187話三つ巴
「なんで……私の為に動いてくれないの?」
うっすらと覚醒する意識の中で、草柳レイが叫んでいた。
ついでに、揺すられている。
彼女はヒステリックに叫びながら、結構、乱暴に私を揺らしていたが、若い娘の細い腕で揺するので、その乱暴さすら、なんだか、心地よく感じる自分がいた。
このまま…死んでしまうのもいいかもしれない……
あまりの心地よさに、ふやけた考えが頭を埋め尽くす。
が、そんな私の極楽を北川の野太い声が吹き飛ばした。
北川さん、生きていたんだ!
私は、温室の砂利道から上半身をはねあげる。
「き、北川さんっ!」
私は叫んだ。が、寝起きなのでなんとも、格好のつかない間抜けな声になったが。
北川は、私の声に反応してニヒルに笑った…。
その顔に、私は何か、よくわからない違和感を感じていた。
何で…私は、彼を北川だと思ったのだろう?
人の認識が苦手な私が、寝ぼけながら、それでも、声だけでそう感じた、その理由が、私を不安にする。
彼は、確かに、北川だが、しかし、さっきの北川と何かが違って感じた。
いや、北川と言うより、一般人…と言うカテゴリーから外れた存在のような気がした。
彼を見ながら、私は彼の存在にのまれて動けなかった。
北川は、硬直する私を気にせずに近づき、私の近くで起き上がろうとするレイを一瞥した。
(°∇°;)もしかして、私が、いきなり起き上がったから、私にまたがっていた草柳さんが転んだ…の?
ふいに心配になる私の顔を北川は、ごつい両手で押さえ込む。
真剣な顔で私の瞼をこじ開けて、ペンライトで入念に観察する。
ごつい…と感じたが、それは女と比べたからで、男のものだと思うと、とても手入れが行き届いた、形のよい手だと思った。
「それは…私の獲物よ。」
草柳レイは、立ち上がりながら不機嫌そうに北川に言葉を吐き捨てる。
え?(°°;)
獲物…なんて言われた事や、さっきまでの穏やかな性格と真逆な、レイのドスの効いたセリフに息を飲んだ。
が、北川は気にすることなく、私の目をペンライトを当てながら丁寧に調べ、それから、無邪気に私に微笑み、こう言った。
「君は、大丈夫。」と。
「本当に大丈夫かしら?」
草柳レイは、獲物を奪われた野良猫のように、北川から少し距離を置いて威嚇をする。
北川はその様子を悲しげに見つめていた。
レイは、警戒を解かずに北川を見つめていた。
「ああ、少なくとも…君は無力だよ。」
北川は悲しそうにレイを見た。
レイは、軽く首をかしげて北川を見た。
そんなレイに近づいて、北川はこう聞いた。
「昆虫ポルックウイルスをしってるかな?」
昆虫ポルックウイルス(°°;)
私は、この話の先が見えた気がした。
昆虫ポルックウイルス…
これもまた、昆虫の幼虫に寄生する。
が、彼らが我々研究者に注目されているのは、味方としてである。
寄生蜂と同じ種に寄生するポルックウイルスは、寄生バチが、寄生する前に殺してしまうタンパク質を生成する。
自分達の寄生のために、宿主を守るのだ。
まあ…宿主からしてみれば、どちらにしても、自分を利用する、寄生虫には違いないのだが。
「それがどうしたの?彼らの遺伝コードなんて、とっくの昔に突破したわ。」
なんだか…ゲームの話のようだが、そうではない。
ポルックウイルスが寄生バチを除去するシステムを、東京農工大学をはじめとして、世界の大学と共同研究が始まっている。
しかし…突破…してるのか…
私は、研究途中の先生達を思って切なくなる。
こんな事が無かったら、北宮雅苗もこんなプロジェクトに参加していたかもしれない。
まあ、人間にも
蚕などを寄生蜂から守りたい派と
青虫から農作物を守りたい派で意見は別れるのだろうが。
「いや、ポルックウイルスは、例え話だよ。
突破…君の例えを借りるなら、君たちも『突破』されたんだよ。
引き込もるにしても、三千年はあまりにも長かったね。魚座に春分点が移る頃、新たな驚異に見舞われて、人類はバージョンアップをしたのだよ。」
北川は、まるで自分が見てきたように自信満々に0世紀の話をしていた。
「バージョンアップ?」
レイは、皮肉な笑いと共に言った。
「ああ、新たな驚異が世界を包んだ。」
北川の言葉に、頭の中で知らない記憶が流れて行く。
それは、太古のウイルスと宿主の人間と、新たな寄生主の物語であった。