7 話 前兆(オーメン)*
外は、心地よい日射しが降り注ぎ穏やかな初夏の風が私の頬を撫でて行く。
若葉さんが同乗するので私は助手席に座り、
運転席の長山が思い付いたように若葉溶生の曲をかけてくれた。
それは、私が知らない新しい若葉溶生の曲であり、
長山達には懐かしい学生時代の曲のようだった。
ここからは一般道を走り、一時、田舎暮らしを始めた若葉溶生を迎えにゆく。
若葉のゲーム曲は90年代初頭に流行した怪奇ものや冒険もので、
ゲーム製作に金のかけられた時代を思わせる上品な音が響く。
電子音の曲については、私は良し悪し分からなかったが、
オーケストラで演奏されたものは重厚感の中にアニメ映画の期待感のような
軽い高揚感を刺激する冒険曲があり、
それは、この歳で初めて聴いた私にも新曲として受け入れられる、
しっかりとした仕上がりを感じられた。
が、次の曲がかかると長山と秋吉の様子が変わる。
いや、悪い出来ではない。
それはビオラのソロ演奏で、陰鬱でミステリアスな雰囲気を含ませた美しい曲だ。
この曲は当時人気のあった怪奇もののゲーム用に作られた作品なのだそうだ。
この曲に暗い雰囲気をまとわせたのは、ゲームの内容だけではない。
この作品の発表後におこった事件の為なのだ。
「この曲を聞くと…思い出しますよね。
販売停止をくらった、あのゲームの事。
ああ、若葉さん本当に薬なんかに手をだしたのかな?」
長山は嫌な思い出を語るように言葉を投げつけるように語る。
「え?でも、あれは結局、無罪でしたよね?
確か、医師に処方された薬をお酒で飲んだからとか。風邪薬か何かでしたっけ?
当時の 薬の飲み合わせの健康番組でやってましたね。
その後販売されましたね。 叔父さん確か持ってますよ。そのゲーム。」
秋吉は軽く受け答えをする。
この二人の表情に、件のゲームへの熱量の違いが目に見えるようだ。
検索結果を信用するなら、長山が話している販売停止になりかけたゲームは、
21年前に販売された『アポカリプス』世紀末をモチーフにした吸血鬼もので、
奥さんが病気で長くないことを知った男が、妻を吸血鬼として復活させる話だ。
90年代、溶生は、そのゲーム曲のイメージソングを担当し、
事務所所有のマンションで作曲中に急に裸に近い格好で外に飛び出し、
体に虫が這い回ると体を掻きむしっているところを病院へと運ばれた。
その様子がコカインが引き起こす寄生虫妄想を想像させたために、
警察が事情聴取をしたりして、騒ぎが大きくなったらしい。
なんとなく、ゲーム『アポカリプス』が、秋吉が次回初めての主役をつとめる
深夜アニメ『シルク』の内容を思い起こさせた。
多分、若葉溶生もそうなのかもしれない。
そう考えながら、次には若葉溶生の人生を、秋吉相太の境遇に重ねてみる。
秋吉は声優志望の役者だが、なかなか芽が出ず単発派遣で食いつないでいたのだ。
それが、『シルク』のオーディションで合格し、晴れて芸能人として成り上がった、と、昔の芸能界ほど明暗はないみたいだが、秋吉の仕事が増えたようだった。
二人とも幸せになって欲しい。
私は、心からそう思った。
これから製作する番組は、番組の宣伝も兼ねているらしい。
アニメの音楽は、同じく若葉溶生さんが手掛ける事になっていて、
それは、業界通でなくても
検索下手な私ですら、『シルク』と打ち込めば、つらつらと表示される内容だ。
下の方へとスクロールすると、まるで地獄の最下層へと落ちるように、
オカルトじみた、脚色された不気味な話が増えてゆく。
薬中…再燃
殺人疑惑
謎の失踪…
それらの言葉と共に、インターネットの鶫達が、何やら不穏なことを語っていた。
鶫は西洋の詭弁家の悪魔カイムの姿とされている。
悪魔を思わせるような、もっともらしく興味を引くような、
華やかな疑惑がアクセス数が欲しいと叫んでいる。
ゲーム『アポカリプス』とは世紀末後の計画を伝えるための黙示録で、
7年前の事件は、その前兆である。
そんな記事を見つけて私は呆れた。
呆れながらもスマートフォンを操作していて私は見知らぬ履歴を見つけた。
どうも今朝、私は知らない間に動画サイトにアクセスしていたようだった。
確かに、たまに寝落ちしたりするけど、こんな誤作動するかな?
私は、その履歴に不信感を感じた。
今日の仕事のために、しっかりと準備して早寝をしていたのだ。
昨日は動画なんて見ていない。
しかし、そんな事は履歴のタイトルを見た途端、どうでも良くなった。
[オーメン]聖マラキの予言成就か!?7年前の若葉家の失踪事件と
100年目によみがえる呪いの歌が黙示録のラッパを鳴らす!!!
はぁ?
仰々しいタイトルを見つめながら私は呆れたが、
その後から朝の夢がよみがえり不安にさせる。
夢の中で温室に埋められていたあの指は…雅苗のものなのだろうか?
私は、雅苗の指に止まったアオムシサムライマユコバチを思い出していた。
寄生バチは生き餌を好むのだ。と、するなら彼女は生き埋めにされたのだろうか?
こんなものを寝ながら聞いていたから、あんな夢を見たのか。
私は、短い動画を確認しながら内心少し安心した。
ムシの知らせ…なんて言葉があるが、ここに来てゲストが溶生さんだなんて、
なんだか壮大なドッキリの餌食にされたような気持ちになっていた。
が、たまたま、何かにスマホが当たって誤作動したのだろう。それを聴いたからあんな夢を見たのだ。
この動画によると、なんでも来年、2020年はインド歴の終わりで人類が滅亡するのだそうだ。
4月ノートルダム大聖堂が火災に見舞われた衝撃で、またノストラダムスと滅亡論がネットに沸きだしているのだから仕方ない。
それにしても…溶生さんをそんな話に巻き込まなくても。
私はそれについては動画の主に少し不満を言いたくなる。確かに、アニメの主題歌で話題になるのは仕方がないが、人類滅亡とは!
そんな事を思って、その時、気がついた。
この動画には、虫の話なんて登場してないことに。
私の脳裏に、朝の夢の大地から生えてきたような白い女の指がフラッシュバックする。
「池上くん。法医昆虫学って知ってるかい?」
遠い青春時代の思い出から、細身の神経質そうな少年が私に問いかけてくる。
北城だ。高校の部活動でで知り合った彼とは高校が違うので殆ど面と向かって会ったことはない。
が、彼とは虫の話で盛り上がり、個人的に手紙のやり取りや電話をした事を思い出す。
法医昆虫学…
よく、海外の刑事物で登場するのだが、ハエなど死体に産卵する虫の成長具合で死亡時刻や場所を特定する学問だ。
が、残念な事に日本ではあまり発達はしなかった。
アメリカなどと違い、日本では同じ種類のハエでも土地で発育や生息場所が違い、
事件の証拠とするには難しいのだ。
「池上くん、僕はアメリカに留学するよ。あっちは色々面白い発見が出来そうだからね。」
北城はそう言って笑った。彼は海の向こうで法医昆虫学者になったのだろうか?
「池上さん、なに見てるんですか…」
秋吉が突然後部席から私のスマホを取り上げて画面に表示された内容に絶句する。
「池上さんも気にしてるんですか?あの噂。」
はしゃいでいた秋吉が真顔で私を見つめた。