31話
午後になり、私は頼まれた仕事を果たすために温室にむかう。
その温室は、建物と同期に建造されたもので、19世紀の上流階級の社交場のを思わせる優雅な外装をしていた。
彫刻の施されたガラス枠は、西洋風にアレンジされた登り竜で、屋敷の裏庭の2畳ほどのガラス張りの温室に和モダンな印象を与えていた。
それは、この温室が、当初の予定では、上流階級の方々の目の保養の為に作られた事を控えめに伝えている。
後に、この温室は、研究目的の動植物園で埋まり、現在は、管理しやすいシンプルな植物と、雅苗の忘れ形見のようなショクダイオオコンニャクのが人知れず生息する場所となっていた。
私は、屋敷の裏側のベンチで、小さな畑を見つめながら、雅苗が失踪前に何を研究していたのかを考えていた。
私は、殺虫剤や忌避材について研究していたが、雅苗は、薬ではなく、益虫を使った害虫の駆除について研究に携わっていた。
と、言っても、自分の研究より、他の教授のアシストが多かったようだが、結婚してからは、自分の研究時間を時間を増やしていたようだった。
それらについての資料は、私的なものらしく、ネットなどでは検索は出来なかった。
部屋の中には、勿論、スカラベのミイラなどあるはずもなく、屋敷の主な部分は、長山が探し尽くしているに違いない。
私は、胸ポケットから例のしおりを取り出した。
2011年と書いてあるのだから、長山は、このコラージュの意味を知っているかもしれない。
聖ヨハネから繋がりだしたノストラダムスについても気になる。
そして、素数ゼミ。
なぜ、北米のセミをしおりのコラージュに使ったのか?
あまりにも、雑然としていて雅苗の考えが良くわからなかった。
もしかしたら、女性特有の『かわいい』と言う感覚で、無意味に作られたものかもしれない。
プロバンスでは、セミは幸運の象徴なのだ。
その関係で、旅先でたまたま誰かにもらったのかもしれない。
「すいません、お待たせしましたか?」
長山にそう言われて私はしおりをポケットに入れて立ち上がる。
「いえ、大丈夫です。で、何をしましょうか?」
私は、頭を仕事モードに戻す。
確か、開花間近のショクダイオオコンニャクにカメラを接地するはずだ。
「そんなに張り切らなくても、気楽にしてください。」
と、長山は軽く笑って、我々は連れだって温室へと向かった。
尊徳先生をはじめ、生物学者が多い北宮家の屋敷の温室には珍しい花が栽培されている。
それの撮影もするらしい。
こちらはローカル局とはいえ、地上波の仕事なので気を使うと長山は嬉しそうにぼやいていた。
撮影するのはショクダイオオコンニャクと呼ばれる、ラフレイシアと並んで巨大な花を咲かせる植物だ。
スマトラ島に自生する絶滅危惧種で、研究目的に大昔に株分けされ、特別に移植されたものらしかった。
ショクダイオオコンニャクは、花のガクなどすべてを含めると人の身長をゆうに越してしまい、そそり立つ蕾つぼみは3m以上の高さを誇るものもあるらしい。
この温室の花は、そこまでは大きくはなかったが、それでも2m近くはある。
「ショクダイオオコンニャク…通称死体花。
7年に一度、開花するんですよね。全てがそうでは無いらしいのですが、この株は、ほぼ7年で咲くのです。
7年前…。
雅苗さんが失踪したとしから、7年が過ぎたのですね。
当時、死体花の名前の通り物凄い腐臭を放ち、事件の日も、その臭いのせいで大騒ぎになりました。」
長山は淡々とカメラの設置をしながら私に話しかける。
私は朝の不気味な夢を思い出していた。
死体花などと不気味な呼び方をされたその花は特大の陶器の鉢の中に根をおろしていた。
私はそれを見て、少し恥ずかしさを覚えながら安心していた。
さすがに、この鉢には成人女性は入らない。
当たり前だが、私の朝の夢に何の意味も無かったのだ。私は奇妙な安心感を感じた。
そして、心無い人間に死体花などと呼ばれたこの花が可哀想に思えてきた。
「それは、確かに大変だったでしょうね。」
私は翼をたたみ天に向かって颯爽と立ち尽くす老練な天使のような、豪快なつぼみを見つめて長山に話しかけた。
「死体花とは、この花の放つ強烈な匂いが原因です。でも、人には悪臭でも、
この花の受粉を助けてくれる昆虫が好きな匂いを花が選んだだけなのですよね。
花からしてみれば人間にこんな風に言われるのは、いい迷惑でしょうね。
絶滅危惧種なのですから、沢山の種族がいて、貪欲に自分を探して、どんなに過酷な環境下でも、やってきてくれる昆虫の嗜好に合わせるのは戦略ですよ。
トンボや蝶は綺麗ですが、山頂や砂漠の様な場所ならハエの方が見つけられますからね。
植物だって、自分の生息域に来もしない昆虫の気を引いても種の保存は出来ませんから。」
私はそう言ってもう一度、この珍しい蕾を見上げた。
「私は嫌ですね。繁殖のために、こんな進化をするなんて。
池上さんはどうですか?」
「え?」
長山に突拍子のない質問をされて私は驚いた。
確かに私は結婚してないし、女性との付き合いも無いが、なにも、死体花を引き合いにそんな事を言うことは無いじゃないか。
私の気持ちに気がついて、長山が慌てて言い訳を始めた。
「いえ、池上さん個人の話ではなくて……私も、独身ですし。いい歳ですから。自分の好きな人物を追い続けるべきか、
自分を好きになってくれる人物のために努力するべきか。
生き物に興味を持つと、人間というものの行動や感情が奇妙に感じる時があるんですよ。
私は、好きなものを追い続けて生きたいと思うのです。
それで独身のまま死んでもかまわないと、そんな風に考えてしまうのです。
でも、それは、生物としては不可解感情ですよね、
だって、生物は命を紡ぐのが一番の欲求じゃないですか。
本来なら、もう、いいところで妥協して結婚するべきではないいかと。」
そう言った長山を私は「若いな」と思った。
自分の話で結婚とかを聞かれるのは、嫌な気持ちになる時があるが、
人の相談の場合は、その情熱にいたたまれなさを感じたりするんだと気がついた。
どう答えるべきなのだろう?やはり、生物学的な答えを期待されているのだろうか?
