85話学者の恋
私とは違い、秋吉は『釣られる』事なく音無の台詞を軽くながし、
『シルク』の恋愛シーンを魅力的に説明し、番宣に繋げて行く。
「それで、音無先生は、今宵はどんなお話をしてくださるのですか?
今日は霊を呼び出す『怖い話』ですよ。『恋ばな』じゃありませんからね。」
少し、芝居がかった声の秋吉が音無の話を誘う。
私は、秋吉の声を聞きながら、彼と働いた日々を思い出す。
秋吉は言った。
これがメジャーになる最後のチャンスだと。
彼と働いたり、夢を聞いて過ごした日々が、モニターごしの秋吉のおどけた表情にまとわりついて、なんだか、身内のように身がつまされる。
苦労と努力を惜しまなかった彼が、成功して欲しいと心から思う。
私が彼にしてあげられる事。
それはモニターごしに応援する事ではなく、
あの若宮夫人の失踪の解明だ。
新しい手がかりを見つければ、『シルク』の話題作りになるかもしれない。
ばずる?えんじょう?
とにかく、一発ドカーンと、宣伝の花火を打ち上げてあげられるのだ。
ファイルを開き、部屋に残る形跡を探す。
普通の視点…
警察や
身内や友人、
雑誌やインターネットの世論は出尽くしたに違いない。
私が、この短い時間で探すとしたら
他の人達が持てない視点、生物学者としての…
「ふふっ。恋する気持ちを忘れてしまったら、小説なんて書けないのではないかな?
特に、ホラー小説は、爆発的な感情を何かに向けるところから始まる。
憎しみも、執着も…裏を返せば、何かに向けられた情愛の形なのだから。
愛しいと思う女の、心の中に残りたい、共に時を刻みたい…その気持ちは、恋情を抱くものには甘美な夢であり、
その愛を向けられた人物が、愛情を感じなければ、寄生虫に巣食われる様な不快感だけが残るのだろう。
お互いが、それを望めば恋愛小説と、読者は認識し、どちらかが拒否反応をおこした時点で、その物語はホラーと呼ばれることになる。
秋吉くん。君はまだ分かってないようだ。
出版社や読者の一部は『シルク』をホラージャンルと言うけれど、これは純愛の物語なのだよ。
普通の人の視点を追いかけていたら、人を惹き付ける作品にはならないよ。
君は修二郎として、恋する男を演じてくれないと…。
私が、そう心がけたように。」
音無の話し声が、粘りつくビオラの曲のように、耳に入り込む。
恋? 端からは分からなくても、本人には狂おしい恋情…。
私の心にこの言葉が引っ掛かる。
漠然とした気持ちに押されて、私は7年前の若葉溶生の記事を調べる。
ネットに残る情報によると、雅苗夫人との結婚生活は、半年くらいで冷えた関係になったらしい。
溶生は、飲み歩き浮気をしたと、当時、週刊誌が記事にしていた。
結婚生活の破綻の原因は、格差婚。
当時、落ち目になりかけていた溶生と、国立大の助教授の資産家の娘。
財産目当てと騒がれて、プライドの高い溶生の気持ちが冷めていったとか、真しやかに書いてある。
これを全て信じる気持ちにはならないが、
確かに、「ひも」の様な意味合いで、溶生が「パラサイト」と、陰口を叩かれていたのは記憶している。
そんな事を世間の人達に言われたら、私だってうれしくはない。
やはり、僻みっぽくなったり、
妻をさけたりするかもしれない。
では、避けられた妻の側はどうするだろう?
はたから見れば、ホラーでも、本人には純愛。
音無の台詞がうすら寒く部屋の空気を重くした。