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パラサイト  作者: ふりまじん
秘密
177/202

172話偶然の必然

「ツタンカーメン王墓の発見は、関係者の死と共に呪いとして世界に広まってゆきました。

この時、一人の日本人に呪いの解明依頼が舞い込みます。


太田 務

大正時代、軍医だった男です。


彼は、運に身を任せるようにツタンカーメン王の呪いについて調べ始めるのです。

当時、王家の呪いの噂で持ちきりでしたが、それを科学的に解明しようと考える人達も沢山いました。


感染症の分野で、日本の学者は優秀で、エキゾチックな強さも持ち合わせて見えたのでしょう。


何にしても、彼は、非正規ではありましたが、貴重な遺物に触れ、研究する事が許されました。」



雅苗の軽快な説明を聴きながら、頭の中で歴史が踊る。


1920年代、ツタンカーメンの呪いを感染症として考えた人達がいた。


ホームズの産みの親であるドイルが、致死性のカビが犯人ではないかと見解をのべたらしいが、

近年では、カビが犯人である可能性はないらしい。

亡くなったカーナボン卿は、蚊に刺され熱病になり、肺炎になって亡くなったと言われている。


確かに、呪いの連鎖と言うのは、論理的に無理な気がするが、2010年、エジプト考古学評議会で、ツタンカーメン王が、マラリア原虫に感染していたらしいと発表した。


蚊による熱病…


この2人の死因が、偶然の一致を見せるのは興味深い。


まあ、この時代、感染症は不治の病だった。


スペイン風邪のピークが過ぎても、結核などの病気は、日常生活に溶け込むように存在していた。


森鴎外もまた、結核を患い、1922年…7月に亡くなっている。


結核と人類の歴史は長く、エジプトのミイラからも発見されている。


そう言えば、ツタンカーメンのミイラが発見される1年前の1921年、パスツール研究所でBBG株が発見されたのだ。


1920年代は、古代の歴史の発見と共に、細菌学が飛躍的に進歩を始めるじだいとも言える。


偶然の必然…


ふと、その言葉が頭をかすめていった。


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