(9) 騎士団長との面接 前編
部屋に戻ると既に新しい服が用意してあった。
恐らく食事をしている間にメイドが運び込んでいたのだろう。
用意されていたのは子ども用の乗馬服である。
「これに着替えて西門に行けばいいのね?」
「お急ぎください、サーシャさま。小鐘一回半しか時間がありません」
「え、うそ!」
わたしは飛び跳ねた。
小鐘一つ分では着替えてここから西門まで、走って行っても間に合うかどうか。
恐らく食事を終えてすぐ食堂を出ていたら小鐘二つ分以上は余裕があったのだ。いとこたちに絡まれたおかげで余計な時間を食ってしまった。
わたしは慌ててドレスを脱いだ。
そもそもすぐ着替えるのになんでわざわざ朝食用のドレスを着なければならないの。
おかしくない?
わたしが心の中でそんなことを考えていると、口に出ていたらしい。
ドリーが「皆さまそうしてらっしゃいます!」と小さな声で説教してきた。
「お嬢さま、急いでこちらを」
「ちょ、ちょっとくらい遅刻しても……」
「いけません!」
「そうよね!?」
今し方身分差というものを痛感したばかりである。
あの口ぶりだとクルスもいるのだろうし、あと騎士団に入ると言うことなら叔父さまやお兄さまもいるのかもしれない。だとしたら遅刻は不味いだろう。
家の中では常に誰かがわたしが適格か不適格かを観察している。
何かしらのラインを下回れば、父が手を回すのだ。
ドリーが側についていてくれて本当に良かった。
手伝ってもらったおかげで乗馬服への着替えは想像よりも早く済んだ。
「サーシャさま、お早く!」
「うん!」
わたしは部屋を飛び出す。
最初は早歩きをしていたけれど、やはり子どもの足では間に合わない。
遅刻するわけにはいかないと途中から東門に向けて走ることにした。廊下が広いのでとりあえず真ん中を走れば物にぶつかることはない。
すれ違う使用人たちがこぞって顔をしかめるのを気づかないふりをする。
西門が見えてきたところでチリン、チリンと小さな鐘の音が二回響いた。
門の前には兄とクルスの姿が見える。
お兄さまもクルスも早いわね!?
わたしの少し前に食堂を出たはずなのに?
わたしは痛む腹を押さえて髪を振り乱し、なんとか西門の前に走り込んだ。
お腹が痛くて、息が苦しくて、片手を膝につく。
「遅い!」
いきなり兄に叱責された。
更にもう一言飛ぶ。
「城内を走るな!!」
わたしは思わず「は?」と顔を上げてしまった。
言われたことが理不尽すぎて訳がわからない。
遅刻しそうだったから走った。鐘の音と同時に門の前にはいなかったけど、わたしにお兄さまが見えたのだからお兄さまにもわたしが見えていたことは間違いない。
にもかかわらずほんのわずかな遅刻を怒鳴られ、更に走ったことも怒鳴られた。
どうしろと?
そう不満を瞳に込めて兄を見上げる。
すると兄は……ジルウォードは見たことがないくらい恐ろしい顔をした。
「サーシャ、貴様が騎士団に入るなら時間は絶対厳守。鐘の鳴るよりも前にここに来て準備を整えておかねばならない。それなのにその息の上がり方、貴様は今すぐ敵と戦えと言われて出来るのか?」
「っ……でき、ません……!」
わたしはぜえはあと息をつきながら返事をした。戦うどころか今すぐ座り込んで休みたいくらいだ。
「正式に騎士見習いとなった上で緊急時に城内を走るのは許される。だが普段の生活で城を走るなどもってのほか! 淑女の振る舞いではないし、領主への不敬だと心得よ」
「……っ、は、はい」
頭の中にごちゃごちゃ浮かんだ言葉をなんとか全部飲み込んで首を縦にする。
となりのクルスが小さく息を吐く。
「余裕持って動かないから走る羽目になるんだよ」
余裕も何も、食堂から部屋に戻ったらもう小鐘一つ半だったけど……。
というかこいつはなんでこんな余裕綽々で間に合っているのよ。
思わずクルスを睨みそうになるが、先ほどの兄の怖い顔が脳裏によぎった。
「申し訳ありません……以後気をつけます」
結局わたしは肩を小さくしてそうつぶやくしかない。
兄がくるりとわたしに背を向けた。
「ではついてくるように」
や、休ませてよ……!
