49話 リハーサル
「と、言うわけで今日、これから、俺と若葉さんで夜通し怪談をするわけですね。」
秋吉は、軽快にカメラに語りかける。リハーサルが始まったようだ。
二階からモニターでみている私は、なんだか、息子の学芸会でも見ているような、素に戻ったような恥ずかしさを感じながら、しばらくモニターを見つめていた。
が、遊びに来たわけではない。
私は、奥さんの…雅苗かなえさんの荷物の整理を長山と若葉からも依頼されたのだ。
深夜割り増しの時給分の成果をだなさければ。
私は、インスタントコーヒーを作りながら、さっき取り出したファイルを開き直す。
私は、製薬会社で害虫の駆除剤の研究をしていたが、
雅苗さんは、私とは逆に益虫を使った、農薬を減らす農業の研究をしていたようだ。
特に、キャベツなどの葉もの野菜を食い荒らす幼虫を餌にする、寄生バチについて研究していたようだ。
几帳面な彼女の直筆のファイルを見つめながら、なぜ、若葉わかば溶生ときおと結婚したのか、不思議な気がした。
「私と彼女は、アーティストとファンの関係で、
彼女が熱心に私にアプローチしてきたんですよ。」
昔、何かの番組の中で、若葉溶生が、昔を懐かしみながら、そんな話をしていた事を思い出した。
なんとなく、スマホで検索をした。
今回のミラクル復帰の記事が、溶生の文字に召喚される。
「出会いから、彼女の強引なアプローチで始まった結婚生活だから、こんな風になるまでは、どこか、彼女から離れる事が格好いいと思っていました。
でも、今は、妻に会いたいです。
例え、今、どんな姿になっていたとしても……。」
溶生のコメントに、不安を感じた。
昼にみた、白昼夢の草柳レイが、私の前頭葉から刺激的な笑顔で微笑みかけてきた。
溶生さんはレイをどう思っているのだろう?
「7年目の今日、百物語で、彼女を呼び出そうと、そう考えているわけですね。」
長山の温室の説明が、妙に不気味に心に響く。
行方不明の奥さんを、死人と仮定して、テレビで百物語で呼び出すなんて、馬鹿げている。
下手をすれば、この時代、不謹慎だと炎上しかねない番組だと私は思った。
「はい。雅苗さんが夢でそう言ったらしいですよ。
この日、この家で、溶生さんにまた会いたいと。
あのショクダイオオコンニャクの見事な花を、二人でみたいと。
あの人は、雅苗さんが今日、会いに来てくれると確信していますよ。」
話終わると長山は、雅苗さんを思い出してるような、優しい笑顔になりながらこう続けた。
「それが本当なら…私も、会いたいですよ。」
「そうですか。」
秋吉は長山の話を丁寧に聞き終わると、一度、間を置いて、会話の相手を視聴者へと変更し、リハーサルを続ける。
「動画をご覧の皆様で、若葉さんの奥さまを目撃した方は、今、画面に映る電話番号までご連絡お願いします。」
秋吉は真剣な表情でカメラを見つめる。
この瞬間、番組に雅苗さんの生への希望が息づいてくる。
が、多分、長山は、死を仮定して番組を構成しているのだと思う。
この、一見、馬鹿げたような企画で7年前の現場を借り受け、
その舞台を使って、事件当日を再現しようと考えているのだと思う。
私に雅苗さんの資料を調べさせて、当日の奥さんのまだ、知られていない行動を探す事を期待して。
だから、番組は生放送ではなく収録に。
お蔵入りを想定して、出来るだけコストを削っているようにも感じた。
お蔵入りと言っても、
昭和の人気歌手の犯罪告白を独占で、こんなドラマティックに収録できたなら、それは、別の意味でひと財産作れる逆転映像になる可能性はゼロではない。
私は、随分と疑り深く、人を見ている自分に気がついて苦笑にがわらいする。
失踪宣告が通れば、奥さんの財産5億円を溶生ときおが相続するなどと、邪推じゃすいな話を聞いたからかもしれない。
気を取り直して、ファイルを整理する。
基本、当時のまま綺麗に整頓された部屋を、私が片付ける必要はなかった。
研究と言っても、普通にここの温室の虫の監察などのデーターがあるだけで、取り立てて、珍しい発見はなかった。
私は片付けのテーマを7年、失踪宣告を前にして、生物学と無縁の血縁者が、奥さんの研究資料を処分する為の整理を考えた。
出来るだけ、捨てずに済むような処分の仕方にしたいな。
私は、ありきたりな日常の小さな虫の生態を書き留めたファイルをみながら思う。
一般人は、ノーベル賞など、華やかな発見や研究に気が行きがちだが、
こうした、何気ない日々の変化を、同じ条件で几帳面に記録する人物がいてこそ、科学や文化は花開くのだと思うのだ。
彼女のファイルには、画像時代には懐かしい、綺麗で精密な蜂のスケッチが数点載せられている。
アオムシサムライコマユバチ…
この、漫画チックなネーミングの蜂は、モンシロ蝶の幼虫に寄生する。
生きている青虫に麻酔をかけ、動きが散漫となったところで、青虫の体に卵を産み付けるのだ。
青虫には恐怖の存在であるこの虫は、
キャベツなどの農産物を青虫に食い荒らす青虫の駆除と言う点では益虫だ。
雅苗さんは、この小さな虫のスケッチを数点残していて、他にも沢山の昆虫について、細かく観察したあとがある。
雅苗さんのスケッチには、自然や生物への好奇心や彼女なりの愛がこもっている感じがした。
この、小さな温室の生態系のデーターも、保存することで後の…科学に…。
私は、ぼんやりと科学について考えながら見ていたファイルの手を止めた。
ここに来て、やっと雅苗さんの行動の違和感を感じたからだ。
子供の頃から、自分の周りの自然や虫を観察したり、記録するのが好きだったと予想される人物が、
7年に一度しか咲かない、絶滅危惧種の花の観察を怠ったりするだろうか?
死臭を思わせるような、そんな花を、
自分を疎うとんじるような旦那と二人で観察したりするだろうか?
私は、弾かれたようにファイルを広げて散らかした。
無いのだ。
ショクダイオオコンニャクのデータが1つも。
私は、昼間見たあの黙示録の天使の様な、不気味な花の蕾を思いだし、説明できない不安に襲われた。
「ええっと…、ここでスペシャル、げ、ゲストですか?
え?本当に?音無先生が来るんですか!?」
混乱する頭の中に、困惑したような秋吉の声が飛び込んできた。
「あっ、ああ…、音声だけで?
これ、スピーカーなんですか…。
秋吉のすっとんきょうな声に集中力が途切れ、私は、モニターをみた。