月だけが同じ
夜であるにもかかわらず、寝殿造の屋敷の一角では蔀が開けられていた。娘が一人、そこから夜空を見上げている。
月の光が娘の髪を着ている単重に刺した金糸と同じ色に染めている。
この空が故郷と繋がっているとは、最早、彼女には思えなかった。
この月と同じように見える月が故郷にあっても、故郷には物の怪などいない。そんな話もなかった。
しかし、ここには物の怪がいて、それを退治する者がいる。
故郷の月と同じように満ち欠けをする月があっても、ここは故郷とは違う世界だ。
少なくともここには三つ以上の世界がある。神々の住む天津国と呼ばれる世界。人間が住む中津国。死んだ神や人間がいく黄泉の国の三つの世界が。
物の怪は中津国と黄泉の国に住み、黄泉の国から中津国にやってくることもあるという。
物の怪のいない国から来た彼女にはそれだけでここが違う世界なのだと認識した。
住む者によって違う世界があるのだ。人間が住む世界がここ以外にもある可能性もあってもおかしくはない。
「御簾まで上げて何をしていたんだ?」
よく知る男の声に金色の髪の娘は振り返る。
「月を見ておりました」
「月を? 満月になっても帰れはしない。月に帰ったかぐや姫はそもそもが作り話だ」
男はかぐや姫のように金色の髪の娘が元の世界に戻りたがっていると考えたようだ。
蔀が閉められていては月を見ることはできないだろう。だが、御簾まで上げている理由にはならない。御簾越しでも月は見えるのだから。
「帰りたいのではございません。帰っても、私には居場所がありませんから。――ただ、月が同じなのです。故郷で見た月と」
月だけは。それ以外では違いすぎる世界。
神も違えば、金色の髪の娘の知る言語のない世界。
彼女の愛を求めてくれる人がいる世界。
両親には愛着がある。でも、それだけだ。
元の世界には柵が多すぎた。
あまりにも多かった柵に雁字搦めにされて、逃げることすら許されていなかった。
それでいて、忌み嫌われた。
逃げられないのに要らないと遠ざけられた。
時間が経てば彼女の価値がわかるようになるからと、家族は慰めてくれたけれど、消えてしまいたい気持ちは消えなかった。
そしてある日、彼女はこの世界に来てしまった。
「ここには家族がおりません。ですが、故郷にレイヤ様もおりません。月だけなのです。――同じなのは」
この国や周辺の国々に住んでいるのは男と同じ黒髪黒眼の人々だ。彼女のような金色の髪はまず目にしない。
見慣れない色彩をしている彼女を拾い、言葉まで教えてくれた恩人は妻にと望んでくれた。そうでなければ、水仕事で手が荒れたこともない彼女はこの世界で生きていくことはできなかっただろう。
この地の美人の基準である黒髪を持たぬ身では。
この世界で受けるはずだった過酷な運命から救ってくれた男は彼女の言葉を聞くと、笑みを浮かべた。
「吾は家族ではないのか?」
「レイヤ様は家族であり、私の恋人ですわ」
別格なのだと告げられ、男は楽しげに声を上げて笑う。
「そうか。もう、そなた一人の身体ではないのだ。まだ夏の暑さが残っているとはいえ、身体を冷やすのは良くない」
「そうですわね」
男に肩を抱かれ、彼女は眠る準備の整った部屋に向かった。
後には月だけが残された。