家庭教師だ。
王都の女性でエディアルドの婚約者に決まったわたしに淑女教育を施すためにお祖母様が招いた人物である。
とても厳しい女性でわたしが泣いて嫌がっても引きずり戻して教育を受けさせた。
それまで子どもの自由を満喫していたわたしには当時どんな悪霊よりも恐ろしく見えたものである。
「お嬢さまは最初できないできないとそう泣いておられましたね。頭の上に本を載せてある歩くなんて無理、だとか、アロウ=ドロシスの詩集の暗唱なんてやりたくないともおっしゃっておいででした」
「……いってたわね」
頭の上に本を載せて歩くことは当時は意味不明だと思っていたし、アロウ=ドロシスは大昔の桂冠詩人で恋歌が有名だけど、騎士物語が好きだったわたしにはつまらない話にしか思えなくて読みたくなかった。
今は頭に本を載せるのは美しい姿勢のために必要な訓練だったと理解しているし、アロウ=ドロシスも他の有名な詩人も教養人ならとっさに引用できなければ、引用元が理解できなければ恥を欠くとわかっている。
「時間は掛かられましたが、どちらもちゃんと出来るようになっておいでです」
「……がんばったもの」
すん、とわたしは鼻をすすった。
「頑張ったもの。出来るようになるまで、ちゃんとやったもの……」
「なら、今度もそうなさいませ」
ドリーは真っ直ぐにわたしを見つめた。
「お嬢さま、汚名を着せられ訳もわからぬままこのような状況になって、不安な気持ちは痛いほどよくわかります。一年前、城で過ごすものは皆そうでした」
「みんなが……?」
「ええ。突然ジルサンドラ様が聖女を害したなどと言われお亡くなりになり、領主夫妻は蟄居、子どもたちも学園から急遽戻ってくる羽目になりました。遠く王都で何が起こっているのかわからず右往左往するだけの我々にやるべきことを指示し、成すべきことを示したのはご領主夫妻を初めとした領主一族の皆さまです。ご領主様の指示に従って日々を積み重ねることで、なんとか一年で城は落ち着きを取り戻してきました。今も不安が全くないとはもうしませんが、一年前ほどではありません」
ドリーはわたしの前に跪き、わたしの両手を取った。
「私はジルサンドラさまがお亡くなりになられたと知ったとき後悔いたしましたわ。筆頭侍女の立場を与えられておきながら出産と育児のためにお側を離れてしまったこと、なんと愚かだったことかと……」
「そんなことないわ! 結婚することも、子どもを産むことも、ドリーの幸せじゃない!」
わたしは慌てた。
八つ年上のドリーはお兄さまの乳兄弟で、その縁でわたしが三つの頃侍女になった。十一歳の時からわたしに使えているドリーはいつだって全てがわたし最優先で、結婚だって出産だってわたしの都合が悪ければなんでも後回しだ。彼女自身の人生なのに。
ドリーは十九歳で結婚したけど、その時わたしは王都に移ることになったから王都での生活に慣れるまではと従騎士の夫を残して王都に着いてきてくれたのだ。
わたしが十四で魔法士の資格を取って、王都の暮らしにも馴染んだからドリーにはようやく暇を出せた。
けど十八歳になって成人したらエディアルドと結婚するとわかっていたので、結婚準備に入る十七歳の時には戻ってきてもらわないといけなかった。ドリーが夫との間に子どもをもうけるタイミングはそこまでしかなかったのだ。
わたしはそんな風にわたしのために彼女の人生のすべてを犠牲にして欲しいとは思っていなかった。
子どもなんて創造主からの授かり物なのだから、ちゃんと産めるとは限らないのだ。わたしのために変に遠慮なんかしないで自分の幸せを一番に考えて欲しい。
でもそう言うとき、ドリーはいつも「お嬢さまの幸せがわたしの幸せですよ」と笑う。
「私がお側にいさえすれば、エディアルド様の心移りに不安になるお嬢さまを慰めて励まし、愚かしくも聖女に意地悪をするなどと言う行動を諫めることが出来たでしょう。私は、一番お嬢さまの側にいなければならないときにそこを離れてしまったのです。乳姉弟であるジルウォード様に妹を頼むと言われておりましたのに……私は過ちを犯したのです」
「そんなことない!」
「いいえ。例え誰がなんと言おうと、私にとってはそうなのです」
ドリーの声は強かった。
「サーシャ様が現れたとき、私は精霊のお導きに感謝いたしましたわ。私は決定的な間違いを犯しながらそれをやり直す機会を与えられたのです。このような幸運はそうそう舞い降りるものではないでしょう……サーシャ様、どうかこのドリーのためにも今一度奮起してはいただけないでしょうか?」
わたしは眼鏡越しに彼女を見つめる。視界が滲んでいる。
「……今日、本当に駄目だったの……なにも上手くいかなくて」
「今日だけでございます」
「明日も駄目だと思う……」
「それも明日だけでございましょう……いずれ出来ます。私のお嬢さまですもの」
そういってドリーは柔らかく微笑んだ。
わたしは大きく鼻をすすった。口の中がしょっぱかった。喉の奥が震えて、声がうわずりそうだった。
それでも、ぎゅっとドリーの手を握り返して、絞り出す。
「がんばる」
少なくともここに一人、わたしの身を案じ、わたしを信じて献身を示す者がいる。
どんなに今のわたしが惨めでも、それには応えなければならないのだ。
長い一日の終わりです。
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