わたしの息はまだ整いきっていない。
それなのにそれを無視して兄がさっさと歩き始めてしまう。
すぐには動けないわたしをクルスが一瞥する。
「早くしないと置いてかれるよ」
わたしはつばを飲み込んだ。
膝に置いていた手をどかし、急いで兄とクルスの後についていく。
ついていった先は西の離れ――紫花騎士団の本部として使われている建物だ。
「おはようございます、副団長、クルス様」
「おはよう」
「おはよう。お疲れ様」
「そちらは?」
本部の前で見張りをしていた騎士が手のひらを胸に当てて兄とクルスにあいさつし、それからわたしを見て目を見開く。
若い騎士で、わたしには誰だかわからなかった。
「冬に騎士見習いとして入団予定のサーシャだ。詳しい説明は後日する。団長は?」
「さきほどいらっしゃいましたよ」
「わかった。いくぞ」
わたしは軽く膝を曲げて見張りの騎士に礼をし、兄に続いて建物の中にはいった。
お兄さまやクルスはもちろん、ジルバート叔父さまも朝食からさっさと着替えて準備を終えていたらしい。
クルスはわたしと似たような格好だけど、お兄さまはもっとごちゃっとした騎士の制服を着用している。なんでみんなそんなに早いんだろう。
わたしの息はだいぶん整ってきてきたが、脇腹がまだ痛い。
さすっているとクルスが頭上から声を掛けてきた。
「みっともないからやめなよ」
な、なんだとぉ!
こいつ姉のわたしに向かってさっきから上から目線過ぎやしないだろうか。物理的な話だけではなく。
さっきは助けてくれたと思ったけど、もしや気のせいだったのだろうか。
単純に立場が変わったことをいいことに小言でわたしをいびりたいだけではないだろうか。
落ち着け、とわたしは息を吐き出す。
嫡男の兄や次期王太子妃のわたしと違って弟のクルスにはいくつか人生の選択肢がある。
騎士団に入って将来的にはバート叔父さまのように兄を支えるか、あるいはジルベルグ叔父さまのように親族の領地に婿に入って議員になるか、いっそ外国の王侯貴族と結婚するか。中央政府の文官の試験を受けるという手もあったかもしれない。
思い描いていた将来を私に潰されたのだから、不満はあって当然だ。
それで納得しているのだからクルスの小言くらい流せなくてどうする、わたし。
わたしは痛い脇腹をさするのをしぶしぶやめ、兄の後ろについていく。
すれ違う騎士たちが驚いた顔でわたしを見ている。二度見する人も多いし、中には三度見する人もいる。
居心地の悪さに顔をうつむけそうになる。
騎士団本部は五階建ての建物だ。
兄が迷わず階段を上り始めたのを見てうへっとする。どうか最上階まではいきませんように、との願いはむなしく最上階の部屋が目的地だった。
両開きの大きな扉の前に連れて行かれる。
騎士団長室だ。
兄が扉をノックした。
「団長、サーシャを連れてきました」
「入りなさい」
内から返事がする。
扉を開けたのは兄の婚約者フレアジルだ。
彼女はにこにこと愛想良く茶色の目を細め、わたしたちを内に招き入れる。
フレアジル・マルシエ子爵令嬢は平均的な女性よりも少し高い背丈をしている。そのせいなのか、真っ直ぐ伸びた背筋と相まって騎士団の制服がとてもよく似合っていた。小紫色の髪は後ろ頭で一つに纏められていて飾り気がないけれど、彼女のすっきりとした美貌を引き立てている。
マルシエ家はルシエラ領内に土地を所有する家臣の家系だ。といっても開祖はジルバート叔父さまのように他領に婿入りしなかった嫡流の男性騎士なので、一族の男系傍流の姫君ということになる。領内から領主の妻を選ぶ際はだいたいこういう立場の女性が選ばれるのだ。
騎士団長室の応接スペースには当たり前だが団長であるジルバート叔父さまが座っていた。
