84話恋愛小説家
「ええっと…、ここでスペシャル、げ、ゲストですか?
え?本当に?音無先生が来るんですか!?」
混乱する頭の中に、困惑したような秋吉の声が飛び込んできた。
「えっ、ああ…、音声だけで?
これ、スピーカーなんですか…。
あ、すいません。
俺も、この段取り聞いてなくて…。
では、気を取り直して、来期、俺が主役のアニメ『シルク』の作者、音無 不比等先生が、緊急参戦してくださるそうです。
先生は、主にWeb小説で活躍中ですが、先生のホラーは、ネットでも都市伝説化するほどなんですよ。」
秋吉の声がひきつって聞こえた。
秋吉は、『シルク』の声優のオーディションで、作者である音無に、随分と酷いイタズラをされたようで、いまだに苦手意識が消えないようだ。
私は、そんな秋吉の事が気にかかってモニターに近づいた。
悪質な悪戯が好きな、音無先生の声を御拝聴したいと言う、少し、野次馬的な好奇心も手伝って、私は、モニターに集中する。
「久しぶりだね、秋吉くん。元気にしていたかな?
まずは、自己紹介をしなくてはね。」
音無の声は、鐘の音のように後頭部に響く。
気になって、作業の手が止まる。
音無は、更に続けた。
「私は、恋愛小説を中心に書いているインターネットの兼業作家、音無 不比等。
秋吉くんが言うほど、恐怖表現は得意な方ではありません。どうぞ、宜しく。」
誰に言い訳をしてるのだろう?
私は、音無と言う作家が、誰か、個人に向けて話しているように聞こえて困惑した。
「それは…スイマセン。」
秋吉の謝罪を聞きながら、私は苦笑した。
恋愛小説…
音無不比等と言うWeb作家先生の肩書きには合わない気がした。
秋吉の出演作と言う事で購入した書籍を拝読する限り、小説『シルク』を恋愛小説と言い切る神経に少し驚いた。
『シルク』は、植物人間となった妻に学者の主人公修二郎の一方的な愛情が、いびつに注がれている。
それは確かに魅力ある設定ではあるが、普通の感覚の人間には、それを恋愛とは認識できないエピソードで綴られている。
主人公の男は、自分の身勝手のために、まだ息のある妻に、新種の虫の卵を埋め込むのだ。
そうすることで、この虫が、内部から宿主の生態を守ろうとするのだ。
愛しい妻の姿だけでも、虫が成虫になるまでは、みつめていられる、
しかし、主人公は世話をして行くうちに、自分が愛している相手がわからなくなるのだ。
それは妻なのか、寄生虫なのか…そうして、淡々と彼女の変化を観察する。
学者の目線で事細かく。
こんな傲慢があるだろうか?
しかし、怒りながらも読まされる、なにか惹き付ける物語ではあるのだが、
これを恋愛小説と言い切るとは!
私は、見たことのない音無と言う人物に軽い嫌悪感を覚えたが、
次の瞬間、秋吉の言葉を思い出す。
インターネットで人気者になるには、わざと相手の感情を逆撫でする行為
「釣る」と言う事をするのだそうだ。
ここで、感情的になるのは、新人の青二才だと馬鹿にされるだけなのだそうだ。
英国紳士のような冷静で理論的な返しを求められる。
秋吉のネットの説明を思い出す。
もう少しで、私も「釣られる」ところだったのか。
私は苦笑して冷めたコーヒーを口にした。