この場合、どの昆虫を例えに使えば良いのだろうか?
「焦らなくて……いいんじゃないかな?」
思わず口をついて出た言葉に、自分で驚いた。
「焦らずに…ですか。」
長山も毒を抜かれたような、気のない返事を返してきた。
「確かに…種の保存は、生物の一番の欲求だけれど、だからって、なんでも良いから繁殖すれば良いって話でもないだろう?
ほら、そこの蜜蜂…
彼女たち働き蜂は繁殖しないよ。
繁殖は女王蜂にまかせて、産卵官は針へと変わったけれど、だからと言って、ほぼ、巣に籠って産卵している女王より不幸と言うわけでもないじゃないか。」
私は、勇気づけるように言ってみたが、それは逆効果だった。
長山は私を見て、あきれた顔で、
「蜜蜂…ですか。蜜蜂のオスは、交尾のために生まれて、それが済むと死んでしまうのですよね。
交尾しなくても…繁殖期を過ぎたら、働き蜂に追い出されて死んでしまうわけですよね…。」
と言い、
しまった(°∇°;)
と、動揺する私の顔を見て笑いだした。
「す、すいません。」
私は混乱しながら呟き、長山はそんな私を見て、穏やかな気持ちを取り戻したようにリラックスした顔になる。
「すいません。なんだか、変な事を言ってしまって……。 」
長山は恐縮したようにそう言って、一度、言葉を止めて私を見た。
私は長山の瞳に、良くわからない不安の影を見つけて言葉が出てこなかった。
「最近…何か、良くわからない衝動的な気持ちになる事があって、すいませんでした。
7年前、雅苗さんにそんな話をされましてね。
彼女、子供が出来ないことを気にしていましたから。」
長山は私に謝ると仕事の続きをはじめた。
私は、そんな長山を見つめながら、長山は雅苗さんが好きなのではないかと漠然とそう思った。
照れ隠しなのか、急に忙しく働きだした長山を見て、私も不思議な気持ちになる。
なぜ、長山が雅苗に恋をしているなんて考えたのか疑問に感じたのだ。
雅苗は長山より年上で、30代後半になると思う。
恋愛に年齢は関係ないと言うけれど、そう言ったことではなく、この場合、私のいつもの思考との違和感が問題なのだ。
いつもの私ならば、歳が離れている幼馴染みの雅苗と長山の関係を姉弟と表現しても、恋愛関係とは考えない気がしたからだ。
なぜ、私は長山が雅苗に恋をしたなんて思ってしまったのだろう?
一瞬、何か、胸を甘くつくような香りを感じて私は、あの巨大なつぼみの方を見た。
動く事の出来ない植物は、生存戦略の為に、様々な工夫を自らの体に施した。
それは、種子を広範囲に巻いてもらうための甘い果実であり、
動物を死に至らしめる毒の成分でもある。
そして、自らの繁殖を助けてもらう為に、特定の虫を惹き付ける匂いをも作り出した。
生存のために人間を狂わせるフェロモンを作り出す植物……
私は不可解おかしな、もの思いにとりつかれた事に気がついて首を振ってその考えを振り払う。
馬鹿馬鹿しい。
大体、植物が長山と雅苗の仲を取り持つ必要が何処にあると言うのだろう?
私はショクダイオオコンニャクの蕾を見上げて苦笑した。
そして、長山に頼まれた草むしりに気持ちを戻す。
読んでくれてありがとう。
もう、いい加減、終わりたいのですが、次から次へと問題が起こって混乱します。
本当に、『24』じゃないんだから( ;∀;)やめてくれ、と叫びたい。
でも、主人公の池上の方が、私に文句を言いたいんでしょうね。