183話恐怖の大王
「池上先生!寝てる場合じゃありません。」
雅苗の声に正気を取り戻す。
そう、こんなところで落ち込んでも仕方がない。
これが妄想だろうが、臨死体験だろうが、最後にものを言うのは、根性と気合い。
そうだ、そうなんだ。
と、私が気持ちを持ち直す頃、雅苗が私を見つめて話始めた。
「人は忘れる動物です。でも、思い出す事も出来るのです。
なぜなら、記憶の細胞は、不足の事態が起こらない限り、消えることはないからです。」
雅苗は、私を見つめた。
何が言いたいのか…理解が出来なかった。
沈黙を続ける私に、雅苗は問いかける。
「先生…この温室に、見覚えはありませんか?」
「え…私は、ここは…初めて………。」
と、発した瞬間、違和感が電撃のように脳を貫く。
いや、違う…私は、この温室を知っている……
不安になった。
知らない記憶が、頭をめぐる。
そんな私の顔を見つめながら、雅苗は、今では懐かしさすら感じる、あの有名な『詩』を暗唱する
1999年、7の月
恐怖の大王が…
アングールの大王を甦らせるために…
ノストラダムスの詩だ。
が、今の私には…新たなビジョンと共に頭をめぐる。
ノストラダムスは、感染症を専門とした医師である。
彼は、16世紀のフランスで、黒死病と闘った。
そんな彼が、予言…予測したとするなら、
それは、疫病のサイクルに違いない。
それは、虫…と、言いたいが、多分、穀物や植物についてのサイクルを元にしている。
その植物は、多分、ブドウの木かもしれない。
ブドウの木は、50〜100年が寿命とされている。
これらは、農作物なのだから、ある程度、同じ時期に新しい世代と移り変わる。
それは、木の死だけではなく、その木に寄生、共生する生き物の変化の時でもある。
これが、化学的な理屈に合うかは知らないが、
16世紀、占星術と宗教と結び付いた医学なら、
それなりに、根拠がある…
とても化学的な予測だったに違いない。
それは、1000年を一単位に考えるキリスト教のサイクルと
約2000年のサイクルで12星座を巡るとされる年差運動の交点なのだから。
アングールの大王とは、フランス、アングール地方にゆかりのあるフランソワ一世…
確かに…そんな話を、私は、誰かに教えて貰った気がする。
この温室で……
「もしかしたら…空からやって来る『恐怖の大王』とは…蚊かもしれないね。」
誰だろう?
モヤのかかる記憶の向こうから、ゆっくりと記憶がよみがえる…
そうだ。
あのとき、アメリカでウエストナイル熱で死者が出たのだった…
小さな蚊が、飛行機に乗り、世界を回る…
私には、ノストラダムスのより、そちらの報告の方が恐ろしかった……