ジルバート叔父さまは一族特有の濃紫の髪を短く刈り上げ、騎士らしく強面の男性である。わたしに接する日頃の態度はいつも温和な人だったけど、今はどうなのだろう。叔父さまはじっとこちらを見ている。
フレアが扉を閉めた。外側から見るとただの木材の扉だが、内側には扉一枚一枚に精霊石がはめ込んである。フレアが精霊石に手をかざし、魔力を充填した。
防音装置だ。
これで部屋の音が完全に外に漏れなくなる。
「みんな座りなさい」
バート叔父さまに促されわたしは他の全員が座るのを待って応接用のソファの一番下座に腰掛けた。
叔父さまが小さく笑ったのでこれで正解のようだ。
軽率にジルサンドラらしき行動を取らないように一挙手一投足を見定められている。
落ち着かない。
「さて、サーシャ、誰が君の正体を兄上から教えられたのか気になるだろう」
叔父が膝の上で指を組み、にこりと笑った。
確かにものすごく気になっていることではあったので正直にうなずく。
「はい」
「騎士団では現在ここにいる者たち以外は君の正体を知らない。いちおう、このあと国境の砦に控えているもうひとりの副団長クロトジルには伝える予定だ」
ルシエル領は他国と国境線を接している大領地の一つである。すぐに隣国となるわけではなく緩衝地帯として自然の山野が広がっているが、それでも騎士団の三分の一と領軍の一部は常に国境の砦に防衛のために駐在していた。
砦と城壁の監視には騎士団長と二名の副団長のうち誰かひとりが交代で責任者を務める決まりとなっている。
今はたまたま団長とお兄さまがこちらにいる時期なのだ。
「朝食の様子からもわかっているだろうが、君の祖母であるマリールイズと、大叔母のジルテレサは何も知らない。まあテレサ叔母上は君と積極的に関わる気はないだろうが、母上は孫可愛さに君と接触しようとするかもしれない。気をつけなさい」
「わかりました」
「それから俺の子どもたちはもちろん、今のところ妻のサラジルも君のことを知らない。注意して欲しい」
「サラ叔母さまもですか?」
「秘密を知る者はなるべく少ない方がいい。サラは騎士ではないし騎士としての教育を受けているわけでもないので教えるべきかはもう少し慎重に見定める必要がある」
バート叔父上はそう冷静に自分の妻を評価した。
なかなかシビアだ。
まだ結婚していない兄の婚約者であるフレアは騎士団員なので教えられたと言うことになるのだろう。わたしと顔見知りの女騎士と言う点もあるのかもしれないけど。
「あと騎士で知っているのは君を発見した老ポメロンだな。彼は正式には騎士団を既に引退していて、今は墓守をしながら兵士の指導を務めてくれている。見習いの研修でも顔を合わせるだろう。それから使用人については家令と家政婦長、領主夫妻の筆頭侍従はそれぞれ知っている。あとは君の面倒を見ているドリーだ。今後増えるかもしれないが、多くに教える予定はない」
頭の中で告げられた人間の顔と名前を思い浮かべた。使用人の中でも領主夫妻と頻繁に接するものは把握していると言うことだろう。このあたりは領主への忠誠心も高いので妥当な判断だと思う。
わたしの正体を知る人はあとから知らされるクロトを含めると全員で十二人ということか。
城や騎士団の関係者の総数を考えると本当に一握りの人間しか知らないと言うことになるはずだ。
「君が生きていることがばれたら大変なことになるというのはわかっていると思う。知っている者がいるからと言って油断しないでほしい」
「はい」
わたしは神妙にうなずいた。
話しているのは叔父だが、これは恐らく父からの言付けのようなものだろう。
好き勝手に振る舞うなという忠告は昨夜既に受けている。
思うところがないわけじゃないけど、生きるためには今のところ受け入れるしかないのだ。
長いので前後編分けました。次は後編です。




