4話 虫学者*
「そんな嫌な顔するなよ……。 確かに、寄生バチは、生きてる生物に産卵して宿主を死なない程度に食い尽くして行くけど…」
「いや、キモいです。気づかないうちに卵を産み付けられ食われるでしょ?」
秋吉は眉を寄せて形の良い額を歪めた。前髪が軽く乱れるのを彼は整える。
少し長い前髪を真ん中で分けるこの髪型は額の形の良い人間が似合う。
私は無意識に自分の短い髪に触れ、
ジャン・アンリ・ファーブルの帽子に憧れた昔を思い出す。
彼の額も良い形をしていた。秀でた額は羨ましい。
「まあ…、そんな顔しなさんな。折角の美人が台無しだ。」
秋吉が修二郎を演じるときは、帽子が似合うだろうなどとボンヤリ考える。
それから、不満そうな秋吉の顔に慌てて話を続ける。
「昆虫学者の役なら、精一杯生きる五分の魂を愛さなきゃダメだ。」
「ごぶの魂?」
秋吉は、わからないと眉を寄せ、私は世代を感じて苦笑した。
「『一寸の虫にも五分の魂』って、昔の諺だよ。
まあ、ヒメコバチは一寸も無いんだけど、」
私は、一寸にも満たない、尾のような美しくも長い卵官を持つ蜂を思う。
そして、ハッとして秋吉を見た。
寄生バチの話なんて、陶酔した顔で話したりしてなかったろうな?
私は、秋吉の表情にその答えを探りながら、予想外の真剣な顔に驚いた。
「ああ、話、続けてください。 凄く勉強になります。」
「え?そう言われても、だなぁ。」
真剣な顔でガン見されて照れる。
照れながら、それでも、この若い役者に好感を抱く。
彼は何年も下積み生活をしていた声優志望で、
アニメ『シルク』のオーディションに落選したら田舎に帰ろうと考えていた。
そんな中、射止めた主役なのだ。
主演を射止めたと言っても、これで終わりではない。
上手く演じて多くの評価とファン、新しい仕事を掴まなければ行けないのだ。
魅力的な虫学者……。
私は、ふと、若葉雅苗を思い出した。
「確かに、寄生バチは宿主に産卵し、生きながら食い尽くす不気味な一面がある。が、他方、つまり、人間の視点でみると、彼らは益虫でもあるんだ。」
私は、若葉雅苗のマユコバチの発表を思い出した。
自信に満ちて、晴れやかなヒバリのような声を講堂に響かせながら、キャベツを食い荒らすモンシロチョウの幼虫に卵を産み付けるアオムシサムライヒメコバチについて語っていた。
「益虫…つまり、農作物を食い荒らす害虫を駆除してくれる…天敵ですね。」
秋吉は、私に、と言うより、修二郎として一般人に分かりやすい説明かを自答するように言う。
「近年は農薬や殺虫剤の量を減らしたいと考える生産者や消費者が増えたからね。
アオムシサムライヒメコバチは、農家の人には大切なキャベツをアオムシから守る強い味方でもあるのさ。
80年代、食欲旺盛のアメリカシロヒトリから樹木を守り、ひいては養蚕家の生活を守ったのも、彼ら、寄生バチかもしれないんだ。
アオムシや毛虫は一匹は小さいけれど、大量発生した場合、人間や、町の産業まで脅かす存在になるのだからね。
寄生バチは、ビックリするほど多種に渡って寄生するけど、まだ、分からない事も沢山あるんだよ。」
私は、興味深そうに昆虫の話を聞いてくれる若者の視線に気をよくしてつい、独壇場で長話をしてしまった事に気がついた。
「すまん。つい、一人で語ってしまった。」
私が恥ずかしくなって呟くと
「え?別にいいですよ。色々、勉強になりましたし、
それに、なんだか、透也さんのスーツ姿、癒されますから。そのまま、今日一日仕事してくださいよ。」
秋吉は、そんな事を言って私をからかう。
「癒しって…。それにしても、どんなことをすれば良いんだ?」
私は、今日の仕事に不安になってきた。
「ああ、そんなに心配しなくても、もう少ししたら高崎につきますから。
そこで、今回の仕事の説明をしますよ。
ファミレスでモーニングでも食べながら打ち合わせをしましょう。
今回はなんと、朝食も経費で出して良いって言われてるんですよ…。」
今まで無言だった長山が親しげに話しかけてきた。