2話
「ぶえっくしょいっ」
サカモトは目を覚ました。
「またか、またやっちまったか。うー寒みぃー」
どうやら酔っぱらって寝てしまったらしい。黄色い半そでのTシャツから露出した腕を摩る。昼間は暖かかったがやはり夜は冷える。
「バードックの野郎、置いていきやがって」
当たりを探すが知らない顔の酔っ払いしかいない。どうやらあいつは今回も俺の事を置いて帰ったようだ。
「チッ、」
文句を言いながら右ポケットの財布を確認すると誰にも盗られた形跡はなく、サカモトは安どのため息をついた。
「よいしょっとおー」
右手をつき、立ち上がると尻の土を払い落とす。酔いは前の時ほど酷くはない、どうやらそこまで痛飲しなかったらしい。
「帰るかぁー、ひとりで飲んでも面白くねえしよ」
誰に聞かせるともなくサカモトは言った。最近独り言が増えた気がする。まるで年寄りになったような気分だ。絡まった痰を勢いよく地面に吐きつけ、若干ふらついた足取りで歩き出した。
「ふぅ、」
サカモトが帰ることにしたのは財布が軽かったというのも理由としては大きい。
「チッ」
財布が軽いのならば稼げばいい、そう考えまともな貯金のないサカモトだが理由はそれだけではない。
「何が呪いだよ、チッ」
飲み仲間の軽口を思い出し頭を振る。
「こんなはずじゃあなかったのによ…」
人通りのまばらな道を歩く。一般人であればこの時間、この場所をひとりで出歩くなど危険だがサカモトに怯えた様子はなかった。
「寒みぃー」
摩る腕が筋肉で盛り上がっていた。日焼けした顔に鋭い目、戦闘を生業とするものであることを如実に表していた。スリやチンピラも彼が纏う威圧感を感じ手を出そうとするものなど滅多にいなかった。
家が近づくにつれ辺りは暗く人通りも少なくなっていく。そして鼻を突く臭い。
「俺はこんなところで終わる人間じゃねえ」
それはゴミの臭い。サカモトはここに越してからというもの、今まで以上に仕事が終わった後は飲みに行く事が増えた。こんなところすぐに引っ越してやる、今まで何度も口にした言葉だがそのせいもあって金は出ていく一方であった。
腕に僅かな感触に真っ暗闇の空を見上げた。
「マジかよ」
その途端、大粒の雨が降り出してきた。
「チッ、」
ズボンの左ポケットに手をやり、思っていたものが入っているのを確認してサカモトは走り出した。
「濡らしてたまるかよ」
そこにはドラッグ。大して質の高くないものだが金のないサカモトにとっては大切なもの。酒と一緒にこれをキメることが数少ない楽しみだ。前に一度同じように雨にうたれて使い物にならなくしてしまった時、彼はかなりのショックを受け、もう二度とこんなことはしない、そう思ったのだ。
泥を跳ね上げ走り出したその速度は常人を遥かに凌駕した。これが冒険者サカモトの身体能力。暗闇の中で左ポケットをかばいながらも疾風のようだった。
しかし、
「づわーーーー!!」
勢いよく転倒したサカモト。
「なんだ、一体何が…」
口の中の泥を吐き出しながら言った。酒とクスリのせいで頭がイマイチ働かない。そして怪我が無いことを確認しながらゆっくりと立ち上がると元来た道を戻り始めた。
「痛てぇ」
何かに躓いたのは間違いないがそれが何だったか気になる。考えながら数歩歩くだけでその場所らしきところについた。
「石?」
転倒した場所には不運なことに石ころが大量に落ちていた。
「なんだこりゃ」
他に比べそこには不自然なほどに大量の石。誰かが意図的にこの場所に置いたのは間違いない。子供の悪ふざけか?
「しまった!」
急いで左ポケットに手をやるがその場所は見るも無残に泥が滴り下りていた。これでは中を見るまでもなくドラッグは水浸しになってしまったであろうことは容易に予想がついた。
「ちっ、ちっ、ちっ、なんだ、なんなんだ一体、この石のせいかよ!」
腹立ちまぎれに地面を勢いよく踏みつける。だがこんな石あったか?サカモトの脳裏に疑問。飲みに行く際にもこの場所を通ったが何も変わったことは無かったはずだーーー
「ん、なんだあこりゃ」
ロープが張られていた。
「ふざけやがって、なんだってんだ、誰だこんなことしやがったのは。ぶっ殺してやる」
あごから滴るほどに濡れたサカモトが怒りに満ちた声を発した。それはまるで獣の唸り声の様だった。その目の前にあったもの、それこには足首の高さほどの位置にピンと張られたロープ。
明らかに転ばせるという意図をもってつけられていた。しかもそのロープ、それは通常の物とは違い黒く染められていた。こんな色のロープなんか見た事が無い。暗闇の中で目立たぬようにあえて染めたのだ。
「誰だ誰がこんなことしやがったぶっ殺してやる」
「おおい、どうしたんじゃお前さん、なんじゃあ、どうしたあ?」
再び地面を踏みつけようとしたその時、声がした。睨みつける様に見たその声の方向、小屋の軒下に薄汚れた服をきた爺さんがいた。
「ういっぷぅ、なんじゃあ、なんじゃあ、なんかあったのか?」
ヨレヨレとした足取りでサカモトの方に近づいてくる。雨は止んでいる。通り雨だったのかもしれない。
「チッ、これだったらどっかで雨宿りしときゃあよかったぜ」
酔いが醒めていればこんなロープ気づけたかもしれない。未練がましく左ポケットに手をやるが相変わらずぐっしょりと濡れている。
「なんじゃあお前さん、いい年して泥んこ遊びかあ、へぅへぅへぅ」
不揃いな口髭を生やした爺さんが変な笑い声をあげた。苛立ちの中、サカモトは少しの違和感を感じた、しかしそれが何なのかがわからない。
「これだよコレ!」
サカモトは指さすがすぐには気付かない。何やら言いながら腰をかがめもうほとんどロープに触れているんじゃないかと思うほどの距離まで近づいてみようとしている。この爺さんは相当目が悪いらしい、いや、年寄りというのはこんなものなのか?
「なんじゃあこりゃあ!」
ようやく気付いた爺さんが大声を上げた。
「質の悪りぃいたずらかなんかだろ、一体誰だこんなことしやがったのは、爺さん何か知らねえか」
犯人を見つけ出し痛めつけてやる俺の大事なドラッグをこんなにしやがって絶対許しちゃ置けねえ。
「寝取ったもんでえ、ひっく、わしゃあ何もみてねえなあ」
「そうか、チッ、見つけたらただじゃ済まさねえ」
予想通りではあった。もし知っていれば見つけた時あんなに驚きはしなかっただろう。クソ、誰がやりやがったーーー
「だがなんかー、そういえばなんだかガキが大勢で騒いでいたような気がするんじゃあなぁ、もしかしたらあいつらの仕業かもしれんなあ」
「ガキ?どんなガキだ?」
「いんや、わしゃあ見とらん、寝とったもんでなあ、わからん、わからんのじゃがなにやら騒いでおったのはぁ覚えとる、そのせいで目が覚めたもんじゃでなあ」
「ガキ…」
「ギャンギャンギャンギャン大騒ぎしおってのお、多分ありゃあクスリでもやっとるぞ」
「そいつらは大勢いたのか?」
「そうだいーっぱいおった。本当に迷惑な奴らじゃった」
「ブラックエンペラーの奴らか?」
ブラックエンペラー、同世代のスラム街出身者でチームを組んで動いている奴ら。サカモトから見ればその戦闘能力は大した事が無い、ほとんど素人に毛が生えた程度の雑魚。
「けど数が多い、クソ、厄介だな。だがこのままじゃ…って爺さん、なにをやってんだ?」
爺さんがゴソゴソしていた。